
21世紀の現代でこそ、成功者の優雅な趣味として定着してきた感のあるマトボッククリ。最近では、日本のみならず欧米においても上流階級のコレクターも多く、交換会や鑑賞会等も行われているようです。
我々庶民としては羨ましい限りです。
【www.matobokkukuri.comより】
↑冷夏の影響も有り国産マトボッククリの高級品は、なんと750万円より!!とても我々には手が出ません・・・
しかし、将軍が日本を支配していたEdo時代においては、マトボッククリの収集は、優雅な趣味などと言えるものではありませんでした。それは正に、闘いでした。武士たちは、マトボッククリに栄誉と、家門の存続までを賭けていました。
そこには、現代に生きる我々には想像もつかない、もう一つのマトボッククリストーリーがありました。

現在良くみるタイプのマトボッククリと400年前のマトボッククリの比較(中級品)
当時の武士は、15才になると通過儀礼としてマトボッククリ狩りに臨むのが一般的でした。
もちろん、そう簡単にマトボッククリを得ることは不可能です。しかし、そこでマトボッククリを我が物にする僥倖を得た武士は、一生を約束されたも同然でした。

マトボッククリ狩りの正装(1700年頃のもの)
このため、武芸を省みず争ってマトボッククリ狩りに勤しむ武家が多く、また、これを巡る刃傷沙汰まで多発するに及び、当時の幕府は何度もマトボッククリ狩りの規制を命じています。

秘蔵のマトボッククリを将軍に差し出すことを拒み、城を爆破して果てたDaimyou(領主)・Matsunaga

マトボッククリをめぐる争いから切腹し、一家断絶となったDaimyou・Asano
後日47人の元部下が法に背き、市中堂々復讐を果たしたことで有名
そしてついに、兵学者・Yuiに扇動された市中の浪人が力を合わせ幕府の転覆を図るという、天下の大事件が起きます。

(写真はイメージ映像です)
この事件の資金源がマトボッククリであったことが判明するに及び、幕府はついにマトボッククリの全面的な禁止を決定。20世紀に至るまで、日本のマトボッククリ文化は暗黒時代を迎えることとなります。

幕府のマトボッククリ禁止令(天保の触書)
しかし、時代がいかに移り変わろうとも、日本人がマトボッククリにかける情熱と憧れは寸毫も変わることはありません。
そして、数百年後の子孫たちは、我々がマトボッククリに抱く思いを、どう評価する事となるのでしょうか。
その答えは、おそらくマトボッククリだけが知っているのかも知れません。
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