台湾日日新報(新聞) 1917.2.13-1917.2.16(大正6)
能率上より観たる支那人と朝鮮_人 ([一~四])
貴族院議員男爵 福原俊丸述
※(一)(二)(四)は略
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(三) 労働者としての朝鮮_人
次に朝鮮_人は支那人に比して体格も小さく、力も弱く、勤勉の程度も亦遥かに劣って居る。加之彼等の間には遊惰にして労働を厭う陋習が、今に至るまで依然として存して居る。
昨年大連に於て大豆粕が停滞して船の積込みに繁忙を極めた時、試みに鮮_人を連れ来って支那苦力の不足を補ったことがあった。其時偶然にも両者の優劣を比較する機会を得たが、支那苦力が早朝から夜陰まで、休息する暇もなくせっせと働くに反して、鮮_人は朝も遅く、昼も休み、夕も早く退いて、当局者をして甚だ困憊せしめたと云う事であった。
朝鮮に於ける一般鮮_人労働者の工銀は平均四十銭で、支那苦力より約十銭高く、又其の生活の程度も彼に比して遥かに高い。殊に近来は米を常食とする者さえある有様である。
平壌鉱業所に於ては工夫及び坑夫三千人を使役し内地人の一割を除くの外は悉く鮮_人である。現今鮮_人工夫一人一日の食費は約十九銭五厘を要して居る。之を撫順に於ける支那人坑夫の食費と比較すれば約二倍に相当する、又彼等は其の生活に必要なる一箇月の収入を約十二円と定め、若し一日の収入が即定の工銀よりも多く、一箇月に満たずして此の金額に相当するだけの収入を得れば、其の翌日から業を休むと云う悪習慣がある。
一般に朝鮮各地に於て使役されつつある鮮_人の給料は比較的高価である。今鉄道管理局に於ける内地人と鮮_人との平均工銀の比較表を示せば別表の通りである [図表あり 省略]
右の表を見るに、平壌工場の鮮_人火夫は一日七十一銭の工銀を給与されて居るが。元来火夫に必要なる技術或は知識は低くとも差支なく、特殊の場合を除くの外、他の技術を要する職工に比して、其の工銀は甚だ安きものであるにも拘らず、斯く高き工銀を支給されつつあるのは、戦争当時破格の工銀を以て雇入れられた鮮_人が、今に至るまで其儘勤続して居る為めである。
加之成る可く鮮_人を其の保護の意味に於て使役せんとする総督府の方針に基いて多少工銀が高くとも、従来勤続せる鮮_人を其儘使役して居る次第である。然らば此等の鮮_人は多額の貯金を持って居るかと云うに、実際はそれ程の貯蓄もなく、多くは浪費して居る。
之は戦争後引続いて残留して居る日本人職工が、その有り触れたる浪費の習慣を彼等に教え、又彼等も程度の高き日本人の生活状態を擬ねて遂に此に至ったのである。
併しながら此点に鑑みて、当局に於ては之が矯正に努めた結果、漸次彼等の間に貯蓄及び勤勉の風を養いつつある傾向が見える様になったのは喜ぶべき事である。竜山の工場に於ける統計を見るに、以前は二割以上に達して居た欠勤者が、近来は百分の五に減じ、又一箇年間の職工の出入の千人に対し百人乃至二百人であったのが大正四年度に於ては僅かに二十九人に減じた、且つ彼等の多くは相当の貯金を為し、今やそれを以て家屋を建築するものをすら見るに至った。
尤も一方に於ては鮮_人職工の工銀も成る可く低くすることに努め、現今に於ては其の単価を三十四銭乃至八銭位に引下げて居る。竜山工場の門番の如きは三十五銭の日給を以て家族七人を養って居る位なれば、之を以て見ても鮮_人従来の生活程度が左程高きものでないことが解ると同時に、自今或程度まで其の工銀を低減することが必要である。高粱湾塩田に於ては約一千人の鮮_人塩夫を使役して居るが其の平均工銀は[図表あり 省略]
右の表中、大正三年度と四年度との工銀を比較すれば約九銭五厘の差を示して居るが、之は同所の所長が、先年の米価の下落を好機として、鮮_人塩夫を集め、前記の通り工銀の価格を減ずるも鮮_人一日の従来の生活には亳も影響なき理由を説き、彼等をして快く承諾せしめた結果なそうである。