棄民             12/21/03
 
 
36歳になるイトコの話をする。
 
彼は現在「ひきこもり」になっている。生活自体は自堕落ではないが、家から全く出ない状態だ。
 
 
彼は、トランプゲームの神経衰弱が驚くほど得意な、目がクリクリッとした利口な子供だった。
 
様子が変わってきたのが、中学生になってからだ。
あれほど利口だったのに、中学ではさほど成績が上がらない。
 
他のイトコは受験などとは無縁のまま、都立高校に行くのが定番だったのに、
遙か遠くの田舎から、18で単身上京し、縁ありここに嫁いだ母親は、教育にも熱心だ。
 
当時、社会的評価がひくーい都立よりも、私立大学付属高校を選び見事合格させた。
 
山手線の内側に住み、周りにはいっぱい都立高があるのに、彼はわざわざ電車に乗って通学。
ところが、母親の目論見は見事にはずれ、彼は推薦枠でも大学に進学できなかった。
 
 
このころ、大人しかった彼が初めて荒れた。
詳しい状況は知らないが、荒れたと言う噂が私にまで伝わるのだから、尋常では無いのだろう。
 
私はその時、彼の心情が分かるような気がした。
何故なら、私も同じような年代に、同じように悩んでいたからだ。
 
ひょんな事から、彼の両親から相談を持ちかけられた私は、彼に独立の場を与えることを勧めた。
 
彼は、都内の20坪に満たないような小さな家に、両親、妙齢の姉、60過ぎの叔母と暮らし、
挙げ句の果てに、その叔母と同室だ。
父親もそこが仕事場なので、まさしく一日中5人の大人が狭い場所にひしめいていた。
 
ところが、そのアドバイスは丁重に断られた。
 
母親には、次の計画がもう始まっていたのだ。
大学に行き損ねた彼に与えられた課題は、公務員になることだ。
それも、郵便局員がいいらしい。
 
今度は両国の公務員になるための勉強をする専門学校に通わせられた。
 
私は状況が良くなるとは思えなかったので、しばらく彼ら一家とは距離を置いた。
 
 
次に会ったのは、彼の姉の結婚式。
26になった彼には誰も近づかず、会話をするのは私だけ。彼の微妙な立場がよく分かる。
母親は、「今、パパの仕事を手伝ってくれてるの。コンピューターが得意だから助かるわ」
としきりに強調していた。
 
 
その母親が亡くなり、彼の本当の姿が漏れ伝わるようになってきた。
 
家業を継いだという話にもかかわらず、父親が廃業すると同時に仕事は無くなった。
収入が無いのに、サラ金で金を借り欲しいものを買う。
結局、父親が肩代わりする。そんなことを繰り返している。
 
姉や、義兄も初めは心配していたが、何を言っても彼の行動様式は変わらず、
今では極力係わり合うことを避けている。
 
 
 
こうして、彼は一族の中の「棄民」になった。
彼はなりたくてなったのではない。それは家族が、母親が望んだことなのだ。
そして今の彼が、その望んだ形の結果なのだ。
 
 
詳しく聞くと、18の頃か20の頃に東大病院の精神科で、なにやら診断を受けていることや、
一時的に何処かの施設に通所していたらしいので、うまくその証拠を揃え、書類にすれば、
幾ばくかの手当が貰えるらしい。
 
妻がそこまで調べても、父親も姉もそれ以上突っ込んで作業しないので、
未だに手当はもらっていない。借金の返済は、父親の年金頼みだ。
 
 
残念ながら、我が家もそれ以上突っ込んで係わり合わない。
何故か?
「自閉症」や「アスペルガー症候群」に属する人間が如何に頑固で、他人の意見を聞かず、
扱いにくいか、嫌というほど良く知っているからである。
 
 
朝日福祉ガイドブックの「続大人になった自閉症児」の中に、
ニワトリを整列させた人の事が書いてある。
 
つまり、相手に分からせるには、ニワトリまでも整列させるしつこさ、いやそれ以上が必要なのだ。
言っとくけど、それくらい大変な事だと肝に銘じる必要がある。(知ってたか?)
TBSの安物のテレビドラマのようにはいかないんだぜ。
 
もちろん、私もその「アスペルガー症候群」であり、一歩外に出れば鼻つまみ者であることは、
十二分に自覚しているつもりだ。
 
 
アスペルガー症候群は生まれつきだ。
 
しかし棄民はその家族が望んで作り出しているのだ。
 
 
ここで、「彼」の引きこもりの状態をおさらいしておこう。
 
毎日はきわめて健康的。 朝きちんと起床。朝食を食べ、夜はきちんと就寝。
昼夜逆転の自堕落な生活とは無縁。
 
日常で必要な物があれば、とっとと出掛け予算内で買い物を済ませ、何処にも寄らずすぐ帰る。
 
引きこもりとは言うが、隣近所の奥さんと話さないだけで、まるで主婦の生活そのものだ。
つまり、彼の生活様式の模範は母親だったんだろう。
 
カウンセラーのみなさん。安易に引きこもりと自閉症を結びつけないで欲しい。
勝手な解釈で誤った診断をして、可哀想なのはミスリードされる子供たちだ。
 
 
 
 もどる