日本の名槍 -武将編-
戦国時代,戦場における白兵戦で
最も活用された武器は,槍でした。
そもそも槍は未開な土人も使用する,
世界でも普遍的に見られる武器です。
ただ,日本の槍の大きな特徴は,
穂先が日本刀と同じ製法で作られる,というところです。
▲ 備中の国重が作った大身槍
1607~8年頃。両鎬造(両刃の剣のようなタイプ)。
また,形状,拵えの点においても独特な部分があります。
まあ説明はさておき,日本の名槍を見てみましょう。
以下にあげるのはいずれも「名物 meibutsu」という賛辞がついている槍。
「名物」とは,刀剣や茶道具,陶磁器などに用いられ,
優れた名品であり,かつ歴史的に有名なものにつけられる賛辞です。
今回は戦国武将にまつわるものを取り上げました。。。
▲ 大身槍 (名物 一国長吉の槍) 銘 「長吉作」 長さ: 一尺四寸一分(42.7cm)
九州の福岡藩主・黒田長政 Kuroda Nagamasa(1568-1623年)の槍で,
袋に「長政公御用」と書いてある。
平の首に「八幡大菩薩」と彫ってあり,平の大樋には三鈷剣の浮彫がある。
重さは416.2g。黒塗りの丸鞘に,樫の長柄が付属する。
作者・長吉は室町時代の京都の刀工。
異名の「一国」のいわれは明らかではないが, 賤ヶ岳の戦い以来,北九州方面を従えて筑前(現・福岡県の一部)一国を与えられるまで, 常にこの槍を用いて功名をたてたことから,「一国」の名をつけたという。 |
▲ (左)黒田長政像 (部分) 江戸時代初期 1624年頃
▲ (右)銀伝塗一の谷形兜・黒糸威胴丸具足 黒田長政所用 桃山時代 16世紀
■ 加藤清正の槍 Katoh Kiyomasa no yari |
▲ (左)片鎌槍 無銘 長さ: 一尺七分(32.4cm)
▲ (中)大身槍 銘 「兼重作」 長さ: 二尺二寸九分(69.3cm)
▲ (右)大身槍 銘 「備州長船祐定 永正元年二月日」 長さ: 二尺四寸四分(73.9cm)
加藤清正のシンボル的な槍,「加藤清正の片鎌槍」が,左の槍。
両鎬造,上鎌形の片鎌槍。重さは446.2g。
加藤清正といえば「片鎌槍」を,「片鎌槍」といえば加藤清正を連想するほど。
清正が朝鮮出兵の時,突然襲いかかった虎の口に槍を突き刺したところ, 鋭い牙で噛み折られてこのような形になった, |
と多分江戸時代から語り伝えられているが,これは誤り。
現存する片鎌槍の中でも最高のものと言っても過言ではないらしい。
これら3本の槍の茎には,
「加藤清正息女 瑤林院様 御入輿之節 御持込」と朱書きがあり,
加藤家→紀伊徳川家→皇室→帝室博物館と伝来が極めてはっきりしている。
なお,左,中の槍には青貝螺鈿の豪華な柄がついているが,
剥落の恐れが強いため,現在はとりはずして別個保管されている。
▲ (左)加藤清正銅像
▲ (右)長烏帽子形兜 加藤清正所用 桃山時代 16世紀
銅像は熊本市・本妙寺の裏の中尾山八合目に建っているもの。
清正のトレードマーク・片鎌槍を持ってますね。
兜は,加藤清正が朝鮮戦役の際に用いたもの。
蔚山の合戦で苦戦した時に,九鬼嘉隆が譲り受け,清正の身替りとなって奮戦したという。
以後,同家に伝来し,後に紀州徳川家に献上され,
1933年の紀州徳川家の売り立てで尾張徳川家が購入した。現・徳川美術館蔵。
▲ 直槍 (名物 瓶通しの槍) 銘 「三条吉広」 長さ: 九寸一分(27.5cm)
井伊直政,本多忠勝,榊原康政と並び,「徳川四天王」として有名な,
酒井左衛門尉忠次(1527-1596年)の槍。現在も山形県鶴岡市の酒井家に伝来する。
平三角造,平に三鈷剣の浮彫があり,重さは271.8g。
作者の三条吉広は室町時代の京都の刀工。
この槍には次のような伝説がある。 忠次がこの槍を振るって敵を追い詰め,敵が瓶の陰に隠れたところを, 手前から,その瓶もろとも突き通し,その敵を倒したという。 |
酒井忠次は豪傑であったばかりでなく,戦略家の才能もあり,
徳川創業の大功労者の一人であったが,
「東照公一生御見限り」で家康からは冷遇され,気の毒な面もあった。
が,やはり功績は認められ,子孫は山形の鶴岡藩として繁栄した。
▲ (左)酒井忠次像
▲ (右)朱塗黒糸威二枚胴具足 兜,小具足付 酒井忠次所用 桃山時代 16世紀
▲ 歌川芳藤 「清正 朝鮮国より日本の富士を見る図」 1887年
片鎌槍が描かれています。朝鮮出兵にも持っていったんでしょうねw
真の伝統文化とは,多方面に複雑に連携し,
それぞれの分野に影響して発展します。
そして,それぞれに存在の証拠を残していますね!
あった物はあった,
無かった物は無かったのですwww
(=´ω`=)y─┛~~