韓国の教科書には、朝鮮通信使は日本に先進国韓国の文化を伝えにいったなんて歪曲して書いてあるけどさ・・・・・・。
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韓国人の祖先が証言しています。
金仁謙(18世紀半ばに来日した朝鮮通信使の書記)著 日東壮遊歌より抜粋
大阪: 高殿にのぼり、四方を眺める。 地形は変化に富み、人家もまた多く百万戸ほどもありそうだ。わが国の都城の内は 東から西にいたるまで一里といわれているが、実際は一里に及ばない。富貴な宰相らでも百間をもつ邸を建てることはご法度、屋根をすべて瓦葺きにしていることに感心しているのに倭人たちは大したものだ。千間もある邸を建て、中でも富貴の輩は銅をもって屋根を葺き黄金をもって家を飾り立てている。その奢侈は異常なほどだ。南から北に至るまでほぼ十里といわれる。土地はすべて利用され、人家商店が軒を連ねて立ち並び中央に浪華江が南北を貫いて流れている。天下広しといえどもこのような眺め またいずこの地で見られるだろうか。北京を見たという訳官が一行に加わっていたが、かの中国の壮麗さもこの地には遥かに及ばないという。
京都 : 町の規模は大阪に及ばない。しかしこここそまさに文化の華、金城桃池である。くやしい、うらやましい。朝鮮は軍を送ってこの地を占領しなければならない!!。
名古屋:その豪華壮麗なこと 大阪とかわりない。山川広大にして 人口の多さ田畑の肥沃 家々の贅沢なつくり 沿路随一といえる。中国にも見当たらないであろう。朝鮮の三京もたいそう立派ではあるがこの地に比べればさびしい限りである。人々の容姿もすぐれており、とくに女性が皆とびぬけて美しい。
江戸:見渡す限り山はなく 沃野千里をなしている。楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい 男女の華やかさ 城壁の整然たる様 橋や舟にいたるまで大阪より三倍は勝って見える。我がつたない筆先ではとても書き表せない。
結局、その後の日韓の歴史はこういったものの結果として存在します。
恨むなら歴史を捏造した韓国政府を恨んでください。