解離 2        10/20/04
 
 
 
妻の「解離」は日常にある。
妻もすでに診断済みで、アスペルガー症候群の診断書を取ることができる。
 
 
 
妻が言うところの「解離」とはこの様なことである。
 
私達は「自閉症」の状態についてや、
定型発達の人たちは、物事をどの様に感じるのかを常に、日常的に考えている。
 
 
 
妻が考え事を始めると、目はうつろ。
どこか、焦点の合わない目をしたまま、じっと固まっている。
または、鍋をじっと眺めたまま台所で立っている。
 
と、この様な様子でいることが多いようだ。
 
とにかく、こんな時は頭の中で何かを考えているらしい。
 
 
しかし、外見では一般的な「考える」と言う姿とは程遠い。
 
そして、特徴的なのは、その時間である。
1時間や2時間をそのままで居ることがある。
 
あとで、「えぇっ、こんな時間?まだ30分ぐらいしか経ってないと思った」
と必ず言う。
 
 
 
定型発達であれば、考えると言うことは頭の中で、自分自身と話し合うことだそうだ。
(私も定型発達ではないので、頭の中で自分と話し合ったりしたことはない。)
 
 
 
この時の状態を聞くと、どうも「解離」としか言いようが無い状態なのだ。
 
つまり、頭の中は「無音」の状態であるらしい。
この時は、すべての行動が緩慢になったり、返事も上の空だったり、
返事の内容も後から確認すると出鱈目(その場限り)な事だったりする。
 
しかし、その「無音の状態」こそが私達の「考える」と言うことだ。
 
 
 
妻の場合、日常生活のなかに「解離」(無音の考える時間)があるが、
私の場合は、パソコンに向かっていたり、資料を読みふけっていたりするので、
外見上はまだマシなようだ。
 
 
しかし、実は私の場合は仕事中は熱中しているだけで、考えているとは言えない。
私が考えているときは、「テレビを見ている」時だったり、
「寝ている」ときなのである。
 
だから、考え事をしているのだが、テレビを1日15時間見続けていたり、
12時間寝続けていたりすることが日常にある。
 
仕事をしようと思うのだが、そんなときに無理にパソコンに向かったところで、
仕事は進まない。
 
どうも、そんな風に「考える」という作業をしているようだ。
 
 
 
話がそれたが、
妻の場合、その日常生活の中に、「記憶のない時間」「知らずに過ぎ去った時間帯」
があまりに多いことに気が付いた。
 
まるで2重人格だ。
ところが、その見えない時間帯にだけ存在する人格というものが無いから、
相対的に「解離」と表現するしかないと考えていた。
 
 
 
そこに、佐世保の少女の事件であり、斉藤学先生の指摘である。
 
 
 
 
私達が定義するところが、「解離」とするならば、
 
ここに、「解離」を体験する2名のアスペルガー症候群の大人が居る。
 
 
 
この事だけは否定させない。
 
 
 
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