1私の願い
金九

うっしっし
おまえの願いは何だ、と神が私にお尋ねになれば、私はためらうことなく「私の願いは大韓独立です。」と答えるだろう。その次の願いは何だ、とおっしゃれば、私はまた「わが国の独立です。」と言うだろうし、また、その次の願いは何かという三番目の問いにも、私はさらに声を張り上げて、「私の願いは、わが国、大韓の完全な自主独立です。」と答えることだろう。
同胞の皆さん!私、金九の願いは、これひとつしかない。私は、過去70年の生涯をこの願いのために生きてきたし、現在もこの願いゆえに生き、未来もこの願いを達成しようと生きていくことだろう。

独立なき国の民として、70年の生涯に悲哀と恥辱と苛立ちとを味わった私にとっては、この世でもっとも素晴らしいことは、完全に自主独立した国の民として生きて、死ぬことだ。かつて私は、わが独立政府の門番になることを願ったが、それは、わが国が独立国にさえなれば、私は、その国の一介の民草に喜んでなるということなのである。
なぜかといえば、独立した自分の国で暮らす貧者は、他人の下で生きる富者よりも多くの喜びと栄光と希望があるからである。昔、日本ヘ行った朴堤上の、「私は、日本の王の臣として富を享受するくらいなら、いっそのこと鶏林の犬か豚になりたい。」という言葉が、彼のまごころであったことを私は知っている。堤上は、日本の王が高い官位と多くの財を与えるといってもそれを拒み、死を甘んじて受けたが、それは「いっそのことわが国の死神となりたい。」ということだったのだ。

近頃、わが同胞のなかには、わが国がある大きな隣国の連邦に入ることを望む者がいるというが、私にはその言葉がどうしても信じられない。万が一、実際にそのような者がいたとしたら、その者は、正気を失った気狂だと言うほかない。
私は孔子、釈迦、イエスの道を学び、彼らを聖人として崇拝するが、彼らが力を合わせて建てた天国、極楽があるとしても、それが、わが民族が建てた国でないかぎり、わが民族を連れてその国へ入りはしないだろう。なぜかといえば、血と歴史をともにする民族というものは厳然と存在するので、わが身が他人の体になれないように、この民族が他の民族になれないということは、あたかも兄弟であっても、ひとつ屋根の下で暮らすのがむずかしいのと同じようなものである。
ふたつ以上のものが合わさりひとつになろうとすれば、一方は高く一方は低く、一方は上から命令し一方は下で服従するということが、根本的な問題になるのである。
これに対して、一部の、いわゆる左翼の連中は、血縁の絆で結ばれた祖国を否認し、いわゆる思想の祖国を云々しながら、血でつながれた同胞を無視し、いわゆる思想の同志と、プロレタリアートの国際的な階級の連帯を主張し、民族主義といえばあたかも、すでに真理の圏外にはずれた考えであるかのように言っている。実に愚かな考えだ。<中略>

世界じゅうの人類が、分け隔てなくひとつの家族となり生活を営むことは素晴らしいことであり、それは、人類の最高で最後の希望であり、理想だ。だがこれは、はるか遠い将来にでも望むことで、現実のものではない。四海同胞の偉大、かつ、美しい目標をめざして、人類が向上し、前進するように努力することは素晴らしく、また当然のことだが、それも現実から離れてしまっては意味がない。現実的な真理は、各民族が最善の国家を建て最善の文化をはぐくみ育て、他の民族と互いに交流し助け合うことだ。これが私が願う民主主義であり、人類の現段階におけるもっとも確実な真理である。
そこで、わが民族がせねばならぬ最大の任務は、まず第一に、他の干渉も受けず他に依存もしない、完全なる自主独立国家を建てることだ。これなしには、わが民族の生活が保障されないばかりか、わが民族の精神力を存分に発揮し、輝ける文化を創り上げることができないからである。こうして、完全なる自主独立国家を建てたのちの任務は、この地球上の人類が本当の平和と幸福を享受することのできる思想を生み出し、それを、まずわが国に実現することである。
私は、こんにちの人類の文化が不完全なことを知っている。国それぞれ、内では政治的、経済的、杜会的な不平等や不合理があり、外では国と国、民族と民族の間に猜忌、軋鞍、侵略、そして、その侵略に対する報復で大小さまざまな戦争が絶えまなく起こり、多くの生命と財物を犠牲にし、それでなおかつ、良いことがあるわけでなく、人心の不安と道徳の堕落はますます深刻になるいっぽうで、このままでは戦争の絶える日がなく、人類はついには滅亡してしまうだろう。そこで、人類には、新たな生活原理の発見と実践が必要になるのだ。これこそが、わが民族が担うべき天職と信じている。

このように、わが民族の独立は、決して三千里の国土、三千万の民だけの問題ではなく、実に全世界の運命に関する重大事なのだから、わが国の独立のために働くことは、すなわち人類のために働くことなのだ。
万が一、こんにち、われわれの暮しがみすぼらしいからといって卑屈になり、われわれの建てる国が、そのように偉大なことができるだろうか、と疑ったとしたら、それは、みずからを侮辱することである。わが民族のこれまでの歴史が、決して輝かしくなかったわけではないが、それは、まだ序曲に過ぎない。われわれが主演俳優として、世界史の舞台に登場するのは、これからである。三千万のわが民族が、いにしえのギリシャ民族やローマ民族がなしえたことができないと、どうしていえるだろうか!

私は、わが民族が世界を武力で征服したり、経済力で支配したりすることを決して望んではいない。ひたすら愛の文化、平和の文化で、われわれ自身が豊かに暮し、全人類が仲良く、楽しく暮せるようにする仕事をしようということだ。かつて、どの民族もそのような仕事をしたことがないからといって、それは空想だといってはいけない。かつて、だれもした者がいないがゆえに、われわれが成しとげようというのである。この偉大な事業は、神がわれわれのために残しておかれたものだと悟ったとき、わが民族は、はじめておのれの道を探し当て、おのれの仕事を理解したのである。私は、わが国のすべての青年男女に対し、過去のちっぽけで偏狭な考えを捨て、わが民族の偉大なる使命に目覚め、精神を磨き力を養うことを楽しみとするよう望む。
すべての若者がこの精神をたもち、この目標に向かってカを注ぐならば、30年も待たずに、世界の人びとは、わが民族に刮目して相対するようになるだろうと、私は確信する。

■作者紹介■
金九(1876~1949)朝鮮の独立運動家。黄海道の生れ。号は白凡。18歳で甲午農民戦争に参加。3・1独立運動後上海に渡り、大韓民国臨時政府樹立に参加、のちに臨政主席となる。アメリカ軍政庁に臨政の正統性を否認され1945年11月、一亡命者として帰国。アメリカや李承晩の南朝鮮単独政府樹立に反対し、終始一貫して統一朝鮮の完全自主独立を主張した。平壌での南北連席会議に参加した翌年・一軍人に暗殺された。自伝の『白凡逸誌』(平凡社刊)は名著として名高い。
参考:韓国の教科書の中の日本と日本人
人文系高校2 87年
まさに、宗教ですな
そして、偶像崇拝