裏庭のテロリスム

ジョージ・モンビアト 10月30日
「どの政府であれ、無法者や無実の人々の殺害者たちを支援するのならば」とジョージ・ブッシュはアフガニスタンの爆撃を始めた日に宣言した、「そういう政府は自身が無法者となり、殺人者となるのです。そして自らの破滅へと、孤独な一本道を辿ることになるのです。」と。ブッシュが「どの政府であれ」と言ったのは、まことに具合がよい。というのも、ここに一つ、まさにこの国こそははテロリストの支援者だというのがあるからで、ブッシュは直ちにこの国に眼を向けなければなるまい。この国は過去55年にわたってテロリストの訓練キャンプを運営し続けてきた。その犠牲者の数たるや、ニューヨークの攻撃や、ナイロビなどの大使館のそれや、その他、正当にか不当にかアル-カエダの仕業とされている、あらゆる恐ろしい事件のものをすべてあわせたより遥に多いのである。そのキャンプは西半球相互安全保障研究所あるいはWhiscと言う名である。それは合衆国ジョージア州のフォート・ベニンにあり、ブッシュ氏の政府が資金を出しているのである。

今年の1月まで、このWhiscは「アメリカ学校」またはSOAという名だった。1946年以来、SOAは60000人を越すラテンアメリカの兵士や警察官を訓練してきた。卒業者の中にはこの大陸でもっとも名高い拷問者たち、大量殺戮者たち、独裁者たちや国営テロリストたちが含まれている。SOA監視団という名の圧力団体が編集した数百ページにわたる資料集でわかるように、ラテンアメリカはここの卒業生たちによって切り裂かれたのである。

今年の6月、この学校の生徒だったバイロン・リマ・エストラーダ将軍は、1998年にフアン・ジェラルディ僧正を殺害したかどで、ガテマラ市で裁かれた。D-2はガテマラの軍事的諜報機関で、エストラーダが別の二人のSOA卒業生と共に仕切っていた。ジェラルディが殺害されたのは、D-2の犯してきた残虐非道の数々についての報告の執筆を、彼が手助けしたからだった。D-2は「反-抵抗者」作戦を組織し、448のマヤ系の村村を消し去り、何万人ものマヤを殺戮したのである。ルカス・ガルシアやリオス・モントやメイヤ・ヴィクトレスの皆殺し政府に仕えた、閣僚たちの40%がSOAで学んでいる。

1993年に国連のエルサルバドル真相委員会は、内戦の中でも最悪の残虐非道を犯した軍人たちを名指した。彼らの2/3がアメリカ学校で訓練を受けている。その中にロベルト・ドビュイソンがいる。エル・サルバドルの死の集団の指導者だ。オスカル・ロメロ大司教を殺害した男である。また、1989年にイエズス会神父たちを殺害した26人のうち、19人までがここの出身である。チリでは、アウグスト・ピノチェトの秘密警察を動かしているのも、主要な強制収容所を動かしているのも、ここの卒業生たちである。うち一人は、1976年、ワシントンDCでのオルランド・リトリエとロニ・モフトの殺害に手を貸している。

アルゼンチンの独裁者ロベルト・ヴィオラとレオポルド・ガルティエリ、パナマのマヌエル・ノリエガとオマル・トリホス、ペルーのフアン・ヴェラスコ・アルヴァラドやエクアドルのグイエルモ・ロドリゲズなど、皆、この学校の教えに恩恵を蒙っている。フジモリ治下のペルーの殺し集団グルポ・コリナの指導者も同様である。ホンジュラスの不名誉な3-16部隊(1980年代に殺し集団を統括していた)を動かしていた士官5人中4人までがそうであるし、メキシコで1994年にオコシンゴの虐殺を指揮した人物も同じである。

これらすべては、昔のことであると、学校の擁護者たちは強弁する。しかしSOA卒業者はコロンビアで合衆国の支援のもとに、現に行なわれている汚い戦争にもかかわっている。1999年に合衆国外務省の人権報告書は、平和親善使アレクス・ロペラ殺害者として二人のSOA卒業生を名指している。人権監視団は昨年、SOA卒業生7名がコロンビアで軍事集団を主導し、誘拐、行方不明、殺人や虐殺を行なっていると暴露した。今年の2月には、軍事集団による農民30名の拷問・虐殺事件の共犯として、SOA卒業生が有罪判決されている。学校が現在、多くの学生を引き寄せているのもまた、コロンビアからである。

FBIはテロリスムを定義して「暴力的な行為であり.....民間の人たちを脅し、あるいは強制し、政府の政策に影響を与え、政府の指導を変質させることを狙うもの」を言うとしている。これこそは、SOA卒業者たちのしていることの正確な描写である。それにしても、では彼らの行為の中で母校が果たしている役割を、どうすれば確証できるだろうか? そこだが、1996年に、合衆国政府はこの学校の訓練教科書のうち7冊を公開しなければならなくなった。テロリスト向けの一番のご推奨項目が並んでいる中に、脅迫、拷問、処刑、目撃関係者の逮捕などが推奨されているのだ。

昨年、一部はSOA監視団のキャンペーンの結果とも言えるが、議員が何人か、SOA閉鎖を試みた。彼らは10票差で破れた。そのかわりに、下院は学校閉鎖を可決して、直ちに別名のもとに再開するということになったのである。民衆の記憶を薄れさせる望みのもとにウィンドスケールがセラフィールドになったと同じように、アメリカ学校は自らWhiscと改名することによって、過去の汚れた手を洗ったのである。議会投票直前に、学校長マーク・モーガンが国防総省に語っているように、「『アメリカ学校』と言う名称である限り、何の援助もできないと、お宅のお偉いさん方がおっしゃられました。このご心配にお答えすることに致しました。名前を変えましょう」ということだ。ポール・カヴァデルは学校を残そうと闘った一人だが、各紙に対し、変化は「基本的に装い上のもの」だと語っている。

しかし、Whiscのウェブサイトを覗いて見て欲しいが、アメリカ学校のことは記録からきれいさっぱり消されている。「歴史」と書かれたページにも一言の言及もない。Whiscの授業は「平和活動の作戦立案、災害救援、民間軍事共同作戦、戦略立案、麻薬撲滅作戦の実行などの関連分野を、幅広くカヴァーしています」とのことだ。

人権のための行動について書かれたページもある。しかし、訓練プログラム全体を述べているのだが、それにもかかわらず、戦闘や遊撃技術、暴動鎮圧や尋問などのことは触れられていない。Whiscの「平和」だの「人権」だのといった選択科目は、SOAでも議会懐柔目的で設けられていたものであったという事実にも、触れられていない。こういう科目を選択する学生がいるとも思えない。

このテロリスト訓練キャンプが、自らを改革するとは望めない。いずれにしても、この学校は過去を認めることすら拒否している。このことだけで充分な証である。この学校と、ラテンアメリカで今も続く惨劇との関連は明白である。アル-カエダとニューヨークのテロ攻撃との関連より、はるかに明白である。そうとすれば、ジョージア州フォートベニンのこの「悪の遂行者」たちを、私たちはどうすべきだろうか。

そこだが、私たちの政府に対し、外交圧力をフルにかけて、この学校の指導者たちを人道に反する罪への共犯容疑で、国際裁判所に引き渡させるよう、要求することもできるだろうか。あるいは、わが政府に要求して、合衆国の主要軍事施設や都市、あるいは空港を爆撃し、選挙で正当に選ばれたわけでもない現政府を打倒し、国連の監修下で新政府に取り換えさせるという代案も考えられる。こうした提案がアメリカ人の間で不人気な様子であれば、ナンやカレーをプラスチックの袋に入れ、アフガンの旗のスタンプでも押して、爆弾と一緒に投下すれば、アメリカ人たちの心と理性を勝ち取ることもできるだろう。

馬鹿げた処方箋だ、とあなたはおっしゃる。私も同感だ。もっといい案をお考えあれ。しかし、今アフガニスタンに仕掛けられている行動の筋道、そして戦争の思想は、この程度のものなのであると、私は言っておきたい。

海賊訳:Massa
ソース:「ザ ガーディアン」(イギリス)
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