西欧の帝国主義がアジアに牙を向いているとき、アジア・アフリカを通じて、西欧帝国主義を
阻止する勢力は、日本以外になかった。
日清戦争は、決して帝国主義の戦争ではなく、日露戦争はロシア帝国主義に対する
痛快な反撃であった。
これは一介の歴史学徒として、僕は断言できる。
僕はアジア、アフリカの夜明けは世界史的にみて、日露戦争に始まると指摘したい。
そして、今なお日本の指向は、好むと好まざるとに関わらず、アジア、アフリカ諸国とは
運命共同体であり、その開放、独立、そして共存共栄ということでなければならない。
日本が明治以来、このように強大な西欧帝国主義の牙から、アジアを守り、
日本の独立を維持するため、台湾を経営し、朝鮮を合併し、満州に※五族共和の夢を
託したことが、日本帝国主義というなら、それは栄光の帝国主義である。
日本国 外務大臣 Etsusaburou-Shiina
※五族共和(ごぞくきょうわ)は、1912年に中華民国が成立した際に唱道された理念で、
中国国内の主な種族である漢族、満州族、蒙古族、ウイグル族などのイスラム系諸民族、
およびチベット族の5種族が協同して新共和国の建設に当たることを意味する。
椎名氏が述べたように、19世紀末は西欧帝国主義がお互いに競って世界各地を
侵略し住民を殺し、彼らの財産を強奪し原住民を奴隷として使っていた時代だった。
帝国主義の世界(赤が欧米の帝国主義勢力)

1910年当時のアジア情勢:日本は欧米列強に包囲されていた

その時代のアジア、アフリカ、ラテンアメリカの中で日本だけが唯一速やかに
産業革命をおこし、西欧帝国主義に対抗した。
したがって日本の戦争は大きくみて一種の正当防衛と解釈でき、とくに衰えていた
清国を日清戦争を通して制圧し、朝鮮と台湾を独立させ、日露戦争を通して
ふたたび朝鮮と満州を独立させたことは、誇りとするに足る偉大な業績である。
当時の日本人もそういった状況を理解していたのだから、国民もまた、西欧に対抗してアジア民衆を解放するという使命感を、ある程度はもっていたとみるのは当然のことだ。
「親日派の為の弁明」キム・ワンソプ著
●ジョージ·S·カナヘレ(アメリカ,ハワイ日本経済協議会事務局長·政治学博士)
日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った、さまざまの仕事の中で,
一番重要なものの一つは,正規軍及び準軍事組職を創設して,そこに訓練を与えた事だ.(中略)
インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なことだった.
これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と幾千の兵士になって,
復帰して来たオランダ勢力と独立戦争を争う時の基盤になった.
日本によって与えられたこのような機会がなかったら,
前後のインドネシア民族革命は違ったものになっただろう.
●サンパス(インドネシア 元復員軍人省長官)
「特にインドネシアの感謝することは戦争が終わってから日本軍人約 1000人が帰国しないで,
インドネシア国軍とともにオランダと戦って,独立に貢献してくれたのだ.
日本の戦死者は国軍墓地に仕えて,功績をほめたたえて勲章を与えているが,
それだけでは足りないのだ.」http://www.youtube.com/watch?v=NvoC0R7WV_8

●総山孝雄(ふさやま・たかお)元日本軍陸軍大尉(通信将校)
「戦争がやっと終ったのに、他国の独立戦争に身を投じたインドネシアの日本軍将兵達の姿は、
現在の感覚からすれば奇異に思えるかもしれません。でも、私達の年代の日本の若者は、
いつかはアジアの人々を解放してやろうという夢があった。
私たちは、侵略のために命をかけて戦ったのではないんです。
幸いインドネシアの場合は、政府の方針を受けて独立準備の促進が命じられていました。
それによって独立準備委員会が結成され、スカルノを大統領に、ハッタを副大統領にすることまで決定されていた。
こうした準備が出来ていたからこそ、日本の敗戦がわかると、その二日後にはインドネシアの独立が宣言されたのです」
※総山孝雄:終戦直後は連合国、インドネシア独立政府などとさまざまな交渉に携わる。
●モハメッド・ナチール(インドネシア元首相)
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした.
大東亜戦争は私たちのアジア人の戦争を日本が代表して敢行したのです.」
●ラジャ·ダーツ·ノンティック(マレーシア前上院議員・マレーシア独立のお父さん)
「我がアジアの多くの国は, 日本がその大東亜戦争を争ってくれたから独立することができました.
日本軍は永い間、アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い仏って,
到底白人には勝つことができなければあきらめていたアジアの民族に, 驚異の感動と自信を与えました.
永い間眠っていた(自らの祖国を自らの国にしよう)と言う心を目を開くようにしてくれました.
私たちは, マレー半島を進撃して行く日本軍に歓呼の声を上げました.
負けて逃げて行く, イギリス軍を見た時に, 今まで感じたことがない興奮を感じました.
しかも, マレーシアを占領した日本軍は, 日本の植民地にしないで,
将来それぞれの国の独立と発展のため, それぞれの民族の国語を普及させて,
青少年の教育を実施してくれました.」
●タナット·コーマン(タイ王国 元受賞)
「その戦争によって,世界のいたるところで植民地支配が打破されました.
そしてこれは,日本が勇戦してくれたおかげさまです.
新しい独立国が,多くの火の中で不死鳥のように姿を現わしました.
誰に感謝を捧げなければならないだろうのかは,とても明白です.
●ガザリー・シャフィー(マレーシア 元 外務大臣)
「日本はどんな悪いことをしたと言うか.大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍はすごかった.
わずか 3ヶ月にシンガポールを陷落させて,私たちには絶対に勝つことができないと思ったイギリスを屈服させたのだ.
私はまだ若かったが,その時は「神様」の軍隊が来たのだと思っていた.
日本は負けたがイギリス軍はまた取り返すことができずにマレーシアは独立したのだ.」
●ククリト·プラモト(タイ、首相)
「日本のおかげでアジアの国は皆独立した.
日本だと言うママは難産して母体を害したが生まれた子供はのびのびとしている. 

今日,アジア人がアメリカやイギリスと対等に話ができることは一体誰のおかげさまか.
それは「自分を犠牲にしてアジアの為に力を出し切った」日本と言うママがいたからだ.
12月 8日は私たちに,この重大な思想を現わしてくれたママが一身をかけて重大決意された日だ.私たちはこの日を忘れてはいけない.」.」(12月8日, 現地の新聞「サイアム・ラット紙」より
●インドネシアの中学3年生の歴史教科書より(インドネシア)
「日本の占領は,後に大きい影響を及ぼす利点を残した.
第一に,オランダ語と英語が禁止されたので,インドネシア語が成長して,使用が広がった.
日本軍政の 3年半に育てられたインドネシア語は驚異的に発展をした.
2番目に,日本は青年たちに軍事教錬を通してして、難しい規律を徹底的に教えて,
勇ましく争うことや堪えることを訓練した.
第3に,職場でオランダ人が皆消えて,日本はインドネシア人に高い地位を与えた.
私たちに高い能力や大きい責任を要求する,重要な事を任せた」

インドネシアの独立記念日では、インドネシアの服装の男女2名に
日本兵の服装をした1名を加えて3名で、国旗を掲揚
●ビルマ独立軍
アジア人の前衛である日本人は,自らの社会経済的進歩と教育の発達のみを要求して
闘いを進行させたのではない.
引導·ミャンマー·チャイナ·フィリピン·スマトラなどにいて,政治的でも経済的でも
足かせをされ,抑圧されていた人々のために争ったのだ.

ビルマ最高の勲章を受章した日本軍人と未亡人
●パールガス大使 独立記念日の演説より(フィリピン)
「大日本帝国は軍政を最終的に撤廃して,フィリピン共和国の独立を承認すると言う、
最上の形態で,その崇高な精神と理念を証明した.
1995 フィリピン独立記念日のポスター
帝国はそのすべての誓いと宣言をまじめに守って,フィリピン国民が憲法を制定して,
自らの文化と伝統に調和を成す国家を樹立する最大の機会を開いたのだ.

太平洋戦争に対して日本帝国は、あまりにも不当に暴虐の侵略者として非難されることがあるが,
その寛容と自由の実践は世界も驚くでしょう.
日本は帝国だったが一つの共和国を認めて確かにその樹立に参加したのだ」
●J·R·ジャヤワルダナ (セイロン、財政部長官)
「アジアの民族はなぜ,日本が自由になることを切に望んでいるのか.
それは,アジアの民族と日本との長い歳月にかける関係の理由であり,
また,植民地として従属的地位にあったアジアの民族が,日本に対して抱いている深い尊敬がその理由だ.
先日,アジアの民族の中で,日本だけが力強くて自由で ,アジアの民族は日本を守護者、友邦として眺めた.
インド:日の丸とインドの国旗をもった英雄像
私は私は戦争中のさまざまな事件を思い出すことができるが,
当時 ,大東亜共栄圏のスローガンは,従属斉民族に強く訴えるのがあって,
ミャンマー,インド,インドネシアのリーダーたち中には,一番愛する祖国が解放されることを希望して,
日本に協力した人がいたことは事実である」
●ウー・ヌー(ビルマ、外務大臣)
「歴史は,高いアイデアリズムと目的の高潔さに作動した国が,
抑圧された民衆の解放と福祉のために生命と財産を犠牲した例を一つ位見なければならない.
そして日本は人類の歴史上,初めてこの歴史的役目を果すような運命だったように見える」
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、
世界連邦の礎石をおいた。」
H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
