自閉症協会 東京支部       3/3/04
 
 
日本自閉症協会 東京支部という組織がある。
自閉症の子供を持つ親たちの浄財によって運営されているはずであった。
 
その自閉症協会東京支部が、ある日突然言葉狩りの圧力団体に変貌した。
なんでも、ソニーエンターテイメントが、けしからん題名のビデオを発売すると言って、
猛抗議。
販売停止に追い込んだ。
次に、東芝EMIの黒夢と言うバンドの歌がけしからんと、バンドの解散に追い込んだ。
 
たいした成果だ。
しかし、そんな「言葉狩り」にどんな意味があるんだ?
昭和40年代からの「言葉狩り」を体験している私は、その意義を全く見いだせないし、
また、そうした経緯、正当性を知りうる場もない。
要は、言ったもん勝ちみたいなもんだ。
 
実際、協会の会員である親たちはそれらの行動を本当に支持しただろうか。
私が会員であるなら、絶対支持しないし、会員の中には私と同じような考えの人も居ただろう。
 
だが、現実には「言葉狩り」の圧力団体に成り下がった。
では、次の書籍に対してはどうするのか。
 
 
「子供の非社会的行動をしつけによって改善しようと、親子関係に強い緊張が継続し、
また虐待的な環境で育った場合(例えばドナ・ウイリアムズがそうである)には、
基本的な愛着の形成は非常に遅れ、積極奇異型の特徴を示すようになる。」
 
私は、試しにこの文節を自閉症協会東京支部のBBSに載せたが、誰一人反応しない。
 
積極奇異群と子供が診断されたのは、親の虐待のせいだとここではっきり
言われているにもかかわらずである。
何故か? 何故だ。 アスペルガー症候群である私には、一般人の群の考えは分からない。
 
 
では、上記の記述をしたのが、児童精神科を標榜する医者だとしてもか?
実は、日本の医者のレベルは悲しいかな今でもこのレベルなのだ。
 
これは学研の書籍にあり、これを書いた医者は、静岡大学教育学部の教授 杉山登志郎 である。
 
この教授は、ハッペや、ウタ・フリスを引き合いに出し、
「自閉症(アスペルガー症候群)は生まれつきの障害です。」と一応は言いながら、現実には
上記にあるような記述をする。
 
本質的な部分の矛盾を自身感じることが無いのだ。  つまり自閉症を理解していないんだよ。
 
例えば、杉山教授の書籍には必ず「大江光さんは自閉症です」と出てくる。
残念ながら大江光は自閉症ではないし、不満なら大江健三郎に確認すれば簡単だ。
 
ところが、杉山の頭の中では、大江光は自閉症でなければならない。
同様に、「私の親しい友人で、アスペルガー症候群のニキリンコ」については、
上記の学研の書籍でも取り上げているし、それどころかアスペルガー症候群のモデルとして
常々ニキさんのアドバイスを受けている。
 
つまり、杉山登志郎は大人になった自閉症(アスペルガー症候群)を見たことが無かったのに、
自称アスペルガー症候群のニキリンコの話を頭から信じ込んでいるのである。
 
この杉山登志郎は、最先端の自閉症理論の表面的な「用語」だけを運用しているだけで、
その根本である理論は全く理解していないことが明白なのだ。
 
 
例えば、ニキリンコはこの様に言っている。
「私は、アスペルガーにいつもは見えるのだが、スイッチが外れるとカナー型に見えるように
なってしまう。そのスイッチはいつ切り替わるか分からない。」
 
この発言は、ニキリンコがSAMが完備していることが分かる。
さらに、取材に対してスチールカメラマンの要求に応じることから、EDDも十二分だ。
その他にも、その指摘の種は尽きない。
 
にも関わらず、杉山登志郎は今でもニキリンコを自閉症と信じている
或いは、信じたフリをしている。  不思議だ。
 
まあ、大学教授は今や小学校の教師より多いというから、こんなのが居てもしょうがない。
 
 
 
ところが、怖い話には続きがある。
この杉山教授はなんと「あいち小児医療センター 小児精神科部長」となって、
子供たちを診察して、場合によっては診断をしているのだ。
 
これは恐怖だ。
私は名古屋で死にそうになったら、とにかく新幹線で京都か東京へ脱出する。
自閉症らしき子供を連れた親御さんもそうしたほうが身のためだ。
ナンマイダブ、ナンマイダブ。
 
 
 
参考書籍 「個人的な体験」大江健三郎   「子どもの脳が危ない」福島章PHP新書
「アスペルガー症候群と・・・」杉山登志郎 学研
 
 
 
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