■「ヨーコ」の父親、731部隊最高幹部疑惑
アメリカで中学校教材として使われている『ヨーコの話』(So Far from the Bamboo Grove)の著者であるヨーコ=カワシマ=ワトキンスの父親が、日帝時代に人間生体実験の蛮行をはたらいた「731部隊」の最高幹部である可能性が大きいという疑惑が提起され、真偽が注目される。
ヨーコ女史が自伝的実話小説だと明らかにした本によれば、ヨーコ女史の父親は満洲で働く「高級官僚」(high ranking government official)だった。本には彼が何の仕事をしていたか言及されていないが、彼の満洲での仕事のため日本の敗戦時に家族にまで懸賞金がかけられ、ロシア軍(訳注:原文ママ)の追跡の対象になったと書かれている。<中略>特にヨーコ女史が書いた2冊目の本によれば、彼女の父親は1948年にロシアが解放した日本人一般捕虜釈放対象から除かれ、当時ロシア政府が発表した戦犯裁判対象者名簿からも外されていた。
一般捕虜でもなく公開的な戦犯裁判対象者でもないのにシベリアで6年間服役したのは731部隊関係者だけだと、専門家らは指摘した。731部隊真相糾明委員会の金チャングォン会長は、「日帝戦犯のうちシベリアで6年間服役して帰国したのは、ハバロフスク戦犯裁判所で裁判を受けた731部隊関係者だけだ」と強調した。金会長は、「1949年12月25日~31日に開かれたハバロフスク戦犯裁判では、731部隊関係者12人が2~25年の刑の宣告を受けてシベリアに送られたが、1956年に全員釈放されて約6年ぶりに日本に帰った」と説明した。
ヨーコ女史の本に登場する日本人の名前のうち相当部分が、ハバロフスク戦犯裁判記録に出てくる731部隊の幹部のようであることも疑惑の点だ。本に父親の大学同窓生として登場するタケダ・カズオは日本皇室出身で731部隊に勤務した経歴が詳しく明らかになっているほか、他の登場人物であるマツムラ、ヤマダ、カワシマなども全員詳細な裁判記録が残っている。彼らの大部分は医師出身で、731部隊の核心メンバーだったが、本の中でも医師や医務下士官などとして登場する。<中略>
ヨーコ女史の出生地や父親についての説明が明確でないことも、疑惑をふくらませている。Amazon.comなどでは、ヨーコ女史が1933年に満洲のハルビン(731部隊所在地)で生まれたとなっている。また『ヨーコの話』の本文には、「一度も見たことがない日本」、背表紙には「一生を日本の外で暮らした」と明記していて、ヨーコ女史が日本生まれではないことを明確にしている。しかししヨーコ女史は、2冊目の「兄、姉、私(My brother, sister, and I)」では、自分が日本の青森で生まれだと、異なる記述をしている。
▽ソース:聯合ニュース/Yahoo!Koreaニュース(韓国語)(2007/01/18 07:33)
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/01/18/0200000000AKR20070118000400071.HTML
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?articleid=2007011807332613401
731部隊真相糾明委員会の金チャングォン会長は、「日帝戦犯のうちシベリアで6年間服役して帰国したのは、ハバロフスク戦犯裁判所で裁判を受けた731部隊関係者だけだ」 と強調した。
ふーん・・・なるほどね。金会長、嘘はいけませんぜ・・・
http://www.saitama-np.co.jp/main/rensai/kyouiku/kataritugu/kiji05.html
「禁固二十五年」。それがソ連から言い渡された“判決”だった。森林伐採に当てられたラーゲリ生活を経て一九四八年、チタの監獄で聞いた。満州での少尉時代、関東軍特種情報隊で対ソ情報の収集に従事した経歴が、銃殺に次ぐ重刑を受ける理由だった。この時点で日本を離れ、十一年が経過していた。
湖畔近くの街イルクーツクの約八十キロ西に、アレクサンドロフスク監獄はあった。当初は三十人ぐらいを収容できる監房に連れてこられた。収監された日本人は特種情報隊や防疫給水部、満鉄の関係者らで、獄中にはフランスやソ連の政治犯もいた。赤レンガからなる建物の壁の厚さは約一メートルあり、鉄扉が閉ざされると外界の音は聞こえない。
シベリアでの長期抑留を体験した土屋宗治さん=飯能市内
一日の食事は黒パン五百五十グラムに申し訳程度の野菜が入った塩味のスープ、塩漬けの魚六十グラム、それに数グラムの砂糖。体力を落とす仲間が続出した。栄養状態の判断は尻の肉づきで判断された。
午前六時に起床、午後八時の消灯。単調な日々が重なる。何か作業でもしたい、と考えても「禁固刑」がそれを許さなかった。「家族は、日本はどうしているのか」。故郷への思いを強くした。殺風景な毎日が諦念を増幅させた。「戦争」は話題にならなかった。
通信が許可された一九五二年ごろ、実家にあて往復はがきを送った。「生きている」事実を知らせる以外の文面は禁じられたが、数カ月後に届いた返信は房内を元気づけた。
しかし帰国には、さらに四年余りを要した。アレクサンドロフスク監獄では約八年間で九人の日本人が死亡したという。
五六年十二月、最後の引き揚げ船で約二十年ぶりに踏んだ故郷の土。飯能の実家は変わらずに農家をしていた。抑留の日々は「生活の中で怖いものを感じなくさせた」が、帰国後もシベリアの夢はたびたび見た。「日本にいることこそが夢ではないか」と。
731部隊関係者ではない一般捕虜が、6年以上抑留されてますが?( ´H`)y-~~
ヨーコ女史の出生地や父親についての説明が明確でないことも、疑惑をふくらませている。Amazon.com
などでは、ヨーコ女史が1933年に満洲のハルビン(731部隊所在地)で生まれたとなっている。
なるほどね。1933年にハルピンで生まれたことが731部隊関係者である根拠になるのね・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A
731部隊は表向き日中戦争時の1941年に各種流行性伝染病予防と兵員用の飲料水の水質浄化を目的として、関東軍が建国した満州国のハルピンに配備された。
1933年に731部隊はハルピンに存在しておりません。というか、まだ地球上に存在しておりませんでした。1933年にハルピンで生まれたことは、韓国の皆様のご期待とは逆にYOKOとその家族が731部隊と無関係だという根拠になりかねない勢いですが、どうしましょう?( ´H`)y-~~
おまえら、嘘ばっかり言ってるんじゃないよ。
( ´H`)y-~~
YOKOの父親が731部隊関係者の可能性が否定できないから本は発禁・・・
なるほどねえ・・・。
「可能性が否定できない・・・」便利な言葉だねえ。
中世の魔女裁判だね。「悪魔と契約していないことを証明できなければ、魔女」
随分と被害者が出たらしいね。魔女裁判。
近代国家では、最低でも「YOKOの家族が731部隊関係者であることが判明したので、当該書籍は教育用に相応しくない」となるはずなんですがね・・・。これでも相当乱暴だがw
だから韓国は近代国家の資格がなく、お前達韓国人は近代人の資格がないと言われるのだよ(嘲笑