つらく哀しい・・・誰がじゃ! 11/24/03
ガセネタが蔓延しだしてから、「つらく哀しい」も同じように蔓延してきた。
時折、新聞の投書で見かけたり、自閉症カンファレンスでも同じような話を聞いた。
どれも話の内容としては、
「自閉症であるが、外見では分からない。そのつらさ、悲しさを知って欲しい」
ということだ。
でも本当か?
突然仕事中に片足切断したとする。
元々健常者だったのだから、その現実に直面し、はたまた困難にも遭い、
その日常は「つらく哀しい」だろう。
せっかく本土復帰を果たしたのに、米軍は出ていかない。
自分の土地がやっと手元に戻ると思ったのに当てが外れた。
そりゃあ「つらく哀しい」だろう。
頭脳明晰でも小児麻痺があり、びっこだ。
普通学級に通うことだって、何の不自由も無いのに、小学生のうちから寮に入り、学校に通う。
さぞや「つらく哀しい」ことがあっただろう。
しかし、アスペルガー症候群だからといって、(少なくとも私と妻は)つらくとも哀しくとも無い。
勝手に話を作るな!
今までの人生で、いろいろ困難もあったし、壁にもぶつかる。
だからといって、その原因がアスペルガー症候群の無理解のせいだとなぜ言えるのか。
パーソナリティーの問題か、部落差別か。それとも民族差別か?
学力の問題か、履歴の問題か。はたまた、くせっ毛のせいか。
自分に起きている問題が、何を原因としているのか。
もしそれが「周囲との関係不全」に原因があるとしたら、
「SAMの欠陥」と「想像力の欠如」を完備する、私と妻は絶対その原因を見つけられない。
原因を見つけられない(原因を理解できない)私と妻は、なぜうまくいかないのか不思議なだけで、
ミステリーの世界に入り込んでしまったような気がするだけだ。
そして、そこで得た教訓は「なんでみんなが巧く出来て、自分たちはダメなんだろう。」ってくらいで、
絶対「つらく、哀しい」なーんてことにはならない。
カナー型の子供達だってそうだ。周りの人は大変だろうが、本人はいたって幸せそうだ。
そりゃヒステリーを起こしたりする事はあるだろう。それは周りが抑制しようとするからだろう?
でも、野放しに育てるわけにはいかないしね。
そうか! 親としては、自分のつらさ悲しさを知って欲しいわけだ。
だったら、子供をだしに使わないで、正々堂々「私の子供は、普通に見えますが、障害児です。
こんなはずれの子供を持ってしまった私の不幸を知って下さい。つらさ哀しさを知って下さい」
ってプラカードに書いて首からぶら下げるんだな。
私は当事者が言うなら構わない。
しかし、勝手に大便・・・いや代弁されたんじゃいい迷惑。
この「つらさ哀しさ」の押し売りは、あつもの腫れ物扱いの逆差別だ。
だって、自閉症の子供達を一己の人間として見なしていないんだからね。
まさしく人権無視だ。
電車の中で一人の人間がいたとする。
彼がそこに居ることを当たり前のこととして、当然のこととしてその存在があることを認める。
別に非難する事もなく、気味悪がる必要も無い。
そこに居ることを認めて、黙っているだけでいい。
周囲の人間は、彼の内面に隠していることを知っているか?理解しているか?
特別に理解する必要は無い。ただそこに居ることを認めてやればいいだけだ。
彼がエイズだったらどうするんだ?
無理矢理抱きついて頬ずりしなきゃいけないのか?
彼がめくらだったらどうするんだ?
近くに寄って、頼まれもしない車窓の実況中継をするのか。
彼の両腕が義手だったらどうするんだ?
鼻くそがあるからといって、人差し指を彼の鼻の穴に突っ込むのか?
彼が自閉症だったらどうするんだ?
言っても聞かないから放任するのか?
それともスパルタが利くらしいという噂を鵜呑みにしてひっぱたくか?
私が見たところ、ティーチプログラムが今のところ一番まともそうだけどね。
まあ、大変といえば親を含めた周りの人間だ。そりゃときには悲しくもなるだろう。
そのときは、「子供はきっとつらく哀しい」なーんて言わないで、
自分が悲しいですーと何処かで相談してきて下さい。
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