
本日は、日本人の醜い差別と闘いながら日本最強レスラーの座を掴んだ、誇らしい在日韓国人プロレスラー・郭光雄選手の歴史を、韓国の皆さんに紹介したいと思います。

吉田光雄、リングネーム長州力。
身長184cm
体重115kg
得意技・サソリ固め、バックドロップ、ラリアート
そして本名・・・・郭光雄。
今でこそ、彼は日本を代表する最強格闘技者として知られ大人気です。
しかし、この韓国人差別に満ちた日本で今日の栄光を築くまでには、厳しい戦いがあったのです。
吉田光雄(Yoshida Mitsuo)こと郭光雄は、1951年12月3日に山口市で生まれました。幼少時より韓国人ならではの優れた身体能力に恵まれ、日本人と喧嘩しても百戦百勝だった光雄は、専修大学へ進学。アマレス部に入部し、100キロ級の最強レスラーとして頭角を現すこととなります。
彼はたちまち、あらゆる大会で日本人相手に全勝。日本国内に敵無しとまで言われ、同部の主将を務めるまでになりました。この時期、72年のミュンヘンオリンピックの代表の選考がありました。誰もが当然代表だと思った彼ですが、ついに選出されることは有りませんでした。卑怯な差別主義者である日本人が、彼の抜群の実力により面子を潰される事を恐れたからです。
結局、彼は生まれ育った日本では無く、韓国代表選手としてオリンピックに出場したのです。
そしてその事により、一層の妬みや差別を受けることとなった郭選手。日本アマレス界では、すでに彼に活躍の場を与えられる場面は有りませんでした。
そんな彼に救いの手が現れました。格闘技の興行を行う会社、当時大人気を誇っていた新日本プロレスリングです。

《新日本プロレスのマーク》
「プロになれば、全てが実力の世界だ。国籍など関係無い。俺の力を生かす場所はここしか無い。」こう考えた郭選手は、新日本プロレスリングに入団しました。
しかし、それは日本人の卑劣な罠だったのです。郭選手への差別や陰湿ないじめは、止む事がありませんでした。

長州力(Chosyu Riki)という珍妙な名前に創氏改名を強要される

その上「こんばんわ、長州力です」というギャグを流行させられる

《郭選手をメスカブトムシと揶揄する絵》
・・そんな中、郭選手にプロとして始めてのチャンスが巡って来ました。
1979年、どうしてもタッグベルトが欲しい劣等な倭人レスラー・Sakaguchi選手に頼まれ、タッグパートナーとして「北米タッグ」王座に挑戦することとなったのです。当然、郭選手一人の実力で北米タッグ王者を見事奪取。
しかし、倭人を圧倒する実力を見せてしまった郭選手には、一層の差別的待遇が待っていました。なんと、卑劣な新日本プロレスは郭選手の実力を恐れ、八百長を強要したのです。
「二度と日本人に勝ってはいけない。守れなければお前を解雇し、お前が二度と試合が出来ないようにしてやる!」
その後郭選手は、生活の為、来る日も来る日も劣等な倭人選手の攻撃を一方的に受け、負け続けました。
そして、郭選手の運命を変えることとなる年、1982年を迎えることとなります。
メキシコでUWAヘピー級王座を奪取した郭選手に対し、相変わらず負け役を強要する倭人に、ついに彼の怒りが爆発したのです。
・・・郭選手はリング上で突然叫びます。
「俺は噛ませ犬じゃ無い!!」
噛ませ犬とは、残虐な倭人が闘犬を行う時、出場させる犬の闘志をかきたてる為に与える弱い犬の事です。
郭選手の恨が爆発した瞬間でした。
この日より、郭選手の快進撃が始まります。隠し続けた実力を思う存分に発揮した彼に敵う倭人レスラーは誰一人いませんでした。

《目覚めた郭選手の雄姿》

《倭人を一捻りする華麗かつ豪快な攻撃》

《必殺技・リキラリアート》
1983年 WWF認定インター王座奪取
1986年 世界PWFヘビー級王座奪取
1989年 日本人のトップ・アントニオ猪木から念願のフォール勝ち
1989年 IWGPタッグ王者戴冠
1989年 新日本プロレスの頂点・IWGPヘビー級奪取
1996年 日本最強トーナメント・G-1グランプリ優勝
彼のあまりに卓越した技術と実力を、卑劣な差別主義者の日本人達も、さすがに認めざるを得ませんでした。郭選手は、押しも押されもしない大スターとなります。

《IWGPヘビー級王座防衛に成功し、喜びのダンスを踊る郭選手》
そして2003年、ついに独立。自身で「WJプロレスリング」を旗揚げ、日本マット界を制圧したのです。WJプロレスリングは「日本マット界のど真ん中」とまで言われ、飛ぶ鳥を落とす勢い。日本の格闘技ファンに大人気です。
54才となった今日も、まだまだ人気・実力共に日本のトップを守り続け順風満帆の郭選手。Pride、K-1等の総合格闘技への挑戦も期待される所です。

《WJプロレスリングの最強戦士達》

《WJプロレスリング大成功の軌跡を記した本》
彼の興味深いエピソードはまだまだ有りますが、このへんで失礼いたします。
【韓国人の差別的投稿削除と戦う男・革命戦士watcher1の過去スレはここをクリック】