韓国 【国語の教科書】 シリーズ5 尹奉吉 小学校5年生 | 559|共感1
65962| JAPANnisiokatuyosi | 2007.04.15 09:00:37
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2偉大な人々
(2)尹奉吉

尹奉吉義士が19歳のときのことだった。ある日彼は隣村へ行く途中、ひとりの若者にでくわした。若者は標識の抗をひと抱え持ったまま、彼に尋ねた。
「先生、文字を御存じですか?」
「ええ、少しは知っていますが……。」
その答を商いた若者は、抱えていた標識の杭をがらがらと地面に下ろして彼に頼んだ。
「先生、この中から、私の父を探して下さい。」
尹奉吉はあっけにとられた。
「いやこれは、共同墓地の墓標ではありませんか?」
しかし若者は、それには答えず、なおも頼みこんだ。

「先生、どうか私の父を探し出して下さい。」

彼は訴えるようなまなざしで見つめながら,地べたに散らばっている墓標をしきりにかきまわした。
「父は金先得と申します。父はきっとここにいるはずです。」
尹奉吉は墓標をかき分けて、金先得と書かれている墓標を探し出してあげた。
「これですけど……ところで、墓標を抜いたあと目印でもつけて来ましたか?」
尹奉吉がこのように尋ねると,若者は首を横に振り地べたにへたり込むなり慟哭してしまった。
「アイゴー、どうしよう?父の墓を見失った、すっかり見失ってしまったのだ!アイゴー、どうしたらいいんだ……。」
「文盲のせいだ!是が非でも、わが村からだけでも、この文盲はなくさなくてはならない。」

若者と別れて家へ帰りながら、尹奉吉はこう決心した。
尹奉吉は寺小屋で習っていた漢学の勉強をやめて、独学で新学問を学ぶことにした。お金が少しできると、ソウルヘ行く人に頼んで古本や雑誌を買って来てもらった。昼は汗を流して働き、夜は疲れた体で、かすかな灯の下で夜がふけるまで勉強した。
新たに買い込んで読んだ本は、民族を愛する彼の心をいっそう燃えたぎらせた。
そこで彼は、民族のためにまずやらねばならぬ仕事は、故郷の若者の目を開かせ、聡明な若者、民族のために働く若者を育てることだと決意し、夜学会を作った。
夜学会が初めて開かれた日、尹奉吉は集まった若者たちに熱っぽく語った。
「諸君、諸君も私も農民です、農民の息子です。われわれはみな貧しく無学です。貧しいから学べず、学べなかったから無学でいるしかなかったのです。だからといって、われわれはこのままでいることはできません。われわれはみずから、おのれの道を切り開いて行かねばなりません。そのためにわれわれは、学ばねばなりません。」
彼の話はハキハキとして力強かった。


このようにして始められた夜学会に集まる男女の学生は、少しずつ増えていった。
彼らを教えるために、尹奉吉は「農民読本」2冊を書いた。この本には農民の息子として土地に臨む姿勢と、農村指導者として学ばねばならない充実した内容が、はっきりと現れていた。


彼はそれらを教えるにとどまらず、実践に移した。そのために「月進会」「水岩体育会」のような団体を組織した。最初は冷淡だった村の大人たちもひとり、ふたりと尹奉吉の熱意に感動し、若者を訓練する「復興院」を建てるのに積極的に乗り出した。
「月進会」が手がけた仕事は、ひとつやふたつではなかった。夜学会を通した文盲退治、月に1回開く講演会を通した農民啓蒙、共同耕作、共同植樹、家蓄の飼育、消費組合の運営,保健衛生のための村の手入れ、貯蓄奨励などさまざまな仕事をした。
このような仕事を手がけながら、彼は自立精神を吹き込むことに力を注いだ。すべての会員がすすんで仕事をし、かせいだ金を貯蓄するように勧めたのも自立精神をつちかうためだった。
いっぽう、「水岩体育会」を通して彼は農村青年の体力を向上させ、協同心、団結心をつちかうことに多くの力を注いだ。村の前の、山の芝生にサッカーのゴールを立ててサッカーをするなど、この片田舎に新風をまき起こした。
尹奉吉が農村啓蒙と農村復興運動に力を注いでいた頃、光州学生運動が起こった。彼はこの噂を聞き、何名かの同志とともに、故郷の若者に芽生えた民族精神と独立精神を育てようとさらに努力した。
しかし、光州学生運動後、血まなこになっている日本の警察は、彼らの活動に監視の目を注ぎ、言いがかりをつけ始めた。尹奉吉の苦しみはたとえようもなかった。
「私がここで活動するのはどうやら限界にきたようだ。さて、どうするか?」
彼は毎晩同志たちと別れたあと、眠れぬ夜を過ごした。何日も夜を明かしたあげく、彼は次のような決心をした。
「夜学会と月進会の活動は同志たちにまかせて、ここを離れよう。

 

私は祖国の解放のために中国へ行こう。そして、この胸に民族を救う心の爆弾を抱いて旅立つのだ!」
こうして彼は、23歳の若さで祖国を離れ、亡命の途上についた。

1932年4月29日(天長節・昭和天皇誕生日)、中国の上海(虹口公園)でドカンという爆音が鳴り響いた。この音は、尹奉吉青年が日本の侵略者たちに役げつけた爆弾の爆発する音だった。この爆音こそ、わが民族の噴怒の音であり、独立を予告する音だった。尹奉吉は爆弾が破裂するや、力の限り叫んだ。
「大韓独立万歳!」
祖国で独立を待ちわびている同胞を思いうかべながら、彼は喉がはり裂けんばかりに叫んだ。
ドカンという爆音と万歳の叫び声は、アジア大陸はもちろん、全世界に広がって行った。こうして、わが民族が生きているということを全世界に知らしめたのである。
「中国の百万もの大軍ができなかったことを、韓国の青年尹奉吉がやりとげた。」
中国の総統蒋介石は、このように彼を称えた。
忠清南道禮山で農村復興の旗を高らかに掲げた尹奉吉は、異国中国へ行き、25歳の若さで、実に、中国の百万の大軍もできなかったことを、ひとりでやりとげたのであった。
韓国 小学5年国語教科書 87年
参考 韓国の教科書の中の日本と日本人

教科書の写真は2.4.7枚目

テロリスト尹奉吉

ポンキチ君


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nobody0728|04-15 10:19
こんな教科書で育つからデモで火炎瓶を投げるんだな。最もそれで警官を殺しても民族統一の英雄になれるんだからな。現代の話とは思えない。ところで私の中央日報の記事を扱った穏やかなスレが消されたんだが?もう一つ赤組のスレも消されているが。
 → dodoaakr|04-15 16:52
http://blog.naver.com/dlfqhsclaahf ===>3cm,,,,,笑わせた,,,,,wwwwww
ahonosakata|04-15 10:27
テロリズムの英才教育すげぇなwwwwwwwwww
oomononushi|04-15 10:57
日帝呪いの杭を抜く様に墓標を抜くw抜いた後、地図の基点が解らなくなる様に墓の位置が解らなくなるww訳解らなくなるのは、日帝の陰謀に違いないnida.Ψ<`∀´>Ψ
 → cyberdemon1|04-15 11:54
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
cyberdemon1|04-15 11:54
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハいつまでそのように住むはずなのか?
江沢民・前国家主席:歴史問題を永遠に言い続けよ! [3]
- 韓国 【国語の教科書】 シリーズ5 尹奉吉 小学校5年生 [6]
自爆打令する日本人たちの真正な自爆 [5]