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西山太吉国倍訴訟平野幸子
34年前、沖縄返還協定をめぐり、日米政府が原状回復費400万ドルを日本が肩代わりするという密約を結んでいたことをスクープした元毎日新聞記者の西山太吉さんは、外務省の機密を漏洩したとして外務省の女性事務官とともに逮捕され、有罪判決を受けた。 「国民の知る権利」と「表現の自由」が争われたこの裁判は、検察の告訴状にあった「ひそかに情を通じて」という一言によって男女間のスキャンダルにすり替えられ、国家犯罪を告発した新聞記者は、特ダネをスクープするために女性を利用する倫理観の欠落した人物として糾弾された。その結果、国民に嘘をついて密約を結んだ政府関係者はだれも罪に問われず、犯罪を告発した記者と情報提供者の女性事務官が国家機密を漏洩したとして罪に問われ、社会的に抹殺された。 これが、いわゆる「外務省機密漏洩事件」である。 それから30年近くを経て、2000年、琉球大学の我部正明教授が密約を裏付けるアメリカの公文書を発見し、朝日新聞がこれを報道した。また、2002年にも密約の存在を裏付ける米公文書が見つかった。同年、琉球朝日放送が沖縄密約事件の真実に迫る「告発」というドキュメンタリー番組を作り、長らく沈黙を守っていた西山さんは、重い口を開き、はじめてテレビカメラの前で思いを語った。2005年4月、周囲に促され、西山さんは国家賠償を求める訴訟を起こした。 第1回口頭弁論のあと、東京都渋谷区勤労福祉会館で行われたアジア記者クラブ主宰による「すり替えられた『国家犯罪』、沖縄密約から33年目の証言」と題する集会で西山さんの話を聞き、この裁判に関心をもった私は、第3回口頭弁論から裁判の傍聴を続けている。 「西山太吉国賠訴訟」の裁判は、2005年7月に第1回口頭弁論が行われ、2006年6月現在、第6回口頭弁論まで終わっている。裁判の回を重ねることによってしだいに明らかになってくるのは、この国の隠蔽体質と、国家の違法行為を問うことをしない裁判所の、権力迎合の姿勢だった。 第3回から第6回までの口頭弁論の傍聴報告をする前に、事件の概要と、集会やシンポジウム、雑誌の対談、記者会見などで西山さんが発言した内容の要旨をまず記しておきたい。 30数年間の沈黙を破ってふたたび国家の犯罪を問う決意をした理由について、西山さんは次のように述べている。 「国民を騙し、嘘をつき続けている政府への怒りと、この問題を放置していたら、また国の行方を左右する重要なことが国民に知らされないまま決められかねないという強い懸念と危機感」 西山さんはまた、沖縄返還が行われた当時の時代背景と、現在の状況が似ていると指摘する。当時、アメリカはベトナム戦争が泥沼化して財政難に陥っていた。現在のアメリカもまた、イラク戦争が泥沼化し、双子の赤字で財政難に陥っている。30数年前の沖縄返還が米軍の軍事費を日本に肩代わりさせるものであったように、現在、進められている米軍再編についても同じことが行われている、と西山さんは指摘する。 米軍再編にともなう日米軍事一体化が急ピッチで進められていることに対する危機感が、今回の裁判を西山さんに決意させた最大の理由であることが、その言葉の端々から窺い知ることができる。 アメリカの世界戦略のために進められている米軍再編による日米軍事強化によって、アメリカの軍隊と自衛隊が一体化し、自衛隊がアメリカの指揮下に入り、海外で戦争をする体制ができつつある。日米安保条約が形骸化し、自衛隊がアメリカと一緒に海外で戦争をするために、憲法改正を行い、集団的自衛権行使を認める。そして、日本の若者たちが日本のためではなく、アメリカのために世界中で戦争をする。そのための体制作りが急ピッチで行われているにもかかわらず、国民にその認識がなく、抗議運動もないことに、西山さんは強い懸念を示し、危機感を募らせている。 「自分の名誉回復といった小さなことではない。生き恥をさらしても、自分が行動を起こすことで、いま日本で起こっていることをみんなに知ってもらい、再び同じ過ちを繰り返さないでほしいという願いと、アメリカの公文書で密約の存在が明らかになったのちも密約があったことを認めず、嘘をつき続けている日本政府の国家ぐるみの組織犯罪を明らかにすることが、裁判を起こした理由である。(中略)沖縄返還協定における日米政府の密約がすべての出発であり、今日の日米軍事同盟につながる道だったことを世論に訴え、ふたたび誤った道に踏み出さないように警鐘を鳴らしたい」 これは第5回口頭弁論のあと、司法クラブで行われた記者会見で、裁判を起こした理由を問われ、西山さんが語った言葉である。 「裁判は形を変えたジャーナリズムである」と語る西山さんの主張が、この発言を通して伝わってくる。 日本の将来にとって重大な転換となる米軍再編に対し、国民の多くが無関心であることや、いまなにが起こっているのかをきちんと伝えない日本のマスコミの報道姿勢についても、西山さんは厳しく批判している。 外務省機密漏洩事件で西山さんが問われたのは、国家公務員法の唆し行為だった。だが、西山さんは「記者の取材活動はすべて唆し行為である」と反論する。「相手の言いなりに、その通りの報道をする者は新聞記者ではない。権力の秘密を追求し、市民に伝えていくのが(新聞記者の)最大の役割」と述べ、「刑法に触れないかぎり問題はない。倫理の問題は自分が反省をすべきである」と女性事務官との個人的な関係を興味本位に報じたマスコミによって、国家犯罪が個人のモラルの問題にすり替えられたことをきびしく批判した。 西山さんが新聞記者を辞めたのは40歳のときである。それから30数年を経て、髪に白いものは増えたが、「記者としての素質を天性としてもっていた」と語るその記者魂はいささかも衰えていないことが、その語り口から伝わってくる。自ら「天職だった」と語る新聞記者を辞めたことは、西山さんにとって塗炭の苦しみであったことが容易に想像できる。故郷の九州に戻り、生きるために父親の経営する会社で働いた西山さんは、生きがいをなくし、「死んだも同じだった」失意の日々を送る。自分の家族や、人妻であった女性事務官が事件によって離婚し、職を追われたことなど、周囲の人たちに苦痛を与えたことがいまも西山さんの心の傷となっていることは、そのことを語るときの重苦しい口調や沈痛な表情で伝わってくる。 当時、外務省詰の毎日新聞政治部の敏腕記者だった西山さんがこの密約の存在に気がついたのは、沖縄返還のとき、外務省高官がふともらした、「返還したあとが大変だなあ」という一言だったそうだ。世間では佐藤内閣の、「核なし・本土並み」のスローガンのもとに、沖縄が平和裏のうちにタダで戻ってくるといったイメージがあった。外務省高官がもらした言葉に、西山さんは沖縄返還が政府の言うようなものではなく、裏取引があるのではないかとの疑念を抱いたそうだ。外務省の女性事務官を通して密約の証拠となる電信文を入手した西山さんは、取材源を守るために自ら書くことはせず、当時社会党の若手議員だった横路孝弘衆院議員に第三者を通じてこの電信文を託し、国会で追求した。だが、政府も外務省も密約の存在を認めず、逆に国家機密を漏洩したとして、女性事務官と西山さんを提訴した。 国家犯罪が男女のスキャンダルにすり替えられたとき、一番大きな役割を果たしたのはメディアだった。検察の起訴状にあった「情を通じて」という文言が週刊誌やワイドショーなどの格好の餌食となり、表現の自由と国民の知る権利が争われたこの裁判は、単なる興味本位の男女のスキャンダルへとすり替えられていった。 当時、先陣を切ってこのスキャンダルに飛びついた週刊誌の記者が琉球朝日放送の取材に応じているが、メディアが大衆をミスリードしたことへの反省はなく、むしろほかのメディアに先駆けて大スクープをものにしたことを誇らしげに語っているように見えた。 この記者の書いた記事によって、「国民の知る権利」にこたえるために国家犯罪を告発した記者が、特ダネを得るためなら女性の気持ちを踏みにじるようなことも厭わないような、倫理観の欠如した人物というイメージが広がり、裁判の行方に大きく影響した。大衆の関心は政府が国民に嘘をつくという重大な国家犯罪から、記者と女性事務官の男女関係に移り、その結果、密約の存在はうやむやにされたのである。 出版社とはいえ、営利目的の企業である以上、売上がなによりも優先されるのはしかたのないことである。週刊誌の記者として、彼は自らの職務を果たしたのであり、批判されるものではないのかもしれない。「表現の自由」や「国民の知る権利」といったことより、男女のスキャンダルのほうに大衆の関心があったのであり、その要望に彼はこたえただけなのだ。西山さんと同じように、彼も週刊誌の記者として自らの職務を全うしただけである。一方が新聞記者で、一方が週刊誌の記者であったというだけである。彼が書かなければ、ほかの記者が書いたのかもしれない。 だが、国家犯罪を告発した記者のスキャンダルを暴き、センセーショナルに書き立てることがどのような意味をもつのか、彼は考えたことがなかったのだろうか。情報の入手経路が倫理に反するとしても、それはその記者が自ら責を負うべきで、国家が裁くものではなく、どちらがより国民にとって重要な問題であるかを考えたとき、1人の記者として良心は痛まなかったのだろうか。少なくとも、彼には西山さんが使命としていた、国家の行方を左右するような重要なことに対し、国民は知る権利があるという視点が欠けていたことだけは確かであるような気がする。 メディアは正義の味方ではなく、むしろ監視の対象となっていることに対し、西山さんは、「閉鎖的で隠避な官僚支配が続き、国民の突き上げがない日本では、権力をチェックする役割はメディアが担わなければならない」と述べ、メディアの果たす役割の重要性について説いた。「取材行為はすべて唆し行為である」と主張する西山さんに対し、「権力を唆すコツは?」と問うと、「記者クラブに入って与えられた情報を報道するだけでも記者はやっていられるが、それではなんのために記者になったのか」と西山さんは問いかける。「真実を追究するという視点に立ち、問題の本質をとらえる力を培うために問題意識をもって勉強し、リサーチし、相手にバカにされないように論争することが大事」であるとし、一人ひとりの記者の自覚を促した。 国家犯罪が男女のスキャンダルにすり替えられたとき、メディアの果たした役割について厳しく批判しているのは上智大学教授の田島康彦氏である。田島氏は、メディアが権力の手先となって権力の犯した犯罪を告発した記者を排除するために手を貸した罪は大きいと述べ、その反省の上にたってこの西山国賠訴訟は語られなければならないと指摘しながら、メディアと権力の癒着について警鐘を鳴らしている。田島氏はこの裁判の推移を見守ると同時に西山さんを支援するために、「沖縄密約訴訟を考える会」を立ち上げ、西山国賠訴訟が問いかけているものについて集会や意見交換の場を設け、この問題について世論の関心を高めるために働きかけている。 西山さんは、国家権力がマスコミを使って情報操作を行い、大衆を煽動するやり方は、2005年9月行われた総選挙のときのマスコミ報道でも遺憾なく発揮されたと指摘する。西山さんはまた、「日本に真の市民社会はない。あるのは大衆社会だ」と述べ、 「日本は一応民主主義国家ということになっているが、諸外国のように、市民が血を流して手に入れたものではなく、戦後、アメリカから与えられたものであったため、民主主義の精神が根付いておらず、独立した個が確立していない。日本にあるのは大衆社会であり、その大衆を動かしているのはテレビである。為政者の思惑でどのようにでも情報操作を行うことができるし、簡単に煽動される。イラクで人質になったバッシングのように、政府の批判をするものたちは一斉に叩かれる。そのためにテレビが使われる。その意味で、この日本という国は、たいへん危ない国である」 と指摘し、大衆迎合の国民性のため、容易に情報操作がされやすい日本という国の危うさに警鐘を鳴らしている。 沖縄の基地問題について西山さんは、「台湾海峡と東南アジア海域におけるテロ対策の拠点になりつつある」と述べ、沖縄が両方に組み入れられることは、「アジアと日本のためにならない」と警鐘を鳴らす。「日本は台湾問題に介入するべきではない」としながら、「中国とアメリカは上層部でつながっている。日本だけが軍事優先論を進め、テロの軍事戦略を強化しようとしている。沖縄問題こそ日本の外交問題の焦点になっている」と指摘する。 米軍再編は日本の沖縄化であることが、その内容が明らかになるにつれてしだいにわかってくる。 日米政府が合意した在日米軍再編の最終報告では、神奈川県座間にアメリカの陸軍司令部移転、神奈川県横須賀に原子力空母の寄航、米海兵隊岩国基地に米海軍厚木基地の空母艦載機59機と座間飛行場の空中給油機12機移転(駐留機は現在の57機から120機となり、駐留機数では極東最大級となる)、また、米軍再編の最大の焦点となっている、沖縄普天間基地に代わる新基地名護市キャンプ・シュワブの兵舎地区と海上の一部に建設する沿岸湾案など、「抑止力」を口実に米軍基地の強化と恒久的化を目指す政策が、国民に充分な説明もなく、地元住民の頭ごなしに日米政府によって合意がなされている。 長年、航空機の騒音被害などに苦しめられてきた岩国では、2006年3月に住民投票が行われ、9割近くの人が基地に反対している。また、その後に行われた市町村合併による市長選では、基地に反対する候補者が市長に選ばれた。2006年4月、岩国の市長選と同時期に行われた沖縄市長選でも、基地に反対の候補者が当選した。そのほか、広島では政権中枢にいる国会議員の息子が対抗馬の野党候補に負け、補選ではほとんど勝ったことのない野党候補が、千葉7区衆院補選で与党の推す候補を僅差ながら破り勝利をおさめているなど、米軍基地住民を中心に、現政権に対する批判の声が高まりつつある。 米軍再編は日本の安全のためではなく、アメリカの世界戦略のために行われるものである。それにもかかわらず、統治の及ばないグァム等の移転建設費を含め3兆円にも及ぶといわれている費用を日本が負担するなど、一方的に日本が負担を強いられる不均衡な日米関係が続いている。日本政府は国民に対する説明責任を果たさず、ひたすら米国に要求されるまま諾々と米国追従の政策を推し進めている。 その一方で、定率減税の廃止、障害者自立支援法案、医療制度改革法案など、増税や社会保障の切捨てによってサラリーマンや社会的弱者に痛みを強いる悪法が次々に成立している。また経済政策でも「規制緩和」や「構造改革」の名のもとに弱肉強食の社会を生み出し、格差が拡大して、生活苦などの理由で年間3万人以上の自殺者を8年にもわたって出し続けている。国民に痛みを強いる政治を行い、生活苦で自殺する人がいてもすべて「自己責任」の名の下に切り捨てる。政治の無策に対し、メディアがきちんと批判をしないために、国民の多くは現政権によって生み出されている格差社会の拡大を理解することができず、漫然とした不安や怒りが凶悪犯罪を生み、ときに根拠のないバッシングとなって、集団ヒステリーのような症状を呈すといった精神の荒廃を生んでいる。 問題なのは、国民に痛みを強いるだけの法案が、国会で充分な審議をされることなく、2005年9月11日に行われた総選挙によって多くの議席を得た与党によって次々に成立されていくということである。大政翼賛会と化したメディアの偏向報道によって国政選挙を人気投票と勘違いした無知蒙昧な有権者の軽率な行動によって、自分で自分の首を絞めるような皮肉な結果になっているのが今日の日本である。 「西山太吉国賠訴訟」は、現在(2006年6月)まで第6回口頭弁論が終わり、8月29日に第7回口頭弁論が東京地裁で行われる。傍聴席52に対し、毎回、裁判所には大勢の人々が詰め掛け、席がほとんど埋まるほどの関心の高さを見せている。裁判が終わったあとの説明会にも多くの人が参加し、この裁判に対する関心の強さがわかる。メディアの関心も高い。アメリカの公文書によって密約の存在を報道した朝日新聞をはじめ、毎日新聞や、沖縄タイムス、沖縄新報などが、沖縄密約と西山国賠訴訟のことを多くの紙面を使って報道している。東京新聞も米軍再編をめぐる特集を組み、この裁判のことを大きく取り上げている。また、月刊誌「世界」では、西山さんと田島氏の対談を組み、米軍再編の出発が沖縄密約にあったとする西山さんの主張を伝えている。沖縄密約を知ることは、今日の米軍再編に至る日米関係の実態を知ることである。そのことを理解しているからこそ、多くの人々が毎回裁判所へと足を運ぶのである。 沖縄返還協定は当時の総理大臣だった佐藤栄作が、在任中の実績を残すためにアメリアカに働きかけたものだった。当時、アメリカはベトナム戦争の泥沼化で、財政危機に陥っていた。沖縄の施政権を日本に戻すことで沖縄の反米感情の高まりを抑えることができる上に、駐留米軍の軍事費を日本側に肩代わりしてもらうことができる。アメリカにとっては都合のいいことばかりである。最初からアメリカは基地を返還するつもりはなかった。施政権だけを日本政府に渡してやり、そのまま駐留を続ける。「核なし・本土並み」のスローガンのもと、あたかもタダで沖縄が日本に返ってくるようなイメージを振りまき、佐藤政権は政治基盤を強固なものとした。自らの権力維持のために、沖縄返還を政治利用したのである。だが、実態は何一つ変わらず、米軍はそのまま沖縄に駐留し続け、軍事費は日本が肩代わりする。原状回復費の400万ドルは、国際法で認められている日本がアメリカに請求できる唯一のものだった。当然、日本に請求権があるが、アメリカは議会で日本に金は払わないと約束しているため、本来はアメリカが払わなければならない原状回復費の400万ドルを日本側が肩代わりすることになった。 だが、西山さんが指摘しているように、400万ドルは氷山の一角に過ぎない。2006年2月、対米交渉を担当した当時の外務省アメリカ局長吉野文六氏が「返還時に米国に支払った3億2千万ドルの中に、原状回復費の400万ドルが含まれていた」と述べ、政府関係者としてはじめて密約の存在を認める発言をしたように、国民の知らないところで日本政府は沖縄返還の見返りに多額の金をアメリカに支払っていたのである。それは全部国民の税金だった。「核抜き本土並み」のスローガンで、あたかも沖縄がタダで返還されるようなイメージを振りまき、在任中の自らの実績としたかった佐藤首相は、沖縄を金で買ったことが国民に知れることを怖れ、密約を交わしたのである。その密約を暴いたのが西山さんだった。 金銭の支払いだけではない。米軍基地の恒久化や、その後関係者の証言で明らかになったように、緊急時の核の持ち込みの密約など、「核抜き・本土並み」はすべて偽りだったのである。自らの権力を磐石にするために功を急ぎ、国民に嘘をついて密約を結び、沖縄返還を成し遂げた佐藤首相は罪に問われることなく、沖縄返還の功績によってのちにノーベル平和賞を受賞している。だが、権力者の野心が今日の日米軍事強化にいたる道を切り開いたとすれば、その功罪についても改めて検証されなければならないことは当然である。 沖縄では米軍兵士によるレイプ事件があとを絶たない。とくに1995年に起きた沖縄少女レイプ事件は大きな社会問題となり、8万5千人の人々が抗議集会に集った。米国総領事館や外務省に抗議を行い、沖縄の怒りをぶつけたが、その後も米軍による犯罪は続いている。 2004年夏、沖縄国際大学構内に米海兵隊の大型輸送機が墜落し、炎上した。人災はなかったものの、一歩間違えれば大惨事になっていた大事故だった。だが、事故現場に日本の警察の立ち入りは許されず、米軍によって秘密裏に処理された。それに対して、日本政府は抗議の声をあげることもなく、諾々と従っている。 沖縄県民の犠牲の上に成り立っている現在の不均衡な日米関係が、佐藤首相が自らの権力維持のために拙速に進めた沖縄返還協定にその出発点があったことを思うとき、権力をチェックする立場にある新聞記者が使命感に燃え、国民に嘘をつき、密約を結んでいた国家の組織犯罪を告発し、世論に訴えて過ちを正そうとした行為がなぜ罪に問われなければならないのか。国家ぐるみの犯罪を隠蔽し、「密約はなかった」と証言した政府高官や外務省、検察の主張した嘘の証言を根拠に有罪判決を下した最高裁判事、権力の手先となって世論操作を行ったマスコミ報道も含め、その罪はあまりに大きいと言わざるを得ない。 2006年2月、吉野文六元外務省アメリカ局長は北海道新聞の取材に応じ、沖縄返還協定において密約があったことを、政府関係者としてはじめて認める発言をした。吉野氏は沖縄返還協定で日本側の事務方トップとして交渉にあった人物であり、交渉の内容のすべてを知る立場にあった。吉野氏は、原状回復費400万ドルを日本が肩代わりする密約があったこと、それは佐藤首相の判断であったこと、密約には大蔵省もからんでいたこと、日本が支払うことになった3億2千万ドルの中には核の撤去費用が入っていること(核があったのか、あったとして本当に撤去されたのか、米国が日本側の立会いを拒否したため、だれもそのことを確認した者は1人もいないと吉野氏は述べている)、返還前の通貨米ドルを無利子で米国に預託し、自由に使わせたこと、それらがすべて密約であったことを明らかにしている。 吉野氏の発言を引き出したのは、北海道新聞の徃住嘉文(とこすみよしふみ)記者だった。西山さんが参加したシンポジウムに来ていた徃住記者は、吉野氏から証言を得た経緯について、「西山太吉国賠訴訟を記事に書こうとすれば、吉野文六氏の取材はどうしても必要になってくる」と述べながら、「新聞記者として当然のことをした西山さんがなぜ罪に問われ、記者の職務を奪われなければならなかったのか。同じ記者として納得がいかなかった」とこの事件に関わることになった動機について語っている。 吉野氏がこれまでの主張を翻して真実を語ったのは、自分の署名のあるアメリカの公文書が見つかり、密約の存在が明らかになったことでこれ以上嘘をつき続けることができなくなったことが第1の理由であったと思われるが、吉野氏自身は、アメリカが認めていることに対し、日本が隠す必要がなくなったと思っていたようである。吉野氏に取材した徃住記者は、「嘘をついたまま死にたくない」という吉野氏の言葉を伝えている。 徃住記者はまた、自民党が大きく議席を増やした2005年9月11日に行われた衆院選挙で、北海道と沖縄では自民党が野党に敗北していることに触れ、この2つの地域で同じ結果が出たことに対し、「北海道と沖縄が日本から忘れられた存在だからではないか」 と述べ、地方切捨ての政策を推し進める現政権に対する批判票が沖縄と北海道で選挙に負けた原因であったとの認識を示した。 徃住記者のスクープに続き、共同通信、朝日新聞、毎日新聞なども吉野氏に取材し、沖縄返還協定における密約の存在を認める発言を引き出している。 沖縄タイムスや沖縄新報も、西山太吉国賠訴訟に大きな関心を寄せている。 沖縄新報の松本剛記者は、沖縄密約を正面から問いかけた琉球朝日放送の「告発」と「メディアの敗北」というドキュメント番組を見て刺激を受けたと述べ、沖縄の大学に米軍の飛行機が墜落したとき自由に取材できなったことに言及しながら、返還後も沖縄の現実がなにもかわっていないことを実感したそうである。 松本記者は、沖縄の飲食店の79歳の老人が屈強な米兵にカウンターに投げ飛ばされて鼻を折り、200ドルを奪われた事件が、地位協定によって十分な取調べを受けることなく容疑者の米兵は軍用機で本国に帰ったこと、女性をレイプした米兵が民間機で本国に帰ったことなど、日米地位協定がなんら是正されることなく今日に至っている状況を明らかにしながら、沖縄に犠牲を強いる米国追従の日本政府の外交姿勢を厳しく批判した。また、米軍基地の75%がいまも沖縄に集中しており、沖縄の犠牲の上に日本の繁栄が築かれていることに多くの日本人が無関心であることが、政府の無策を許していると指摘した。 毎回裁判を傍聴している沖縄タイムスの粟国雄一郎記者は、「今回は沖縄がコミットしていかなければならないと言うのが社の方針」と述べ、沖縄タイムスがこの事件に社をあげて取り組んでいくことを明らかにしている。 共同通信の配信で西山さんが提訴していることを知り、初めてこの事件に関心を持ったという粟国記者は、最初は政府が平気で嘘をつき続けていることに憤りを感じたと述べ、調べていくうちに「これはえらいことだ。西山さんを孤立させてはいけない」と思ったそうだ。そして、メディアが積極的に関わっていくだけでなく、立場の違いを超えてメディアが一体となり、一枚岩となって権力に向かっていかなければならないとの思いを強くしたそうである。 粟国記者はまた、政府は沖縄の負担軽減ということをしきりに言うが、対米追従の外務省の姿勢はいまも続いていると述べ、「アメリカにいいことを言いながら、国民にもいいことを言う。米国に追従する姿勢は30数年前と変わっていない」と批判し、この訴訟のもつ意味を世論に訴えるためにこれからも裁判で提起されたことを伝えていきたいと語った。 密約の存在を否定し続けてきた吉野氏が、なぜいまになって密約があったことを認める発言をしたのか、と問いに対し、西山さんは、次のように述べた。 「外務省を辞め、自分の足跡を振り返ったとき、歴史的外交交渉に携わったものとしての自負とその真価を問いたくなったのではないか。また、後に続くものたちに自分の経験を伝え、これからの外交交渉の礎としたかったのではないか。ただ、密約については犯罪の認識がなく、外交上必要なものであったとの考えは変わっていないようだ」 密約についての見解は異なるとしながらも、吉野発言の中で印象深いことの一つとして「アメリカはいまも基地を自由に使用している、と言っていることだ。彼は沖縄の現状を占領の残滓としてとらえている。さらに彼は憲法9条のある日本が米軍を応援し、日本で米軍が自由に行動していることについても考えてほしいと言っている」と述べ、現在の沖縄が直面している問題について、沖縄返還交渉の当事者である吉野氏の思いを汲み取っている。その上で、吉野氏の証言で新たにわかった事実もあるとし、これだけの内容を明らかにしたことについて「敵ながらあっぱれ」と評価する一方、現在に至っても密約の存在を否定し続けている政府を厳しく批判した。 アメリカの公文書に続き、日本側の交渉担当者だった最高責任者が密約の存在を認めていることで、裁判の追い風になるのでは、と期待されたが、第5回口頭弁論で加藤謙一裁判長は、「原告の西山さんがなぜ提訴したのか、その思いを聞きたい」と述べ、原告側の求める検察側の刑事記録の全面開示については「その必要性を認めない」との見解を示し、裁判の終結を促すような発言をした。それに対して原告側代理人の藤森克美弁護士が不服を申し述べると、加藤裁判長はそれまで被告に働きかけていた検察側の刑事記録の開示についても、被告側が一貫して主張している「その必要はない」ということに理解を示し、開示を働きかけることなく、西山さんの思いを聞いた上で裁判所としての一定の判断を下したい、と一方的とも言えるような申し渡しをした。 藤森弁護士は、裁判所の態度が急に変わったのは、吉野発言で形勢が不利になった被告が強引に事件の終結を図ろうとしたのか、あるいは裁判の迅速化を図るために、双方の主張を聞いた上で裁判所の判断を示そうとしたのかわからない、としながらも、検察側の刑事記録の全面開示がないままでの裁判の終結は納得がいかない、と述べた。 第3回目から第6回目までの口頭弁論を傍聴し、そのときメモに記した記録を以下に記したい。 なお、民事裁判の場合、事前に双方が必要書類を提出し、法廷ではその確認のやり取りになってしまうため、傍聴人には裁判の推移がわかりにくい側面があり、裁判終了後、藤森弁護士が説明会を設け、裁判の進捗状況を説明してくれている。その際、傍聴人が意見を述べたり、質問をするので、そのやり取りについても記した。 ●第3回口頭弁論 2005年12月14日午前11時30分より、東京地裁で「西山太吉国賠訴訟」第3回口頭弁論が開催された。加藤謙一裁判長ほか裁判官2名、原告代理人(藤森克己弁護士)、 被告(国)指定代理人4名。傍聴人約35名。 裁判長「(被告指定代理人に)原告側が求めている刑事記録の開示はできないのか?」 被告指定代理人「参考記録の閲覧として原告に対応している」 裁判長「見せてもらえないものがあると言っているが」 被告指定代理人「開示については検察官の判断」 原告代理人「ほとんど開示されていない。刑事弁論記録や各論がまったく開示されていない。検察官を批判するものが出ていない」 裁判長「検察庁に働きかけることはできないのか?」 被告指定代理人「どこまで開示するか、検察官が判断してやっている」 裁判長「もともと必要ないという考え方や意見は理解できるが、基本的に刑事被告人だった原告が見せてくれといえば、見せるものではないのか」 被告指定代理人「刑事記録は見せている」 原告代理人「全部じゃない」 裁判長「全部見せることについて、被告側で対応するのは難しいのか?」 被告指定代理人「検察庁に問い合わせることはできる」 裁判長「(原告代理人に)裁判の争点を明確にしたほうがいいのではないか。最高裁の有罪判決は、電文について秘密漏洩をそそのかしたのが有罪とされた。全体が秘密にあたる。それの理解でよいか」 原告代理人「最高裁の判断は形式的判断。1審でも法に値する秘密ではないと理解している。最高裁の判決は誤判だという考え」 裁判長「全体が秘密だというのが、最高裁の判断なのではないか」 原告代理人「最高裁の事実認識が誤っている」 裁判長「秘密であるという判断が誤っているのか?」 原告代理人「最高裁の事実認識が間違っている」 裁判長「誤判だったとすれば、どこが間違いだったのか。判決文に即して間違いを指摘したほうがよいのではないか。公文書で密約が明らかになったことに照らし、どの部分がおかしいのか指摘したほうがよい。外交交渉が明らかになるのはまずいのではないかというのが最高裁の判断。それとも、密約があったことが悪いのか。それを明らかにしたほうがよい。問題にしないのであればそうする」 原告代理人「検討してみます」 裁判長「(被告代理人に)裁判記録は保管されているのか?」 被告指定代理人「公判に採用されたものは残っている。裁判が終わったら検察庁が保管する」 裁判長「保管期限が切れているが、ないならないと言ったほうがよい。原告から文書提出命令申立が出ているが、ないものは請求できない」 被告指定弁護人「確認してみる」 原告代理人「(裁判長に)刑事記録の文書提出命令申立てについて、早く結論を出してほしい」 裁判長「もう少し検討したい」 【傍聴者に対する説明会】 藤森「20年の除斥期間が過ぎていると相手は主張しているが、刑事事件で有罪となった場合、証拠を入手しないかぎり誤判を問えない。確実なものを入手したのは、2002年。キッシンジャーが裏話を書いた公文書が見つかったときからスタートしている。3年以内に裁判を起こしているので、問題はないと考える。検察が密約の証拠を握って出さないで、偽証させ、密約は存在しないと嘘の主張をした。この嘘を証明すれば誤判に値する。認めさせると勝ち。密約の存在はアメリカの公文書で明らかになった。除斥期間を主張するのは、著しく正義に反する。被告(国)は公務員。公務員が嘘をついたことで国民に不利益を与えることは国賠償にあたる、と主張する。密約は存在しないと政府は発言している。国民に対して嘘を言った政府を告発した西山さんが、入手経路を巡って男女間のスキャンダルにすり替えられ、国家犯罪が外務省の機密漏洩事件にすり替えられた。なぜ誤判なのか。裁判長に最高裁の判決文に即して具体的に反論してくださいと言われた。こちらのイメージと裁判所の思っていることがかみ合わないが、流れとしては悪くない。やっぱりおかしいと裁判長は思っているのではないか。中身に入ってみたいという裁判長の感触があった。検察は裁判の刑事記録を早く出してほしい。」 傍聴人「文書提出命令は、期限が切れているものに対して請求はできないと裁判長は言った。捨てろと言っているのか?」 藤森「脅している。あるものについては出しなさいと言っている」 傍聴人「捨てたらどうするのか?」 藤森「あるものを捨てたら大問題だ」 傍聴人「被告指定代理人のあの曖昧さはなんだ」 藤森「答弁をしていたのは庶務検事。法務局の民事事件の担当者」 傍聴人「知っているはずなのに、煮え切らない」 傍聴人「国は除斥期間が過ぎているから取り上げる必要がない、と主張している。過去の例からみてこちらの考えを受け入れてもらえる可能性はあるのか?」 藤森「中国に日本軍が毒ガスを残した事件。1審で勝った。2次訴訟は著しく正義に反する。日本軍が残し、放置していたことが原因で始まっている。西山事件も検事と外務省が共謀して嘘をついた。十分いけるのではないか。まともな裁判長なら。ふつうの良心があれば」 傍聴人「裁判はどのぐらいかかるのか?」 藤森「かかればかかるほどよい。刑事記録を見て見たいという裁判官の考えがある」 傍聴人「文書も出せない、証言もしない・・・。政府はだんまりを決め込んで、ときが経つのを待っているのではないか?」 藤森「アメリカが公文書を開示している」 傍聴人「刑事記録の開示に裁判長は積極的だ。被告はどんな反応を示すのか。ないと嘘をつくのではないか?」 藤森「裁判長は命令されて出すのでなく、任意で出したらどうか、と働きかけているのだと思う」 傍聴人「松川裁判(検察が被告のアリバイを証言した証人がいたことを隠していた。後にそれが発覚し、逆転無罪となる)では、検察は裁判所に言われる前に出した」 傍聴人「弁護士側の記録は?」 藤森「当時の弁護士の大野さんが東大に寄贈した。いま、作家の山崎豊子さんがもっている。山崎さんは西山さんをモデルにした小説を文芸春秋に連載している」 傍聴人「西山さん自身も公判に出たほうがいいのではないか。3回に1回ぐらいの割合で」 藤森「伝えておく」 ●第4回口頭弁論 2006年2月22日(水)午前11時30分より、東京地裁で「西山太吉国賠訴訟」第4回口頭弁論が開催された。加藤謙一裁判長ほか裁判官2名、原告本人(西山太吉)、原告代理人、被告(国)指定代理人4名。傍聴人約40名。 裁判長「(原告側と被告側双方に対し)今後の主張、立証の予定について教えてほしい」 被告指定代理人「原告側準備書面について次回までに反論したい」 原告代理人「当時の対米交渉を担当した元外務省アメリカ局長の吉野文六氏が密約の存在を認める発言をしたので、法的に整備した上で主張、立証していきたい。また、当時の大蔵省の関与についても主張を補充していきたい。被告側の『文書提出命令申立てに対する意見書』に対する再反論を行う予定です」 【傍聴人に対する説明会】 藤森「今日の裁判で結論は出なかったが、原告が求めている刑事記録の提出について、中身の認否、反論は一切せず、除斥期間経過論1本で請求棄却を求めてきた被告(国)が、原告側準備書面について反論したいと言ってきた。脈がある」 傍聴人「政府関係者として吉野文六氏が初めて密約を認めた。裁判の追い風になるのではないか」 藤森「風はこっちに吹いている」 【司法記者クラブでの記者会見】 記者「吉野氏はなぜいまごろになって密約を認める発言をしたのか?」 西山「外務省を離れ、一個人となって歴史を振り返り、1つの外交交渉をまとめた者として、自分の見識を示したかったのではないか。現在と当時が大変似通った状況にあるという問題意識があり、自分の外交体験を現代の外交に活かしたかったのでないか」 記者「どのような感想をもったか?」 西山「貴重な証言。敵ながら検証してみたくなるような材料がある」 記者「政府は密約を否定している」 西山「アメリカが認め、すべてを知る立場にある日本側の実務のトップも認めている。日本政府は密約があったことを認めるべきだ。政府は嘘をついている。偽証罪に問われる」 ●第5回口頭弁論 2006年3月29日(水)午前11時より、東京地裁で「西山太吉国賠訴訟」第5回口頭弁論が開催された。加藤謙一裁判長ほか裁判官2名、原告代理人、被告(国)指定代理人3名。傍聴人約35名。 裁判長「(原告代理人に)西山さんはどういう思いからこのような訴訟を提起したのか、その理由や精神的苦痛、今現在どのような気持ちでいるのかを聞きたい」 原告代理人「原告本人尋問の趣旨と、これからの裁判の進行について裁判所の考えを知りたい」 裁判長「原告側と被告側の主張が平行線を辿り、かみ合っていないので、このままいってもすれ違いは埋まらないのではないか。裁判所としては、原告の尋問を行った上で最終弁論とし、裁判所としての判断を示したい」 原告代理人「原告側が主張している、(最高裁の)検察側の刑事記録文書提出命令申し立てについて、裁判所の考えを教えてほしい」 裁判長「その必要性については、確証がもてない」 【注】この裁判で原告側が主張しているのは、「34年前の沖縄返還に際し、アメリカが支払うべき400万ドルの原状回復費用を日本側が肩代わりするという密約が日米政府にあったことを検察は知っていたにもかかわらず、その事実を隠蔽し、故意に嘘の主張と立証がなされたために最高裁が誤った判決を下した」というものである。最高裁の誤審を立証するために、原告は被告(国)に対し、検察側に刑事記録の開示を求めているが、除籍機関経過を理由に、原告が求めている全面開示には応じていない。そのため、原告側は裁判所に文書提出命令を申し立てた。裁判が始まったとき、「本人が自分の裁判の記録を見せてほしいというのだから見せてやってもいいのではないか」と被告側に働きかけていた加藤裁判長は、今回は「その必要性に確証がもてない」ことを理由に、原告側の申し立てを退けるような発言をした。その上で、原告人本人への尋問を行った上で裁判所の判断を示したい、との考えを述べた。 【傍聴人に対する説明会】 藤森「裁判長が西山さんの話を聞きたいと言い出したのは、尋問をやって終結して判決を出すのが狙い。吉野発言が裁判の追い風になると期待していただけに、思わぬ展開。しかし、真実が法廷に出されない限り、裁判にならない。刑事記録が開示されない状況で判断を示したいとするのは、裁判官の職責を放棄するものだ」 傍聴人「密約があったかなかったかに関係なく裁判所が判断を下すのは問題」 藤森「裁判官の勇気が問われている」 傍聴人「政府はいまも密約はなかったと言い続けている。メディアがしっかりしないと、国家の嘘を追及できない。それが問題」 傍聴人「最高裁の判断はたかが400万ドルという考え。冗談じゃない、全部国民の税金だ。国会は税金の使い道を審議するところ。この問題は国会でやるべき」 傍聴人「社民党の福島党首が追及しているが報道されていない」 傍聴人「与党がやるべき。与党自らが議会で追及しないと、政府が悪いことをしてもはびこる」 傍聴人「吉野文六氏に証言してもらえないのか」 藤森弁護士「交渉してみる」 ●第6回口頭弁論 2006年6月6日(火)午後3時より、東京地裁で「西山太吉国賠訴訟」第6回口頭弁論が開催された。加藤謙一裁判長ほか裁判官2名、原告本人、原告代理人、被告(国)指定代理人4名。傍聴人約35名。 裁判長「(原告代理人に)我部教授の尋問については、その必要性があるかどうか考えている。裁判の進行について意見はあるか?」 原告代理人「反論したい。対米支払いと密約があった。それに対する反論をしたい」 被告代理人「反論する必要性があるかどうか見当する」 裁判長「原告の被害について、原告本人の陳述書は期日前に出してほしい」 原告代理人「わかりました」 【傍聴人に対する説明会】 藤森弁護士「400万ドルの密約以外にも密約があった。検察はそのことを知っていたはずだ。検察が真実を述べていれば最高裁は誤審をしなかったはずである。という批判をした。最高裁の判決は対米請求権の400万ドルを認めていない。最高裁の判決が間違っていて西山さんを有罪とした。そのことに合理的な疑いがある、と指摘した。早期結審したいという裁判所の判断に対し、再考を求めた」 傍聴人「我部教授の証人申請は認められなかったのか」 藤森弁護士「我部教授と西山本人の証人申請をした。証人申請については2人とも必要がないと裁判所は判断している。西山さんの陳述書と我部教授の陳述書を出してくれということ。それを読んだ上で裁判所の結論を出すそうだ。我部さんの尋問は難しいと思うが、西山さんの尋問をやるのかどうか。陳述書で終わるのか、次回にならないとわからない。検察の刑事記録の文書提出の必要はないと裁判所は判断した。弁護士側の記録について山崎豊子さんに連絡をとった。弁護士の大野先生の了解を得てほしいといわれたので、大野さんに電話をしたら断られた。吉野文六さんにも電話をした。会いたいと申し込んだら断られた」 傍聴人「大野さんはなぜ断ったのか?」 藤森弁護士「なぜいまになって裁判をするのかわからない。蒸し返すのか、と言われた」 西山「最高裁判事になって大野さんは変わった。大野さんは裁判をすることについては猛烈に反対した。山崎さんが小説の資料として使っている弁護側の裁判の記録は、大野さんが将来のために貴重な資料として残しておきたいと東大に寄贈した。山崎さんは膨大な資料をトラックで運び、全部コピーしたそうだ。裁判の記録は広く開示すべきだ。いびつな感情が入っている。オレが一生懸命やった裁判にいまさらケチをつけるのか。そう思っているかもしれない。弁護士同士の反感もあるのではないか。大野さんは弁護士を廃業して、いま年金をもらっている。大野さんとは自分が交渉したほうがよかったかもしれない」 藤森「いまさらなぜ蒸し返すのかということだった」 西山「感情的になっている」 傍聴人「裁判は収束に向かっているのか」 藤森「裁判所は裁判の迅速化を目指している」 西山「意見陳述書はすぐ書いたほうがいいのか?」 藤森「意見でなく立証」 傍聴人「書き方を工夫したほうがいい」 傍聴人「本人の口頭陳述書が認められるのか」 藤森「わからない。陳述書を見て判断するのではないか」 西山「書き尽くす。全部書く」 藤森「損害の部分も書いたほうがいい」 西山「それは恥かしい」 傍聴人「書かないとわからない」 藤森「精神的苦痛も」 傍聴人「400万ドルの慰謝料を請求すべき」 西山「慰謝料の請求はあまりやりたくない」 傍聴人「やったほうがいい」 傍聴人「それで西山基金を作ればいい」 【注】加藤裁判長の発言は、原告西山さんの「思い」を聞いて結審にしようとする裁判所の意図が感じられる。当初は原告の主張する、最高裁の検察の刑事記録の全面開示を被告に働きかけているような発言をしていた加藤裁判長が、被告の主張を受け入れ、「その必要性を認めることに躊躇する」と発言するようになったのは、吉野発言以後である。加藤裁判長の態度は原告に対して裁判の迅速を求めるものに変わり、それまでの双方の言い分を聞いた上で審議を尽くすといった進め方でなくなっているのは明らかだった。傍聴人の中には最高裁の判決に対して地裁が誤判の判決を下すことはできないのではないか、とか、圧力がかかっているのではないか、との指摘もあったが、藤森弁護士は「裁判官の勇気に期待したい」と述べ、そのためにも世論を盛り上げるしかない、と訴えた。 | ||||||||||
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