朝鮮の家
韓国の方は、日本の資本が入る前から朝鮮の家は瓦葺の大きな家であったと主張しています。
江華島条約が締結される2年前、シャルル・ダレによって書かれた朝鮮教会史序論で朝鮮の家の構造が書かれていますので、韓国の方々の主張が正しいのか検証してみましょう。
シャルル・ダレ1874年 朝鮮教会史序論より
あなたは、みすぼらしい茅屋というものを見たことがあるでしょう。では、あなたの知っている最も貧しい茅屋を、その美しさと強固さの程度をさらに落として想像してみて下さい。するとそれが、みすぼらしい朝鮮の住いについての、ほとんど正確た姿となるでしょう。一般的にいって、朝鮮_人は藁ぶきの家に住んでいます。都市でも田舎でも、瓦屋根の家はきわめてまれで、二百に一つもありません。人びとは、家を建てるのに、石で壁を造る技術を知らたいというよりは、むしろ多くの場合、そうするだけの金を持っていないのです。ふつうの場合、かろうじて、粗削りされた数本の木、いくつかの石、それに土と藁とが、家を建てる材料となります。まず、四本の柱を地面に打ちこんで屋根を支えます。横断しているいくつかの小梁に、対角線に交わる他の木をかけわたして蜘蛛の巣状にします。それが厚さ八~十ニセンチの土壁を支えます。小さな入り口は格子状の板張りで、ガラスがないので紙を貼って隙間をふさいでいます。これで、戸と窓の役目を同時に兼ねるわけです。部屋の床面は、中国やインドの茣座に比べればはるかに粗末なものでおおわれています。貧しい人は、しばしば、多少厚ぼったい藁を土間の上に敷いて地面をかくすだけで満足しなければなりません。金持ちの人びとは、紙を土壁に張りつけ、またヨーロッパの床板やタイルの代わりに、厚い油紙を床に張りつけます。二階建ての家は、探してもむだです。そのようたものを朝鮮_人は知らないのです。
室内に入るときは、まず履きものを脱ぎ、慣習に従って清潔さを保たねばなりません。部屋のなかでは、金持ちは足袋だけをはき、農民や労働者は、ふつう裸足のままです。屋内に入ったら、天井を成している泥土と枝木に頭をぶつけないように気をつけねばなりません。椅子を捜すのはやめて、むしろ茣座の上にしゃがんだ方がよいでしよう。国王自身も、宮中で拝礼を受けるときは、絨毯の上で、フランスのあぐらのように脚を交叉させて座っているのです。おそらくあなたは、口にした不思議なことどもを記録に留めたいと思うでしようが、机を出してくれと求めても無駄です。
朝鮮_人は、祖先の祭祀と食事用の小卓以外には机をもっておりません。だから、膝の上に手帖をおいて、このきわめて自然でやりやすいと思われている習慣のままに筆を運ぶしかないでしょう。
今は十一月、北西の風が乾いて澄みきった秋をはこんでくるので、床の上に座っていては、寒くて震えてしまいます。戸を閉めきりたくても、古い障子にあげられた無数の穴を見れぼ、そんな注意など無駄ごとだと分かるでしよう。それに、朝鮮の指物師たちの腕前では、まったく窒息死のおそれなどないほど十分に隙間がつくられているのです。その点に関しては、すべての欠陥を指物帥のせいにぼかりもできません。というのも、かろうじて十二ないし二十スーの金で、多くの場合、斧と鎌鑿だけを唯一のたよりにしてこしらえた戸が、どうして完全なものでありえましょう。
つまり纏めますと
渡辺篤史の建もの探訪
それではお邪魔します。
↓ 朝鮮の上流階級の家 ↓
さすが、200に一つも無いと言われた上流階級のお宅です。気品が感じられます。
↓ 朝鮮の中流階級の家 ↓
庶民の生活のぬくもりが感じられるすばらしい家です。
↓ 朝鮮の下層階級の家 ↓
厳しい生活の中にも、工夫が見られるすばらしい家です。
日本資本が入る前の朝鮮の家
これが正解!
写真は参考です。写真は正確に1987年頃のものではありません