「先生・・・先生!!」勘兵衛の連日の稽古に耐えようやく武士らしい顔つきになってきた勝四郎が慌しく朝の道場に駆け込んできたのは、せわしなく鳴き続ける蝉の声も姦しい、初夏のある日であった。
あの戦いの後、勘兵衛は京にほど近い城下町に小さな庵を構えていた。無理やり弟子入りした勝四郎に稽古を付けつつ、近所の子供達に学問や武芸を教える。それは勘兵衛の生涯において初めての、落ち着いた穏やかな日々であった。
「勝四郎、はしたないぞ」やはりまだ子供だな。しかし、その気持ちを微塵も感じさせない顔で、毎朝の日課である刀の手入れをしていた勘兵衛は尋ねた。
「しかし、何がそんなにも大変なのかな・・教えてもらおう」
「何が・・何がじゃないんですよ、先生・・先生に役所から訴状があったと書状が・・・!!出頭命令ですよ!!」
「はぁ?! 出頭命令?!」
百戦錬磨の勘兵衛が、思わず素っ頓狂な声を出したことであった。
勝四郎の差し出した書状にはこうあった。
『勘兵衛殿 ○○村住人より、貴殿に対する訴状を受領した。よって、明朝当奉行所に出頭されたい』
○○村とは、あの時の戦で、先生と我々が命を懸けて守った村の名ではないか。感謝されこそすれ、何故このような・・?、事態は勝四郎の想像すら及ぶところではなかった。
「先生、それでどうなさるので」
「うむ・・・ 慮外の事とはいえ、従うしかなかろう。我々に恥じるところは一片も無いのだ。奉行所に行きさえすれば、疑いはただちに晴れよう」
すぐにいつもの表情に戻った勘兵衛が、しかしどこか不安気に呟いた。
そしてその翌日。奉行所の白州には、村人の雇ったと思われる小柄な公事扱いの男が訴状を携え待っていた。エラの張った四角い、小猾そうなその顔に、勝四郎は得も知らぬ不快感を打ち消すことが出来なかった。
彼の陳述による村人の申し立ては、纏めると大体次のようになる。
「命を削る思いで溜めた希少な米を収奪され、根こそぎ喰われた」
「平和な村を植民地とされ、地獄のおかゆされた」
「強制的に連行・徴兵された上、戦闘を強いられ多大な死傷者を出した」
よって、勘兵衛に対し多大な賠償金を要求するとの事だ。
「地獄のおかゆ」とは何なのか・・勝四郎には理解できなかったが、良い事ではあるまい。何にせよ、両者のまったく食い違う主張に対する調べは事務的に行われ、この日は来月の開廷日が指示されたのみであった。
何かの誤解だろうが、それにしてもひどすぎる・・我々七人は、命を賭けて彼らの為に戦ったのではなかったか。
先生、久蔵さん、そして菊千代・・・恩を忘れるどころか、自分の人生で最も大切なあの瞬間を、そしてあの死を冒涜するとは。村までは七日もあれば行ける。村人達の誤解を解いて、来月に行われる次回のお調べまでに戻って来れば良いのだ。先生は大丈夫とおっしゃるが、直接話して聞いてみるのが一番だろう・・勝四郎は勘兵衛に無断で○○村へ旅を掛けることを決意した。
急ぎとはいえ、若い勝四郎にとっては楽な旅だった。村まで、あとたった一日ほどである。多少ゆっくりしていっても罰はあたるまい・・ひなびた山道の茶屋で腹ごしらえをすることにした勝四郎は、ふと思いついて通り掛った樵に村の評判を尋ねてみた。
何故か樵の口は異常なまでに堅かったが、勝四郎が事情を話すと、気の毒に思ったのか彼は淡々と村について語りだした。
「ああ・・あの村の人たちな・・・・なんでも、別の国から来なすって・・いろいろあってあそこに住み着いたようじゃな。まあ・・・・お侍さんも、あまり関わり合いにおなりにならないほうがよろしい・・実は・・・」
その後の彼の話は、勝四郎の想像を絶するものであった。
何と、村を襲っていた野武士こそが、元々の○○村の住民だったのだ。そして、戦に出ている武士たちの隙を見て村を不法占拠し住み着いた連中こそが、あの百姓共だったのだ。その後、彼らは村で乱暴狼藉と略奪の限りを尽くし、命の綱の田畑はおろか、武士達の女房までを強引に奪いつくしたという。
武士達は、その悪辣非道な百姓共を倒そうと、村を必死に襲撃していたのだ。
「あの人たちはチョウ・・・じゃから」最後の部分は聞き取れなかったが、どうやらあの百姓共とまともに話をしても無駄らしい事だけは判った。
しかし、彼女なら・・
あの娘のことを思い出すと、勝四郎の胸は高鳴った。彼女に会いたいなどという不純な気持ちでは無い。先生・・そう、他ならぬ先生の為なのだ。勝四郎は自分に言い聞かせた。彼女に先生の無実を証言してもらおう。他の百姓共はともかく、彼女なら・・・もちろん彼女の家の場所は憶えている。
「志乃・・志乃、私だ」その家の窓を覗き込むと、勝四郎は他の家人に気付かれないように声を殺して、彼女を呼び出した。
「あんた・・・」
表に出てきた志乃は少なからず驚いた様子であった。が、その表情に喜びは隠し切れない。勝四郎は安堵して、思わず少し微笑んだ。
「嬉しいだよ、また会えて」
「私もだ、しかし今はそんな・・・」
「勘違いしたらいけないだ・・・いっぱいお金をとれるからだよ」
「あ?」
「あの時・・・おらを慰安婦として強制連行したあげく性奴隷として弄んでくれたね、お前も賠償するだ!!」
「何を言っているんだ志乃、私とお前は確かに・・私は今でも・・・」
「おらの体は高いニ・・・いや、高いだよ!!次はお前の番ニダァァ!!」
自分の言葉を遮り口から泡を吹きながら叫んだ娘の、その吊り上がった目を直視できずに勝四郎は思わず後ずさった。
(続くニダ)