*これは以下の関連スレです…【独島防衛戦】「歪曲が過ぎて自爆」? 日(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1961387) 韓(http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1961387) 【万物に歴史あり】「所謂『韓国史』の起源」 日(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1935476)韓(http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1935476)「朱子学と陽明学の中日韓関係史」【朝鮮半島編】日(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1927086)韓(http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1927086) 【資料】「明末清初における陽明学の分裂」日(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1928536)韓(http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1928536)
「芝峰類説(1617年)」マテオ・リッチの「天主実義」の紹介者でもある李晬光が編纂した百科事典で「天文•易学•地理•歴史などに関する考證を網羅的に紹介する事によって、朱子学の政治応用の事しか考えない当時の儒学者達を痛切に批判した」なんて事が書いてあるけどこれはかなり微妙。
嶺南派の中興の祖たる「道徳を深慮し仁を崇め尊ぶ為に世界の摂理を見定めようとした」李滉の嫡伝にして「気節高く義を崇めるが故に実践すべき義理の把握に努めた」曺植の下で教えられた鄭逑(1543~1620)は性理学的な面と礼学的な面では伝統的な嶺南学風の様式を継承しつつも心学(人間の内面世界に浸透する研究)に強く惹かれ、歴史や地理や医学といった応用救時的な面でも膨大な著述を残した事で知られている。これが畿湖南人の先駆者で南人実学派の祖となった門弟の許穆(1595年~1682年)を介して近畿地方に発展的に継承され李瀷(星湖:1681年~1763年)や安鼎福(順菴:1712-1791)や丁若鏞(茶山:1762-1836)といった経世致用派の思想形成に貢献するのである。
【関連人物1】 許穆(1595-1682) 儒生時代に政争に巻き込まれて科挙応試を禁じられる罰を受けたが優秀なのでそんなの構わず出世して「王室を儒教的礼則で束縛する事によって相対的に執権士大夫の権威を高めようとする」宋時烈(1607~1689)や宋浚吉ら西人党に対して「むろん閥閲勢力は抑制しなければならないが王権は寧ろ強化しつつ士大夫間の機会均等を計るべき」という論陣を張った南人。【関連人物2】 尹ヒュ(1617~1680)従来の金科玉条で信奉された朱子の解釈方法を排撃し「中庸」「大学」「孝経」などの経典に独自の解釈を加え章句の註を修正したり、当時タブ-になっていた老莊思想に関する研究成果を発表したりして当時学界に大きな波紋を投げかけた南人。李滉や李珥の理気説にも批判を加え、二学説を折衷した「四端七情人心道心説」を提唱した。「読書記」「白湖集」「洪範説」「周礼説」「中庸説」「孝経章句攷異」「大学説」「中庸章句輔録序」「中庸大学後説」「大学古本別録」「公孤戦掌図説」等多数の著作を残したが、提案して採用された税制や軍制は実際に実施してみると問題を起こして取り止めになる事が多かった。実務には余り向かない人だったのかもしれない。
【参考】西人党と南人党(東人党の分派)の17世紀の党争 *実は尹ヒュの賜死ってその半朱子学的業績と関係ない気がします。 当時的に在り得る制裁といったら「友人から一斉に絶交を仄めかされる」とか 「奥さんに縁者一同を集められて親族会議を開かれてしまう」といった感じで。
【参考紹介】 朴世堂(西渓:1629-1703) 「老子」や「莊子」などに対する註釈書を執筆して「穡経」のような農書も著述した人物。
*先に紹介した独島関連論文に柳博士がこんな注を入れてるらしい。朴世堂は17世紀の思想界を風靡した碩学であったが、自由奔放な 思惟体系のために、当時朱子学を信奉していた老論学界により「斯文乱賊」と罵倒される。 彼の文集『西渓集』は『韓国文集叢刊』に入っているが、「欝陵島」が載っている『西渓雑録』は刊行された文集には入っておらず、未分類資料となっている筆写本である。このため、史料の存在が一般に知られていない。 老論学界って何? 罵倒された記録ってあるの? 二重三重に疑問。
【関連人物3】 李瀷(星湖:1681年~1763年)初期の実学思想を代表する南人学者で儒教の経典と性理学及び、礼学に見識を持ち、経世致用の実学を中心として陽明学と西学に到るまで幅広い学問的な関心を持っていた。 理学面では李滉を尊崇して「李子粹語」という選集まで著作す一方で経世務実論では李珥を高く評価したとされる。
*ただ相応の限界性もあった人です。【万物に歴史あり】「所謂『韓国史』の起源」 日(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1935476)韓(http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1935476)
西学については宗教的な信仰を拒みつつも西洋の自然科学と学術は絶賛するという立場だった。その門下生はやがて信西派(実は儒教と共通項が多いカソリック信仰を積極的に受容する事で朝鮮性理学が捨て去ってしまった個人の実践道徳としての側面を補う事を目論んだ)と攻西派(体面上あくまで「邪教に被れるのは悪」と主張する道を選んだだけで、実際入信してるかどうかは無関係)に分かれるが、結局辛酉迫害(1800年)によって両方とも粛清されてしまう。
【参考】「朝鮮半島伝教史とその諸外国への影響」日(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1889902)韓(http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1889902)
ちなみに…