なんとなく【南京事件】4 | 727|共感1
65313| JAPANnisiokatuyosi | 2007.03.31 16:50:32
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「南京事件って何?」と言う人のための講座です。

 

南京事件は、50万人虐殺説から幻説まで、唱える人によって、極端な違いのある事件である。
今回は、虐殺に至った要因の解明です。少し長くなりますが、お付き合いください。

何故虐殺が起きたのか
日本軍将兵が、南京攻略の途中および占領中に掠奪、強姦を行なったことは、多くの記録や証言で明白である。
しかし、これらは末端の部隊で個々にあるいは小集団で行なわれたもので、組織的、計画的なものとはいいがたい。
南京へ向かう進撃が速く、そのため兵站補給が追随できず、末端部隊において食糧などの掠奪(徴発)が起きた。
強姦については、東京裁判の起訴状で約二万件の強姦事件があったとしているが、判決では、数千人の婦人が強姦されたとして数を減らしている。
また、安全区国際委員会から日本大使館へ送付された暴行報告には、360余件の強姦に関する報告があり、参謀総長が異例の軍紀風紀に関する要望を発し、松井司令官が軍紀引き締めの訓示をしたことなどから判断すると、相当数(1000人単位)の強姦が起きたものと考えられる。
ここでは、個条的に主要な要因をいくつか列挙しておきたい。
①不明確な日本軍の捕虜対策
日本軍は、「戦争」ではなく「事変」であるという理由で、捕虜の取扱いについて明確な命令・指示を出していない。日中戦争は実質的に「戦争」であったのに、なぜ両国は宣戦布告を行ない、国際法上の戦争としなかったのか。
その理由は、「戦争」になると中立法規が適用されるため、交戦国である日本と中国以外の国は中立の地位にたち、その結果、第三国から戦争に必要な軍需物資を輸入できなくなるということにあったのである。
このため、第一線では、部隊により捕虜の取扱いがまちまちであり、解放、収容、殺害などの処置がとられた。たとえ戦争でないとしても、戦えは投降者が出るのは当然であり、この投降者をいかに扱うか明確な方針を示さず、第一線部隊に任せたことは日本軍の大失策であり、首脳部の責任は重大である。


②日本人の捕虜および中国人に対する蔑視感
日本人は捕虜になることを恥とし、同じ日本人でも捕虜になった者を軽蔑した。また、日清・日露戦争において多くの日本人が大陸に渡り、その体験から中国人に対する蔑視感が醸成され、日中戦争当時、多くの将兵はこの蔑視感を抱いて戦場に臨んだ。このような捕虜および中国人に対する蔑視感は、中国人捕虜の殺害に対して、心理的抵抗感や理性を麻痺させてしまった。


③中国軍の指揮統制力喪失と民衆保護対策の欠如
蒋介石をはじめ政府の要人は、一二月七日に南京を脱出し、南京防衛司令官の唐生智や市長、警察署長などの首脳陣も、民衆保護の処置をすることなく一二月一二日までの間に南京を脱出したため、残された軍人も市民も烏合の衆となり、悲劇を生む要因になった。
安全区委員長のラーべも、その日記に、中国軍、政府首脳に民衆保護の配慮がなく「数十万国民の命なんかどうでもいいんだ」と、怒りの言葉を記している。

 

(参考文献)
日中戦争史資料編集委員会編『日中戦争史資料 南京事件I・Ⅱ(河出書房新社一九七三)
鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』(文藝春秋一九七三)
洞富雄『決定版南京大虐殺』(現代史研究会一九八二)
青田裕『天皇の軍隊と南京事件』(青木書店一九八五)
秦郁彦『南京事件』(中公新書一九八六)
南京戦史編集委員会編『南京戦史』・『南京戦史資料集』Ⅰ・Ⅱ(一九八九から一九九三)
北博昭『日中開戦』(中公新書一九九四)
藤原彰『南京の日本軍』(大月書店一九九七年)
笠原十九司『南京事件』(岩波新書一九九七)
孫宅き『南京保衝戦』(五南国書出版一九九七)
秦郁彦/監修 佐瀬昌盛/監修 常石敬一/監修『世界戦争犯罪辞典』(文芸春秋社二〇〇二)
東中野修道『南京虐殺の徹底検証』(展転社一九九八)
板倉由明『本当はこうだった南京事件』(日本国書刊行会一九九九)
ジョン・ラーベ 平野胸子訳『南京の真実』(講談社一九九七)


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mmc2006|03-31 17:30
「・・・・ここに一言注意しおかざるべからざるは、支那兵自身日本軍入城前に掠奪を行いおれることなり。最後の数日間は疑なく彼らにより人および財産に対する暴行・掠奪が行われたるなり。支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には、種々の事件を生じ、その中には着物を剥ぎ取るための殺人をも行いしなるべし また退却する軍人及び常民にても、計画的ならざる掠奪をなせしこと明らかなり。すべての公の施設の機能停止による市役所の完全なる逼塞と支那人と大部分の支那住民の退却とにより市に発生したる完全なる混乱と無秩序とは、市をいかなる不法行為をも行い得らるる場所となし終われるなり。 これがため残留せる住民には、日本人来たれば待望の秩序と統制との回復あるべしとの意味にて、日本人を歓迎する気分さえもありたることは想像せらるるところなり。」(東京裁判・法廷証第328号)..
 → nisiokatuyosi|03-31 17:33
前のスレッドを読めば判りますけれど、被害者のほとんどは、捕虜の類ですからね
 → marz12aug|03-31 20:15
百済王は、日本で天皇の家臣になりました。
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