【雑草】日本なんて大した事ない? | 1426|共感1
1723863| JAPANochimusha | 2008.12.04 06:06:38
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*これは以下の関連スレです。
【混乱】Wikiで秀吉の「明」征服?
日(http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1977853)
韓(http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1977853)
  1. 記憶能力の制約上、本人が何一つ憶えてないのは仕方ないけど、このやり取り以降考えてたネタなんですね。
  2. もうね、未だに「日本人は韓国人より民族的に絶対的に優れてる」なんて本気で信じてるのなんて、こんなのばっかですって。哀しいけれど、本当に区別なんてないと思い知らされました。

私が韓国人なら、下手に「反日」に走るより以下みたいな歴史観を日本人に押し付ける事を考える方に走るのに・・・とふと思ったもので投稿(面倒な人は太字の部分だけ読めばよろいかと)。

所詮、日本が世界市場に繋がったのは銀の有数の産出国となって以降である。スペイン・ポルトガル帝国没落後「オランダ海上帝国」がアジアの覇者となると、イギリスと断交してオランダとのみ通商していた。この時代には開国していてもあまり良い目には遭わなかった。
  1. 「南蛮人=スペイン・ポルトガル帝国」帝国との交易なしに織田信長と豊臣秀吉の天下は語れないのでは日本でも常識なんんじゃなかろうか。

  2. そもそも何故日本人は「イギリス」と言うか? それまでアジアの覇者だった「南蛮人=スペイン・ポルトガル帝国」の「スモール・ブリテン(かろうじてウェールズ併合には成功しつつあったものの、スコットランド併合にはまだ成功してなかった頃の英国)」の呼称の影響ではないのか?

  3. そもそも何故日本人は「オランダ」と言うか? スペイン・ポルトガル帝国の全盛期、彼らが「三別抄の乱」の如き反乱者集団に過ぎなかった頃、まだ国名もなく「ホーランド州辺りから来ました」としか名乗れなかった時代の名残ではないのか?

  4. スペイン・ポルトガル帝国はオランダ人とイギリス人を「海賊」と呼んで軽蔑していた。当初は彼らのアジアにおける主要貿易航路(「メキシコーマニラ間」「マニラーゴア間」「マカオー長崎間」「マカオーゴア間」といった銀収奪を主目的とする輸送網)を私掠船で脅かす存在に過ぎなかったからである。しかしやがてオランダはマラッカ(元々は明国の「鄭和の大航海」以降国際交易拠点として浮上してきた地域であり、それが西洋からの進出勢力の影響下に置かていく事は琉球王朝の没落に直結していた)、イギリスはコルカタ(「アンボイナの虐殺(1623年)」以降アジア進出を諦めてインド進出に専念)辺りに拠点を置いてアジア権益の本格奪取に着手する様になっていく。徳川家は最初こそマニラに「外洋船の製法を伝えてくれないか」と強請るなど積極的海外展開に色目を残していたが、やがてこの路線をきっぱりと諦めて日本人の海外渡航を禁止する政策に切り替えた。もしそうしていなければ多分「オランダ海上帝国の手先」に成り果てていたと思われる。その兆候は既に海禁政策実施以前から現れていたのである。

  5. あたかもモンゴル帝国がユーラシア大陸を席巻していた時代の鎌倉幕府の如く、幸か不幸か朝鮮王朝はこういう時代の流れから完全に取り残されていた。例えばそれは当時朝鮮王朝に漂着したオランダ人ヤン・ヤンセ・ウェルテフレー (Jan Janse Weltevree) に関する日本からの「で、その人物はカソリックの南蛮人かプロテスタントの赤毛人か?赤毛人なら引き取るが南蛮人なら御免だ)」という問い合わせに対して「そんな事確かめてない」としか答えられなかった経緯を見ても明らかである(日本では東洋文庫版「朝鮮幽囚記(ヘンドリック・ハメル著)」に収録された添付資料として読めるが、ハングル版にも収録されているかは不明)。

  6. もっともイギリス人(「侍ウィリアムズ」によれば「ウィリアム・アダムス(三浦按針)」が何故イギリスであまり人気がないかというと「日本権益をオランダ人に売り渡した売国奴」という当時のレッテルのせいだという)もオランダ人(旗本として活躍した三浦按針に次いで「南蛮旗本」の異名を継承し外様大名や海外動向の報告を担当)も自国に都合の悪い話は日本人に伝えなかったので当時の日本の世界認識は相応に制限されるもまた大きく偏ったものだった事は否めない。

やがて大英帝国がアジアの覇者となったが、オランダがその事実を可能な限り伏せようとし続けた事もあって日本は朝鮮王朝同様「世界史から置いてけぼり」になりかけた。
  1. コルカタだけでなくボンベイやマラカスにも商館を置いたイギリスは、まずフランス絶対王政と激しく対立し、ベンガル権益を巡るプラッシーの戦い(1757年)の勝利をもってインド権益奪取に成功した。この時の無理がたたってアメリカ植民地の独立という事態を招くがそれによって致命的に衰退する事もなかったのである。

  2. 対ナポレオン戦争当時にはマラッカを接収して「オランダ海上帝国」の覇権を終わらせる事に成功した。この時接収した領土はナポレオン戦争後返還しているが、それまでのどさくさに紛れて建設したシンガポールがやがてこの海域の中心となっていく(こうしてみると「マラッカの海賊」には没落を余儀なくされた対岸の「旧オランダ領民」による「伝統に基づいた」報復という側面もある気がする。少なくとも「シンガポールの繁栄に貧乏な隣国が嫉妬する地政学的構図」は歴史のこの段階において準備されたのである)。

  3. もっともこうした流れに完全に日本が取り残されていたといったら嘘になる。例えば文化5年(1808年)において既にイギリスのフリゲート艦が長崎へ侵入してオランダ商館の引渡しを要求する「フェートン号事件」を経験しており、この時長崎を警備していた肥前鍋島家(「葉隠れ」で有名だが、戦国時代において一貫して隣国のキリシタン化に抵抗し続けた家系の流れも継承する武骨な側面も有する)では雪辱を晴らす為に一足早く産業革命が始まっている。その結果黒船来航の前年である1852年には既に反射炉が稼動し、幕府が大船建造の禁を緩和した1853年には早速オランダに軍艦が発注されて日本最初の蒸気船「凌風丸」が進水し、明治維新直後の内乱において「アームストロング砲と最新式連発銃をもって旧砲と火縄銃しか装備してない反乱軍を粉砕する」事態が現出する事になったのである。「秘すれば花」をモットーとする家風故か幕末においても最後の最後まで「武装中立」を固持し続けたが故に彼らが明治維新において果たした役割は今日なお日本でそうは高くない。しかし「最後の将軍」徳川慶喜の回想録においても折りにつれ彼らの動向を意識し続けたという証言が残されており「列強に付け込まれる様な武力衝突の抑止力」として十分機能していたであろう事は想像に難くないのである。

  4. また既に18世紀初頭の寛政時代からシベリアを制したロシア南下の脅威にさらされてきた事もつけ加えておかなければならない。良く「黒船が来航してなかったら日本の『鎖国』はまだ当分続いていただろう(勝海舟が回想録に残したとされる言葉)」といった事も言われるが、実は同時進行で「ロシアへの門戸開放特にプチャーキンとの交渉は黒船艦隊との交渉とほぼ同時進行だった)」や「琉球王朝の対英仏門戸開放一旦は挫折したが黒船艦隊の寄港によって結局は実現)」が秘密裏に検討されていたのが当時の日本の状勢であった。

  5. また当時見る影もまくなっていたとはいえ「南蛮旗本」オランダは敵と目する英米の動向については比較的余すことなく伝え続けてきた(帝政フランスに本国が降伏して一時期は世界にオランダの旗が立ってる土地が長崎の出島の他には数カ所しかなかった時期もあったことかはあくまで隠し続けたが)。これによって阿片戦争の推移などもちゃんと伝わっていた事も大きかったといえる。「世界の標準語が今やフランス語でもオランダ語でもなく英語に推移しつつある」事にも一部の人間は既に気付いており、その為に英語の勉強を始めた事が後に役立った代表格が福沢諭吉である。最も外国人から電灯を見せられて「欧米じゃガルヴァリ力が既に実用化されている」といった驚き方が出来たのはオランダ語文献の御陰であった事は言うまでもない。

19世紀後半の日本においては結局、フランスが応援した幕府勢力でなく、英米が応援した「薩長土肥」を中核とする倒幕勢力が勝利を収めた。それでは日本を「開国」させたアメリカは? というと南北戦争勃発によってこの地で繰り広げられた権益争奪戦からの離脱を余儀なくされてしまっていた。この時アメリカがアジア進出の足掛かりを得られなかった事は後のアメリカの戦略に大きな影響を及ぼす事になる。
  1. 列強の目が最初にアジアに向いた契機は清国統一に成功した順治帝に続く康熙帝・雍正帝・乾隆帝の三代の繁栄と、この時期における大英帝国の貿易面での圧倒的なまでの敗北にあった。大英帝国は国内における茶と陶器の需要を満たす為に莫大な量の銀を清国に対して吐き出さざるを得ず、その事に対する苛立ちからインド産の阿片密売を黙認したり、クリミア戦争後のパーマストン卿による軍事改革を経て海外派兵力の大幅増強が図られる様になっていく。これとナポレオン三世の登場後本格化したフランスの海外領土獲得運動が重なった時、やっと「第二次阿片戦争(第一次阿片戦争では派遣可能な陸上兵力が少なすぎて中途半端な成果しか得られなかった)」が遂行し得た次第である(そういえば、倒幕勢力の中心となった西藩の多くも陶器の産地である。詳細は不明ながらそれまで倒産直前の収支状態だったこれらの藩が幕末息を吹き返し得た背景には当時の大英帝国における未曾有の陶器ブームの影響もあるかもしれない。現時点では「何か密貿易して稼いでいたらしいが詳細は不明」程度の事しか分かってないのが現実であり、薩摩藩のように対清国向け海産物の輸出といった別の武器を有していた藩もある)。

  2. 2回に渡った阿片戦争の結果、シンガポールと香港が主要寄港地として急浮上してきた。これは港湾利用料の急騰を意味したらしく次いで目を付けられたのが朝鮮王朝と琉球王朝である。もし後手に回ったアメリカが独自の捕鯨幼補給基地を求めて黒船艦隊派遣という大博打に打って出なければアジアにおける『開国圧力』はこの線で進められていた可能性が高い(その場合、『鎖国』の風土がより濃厚に残って後に日本を席巻した「内地雑居問題」はさらに複雑化していただろう・・・そういえば大韓帝国に相当の問題があったという記憶がない。何故だろう?)。

  3. ところで『黒船艦隊』は本来15隻で編成されていたが、4隻しか現場に到達し得なかったという意味では大失敗も良い所だった。その程度の艦数で間違えて「フェートン号事件」の復讐に燃える佐賀藩が国内生産のアームストロング砲で針鼠状態に武装した長崎を『急襲』していたら確実に撃退されていただろう。それでも幕府がこの件を重視したのはオランダの密告でその全貌を知りその本気度に恐れをなしたと考えざるを得ないのである(井伊直弼の周旋で黒船艦隊再訪時までには関東にも相応数のアームストロング砲が配備されていたとする説もあるが、むしろそれを誇るより到底生産力が追いつかない日本の後進性を思い知らされただけだったに違いない。ちなみに薩英戦争(1863年)において英軍が武器工場を主要標的としたのを見てもこうした日本の側面はその後すぐに列強に知れ渡ってしまったものと思われる)。

  4. ちなみに当時のアメリカがこんな大博打に打って出た背景には米墨戦争に勝利した強行派のフィルモア政権が次に打つ手に困って今度は「太平洋に進出」というスローガンを打ち出したという事があった。結局「これ以上の強行路線の継続は無意味」という国民の裁定が下り、黒船艦隊が日本に到達した頃には既にフィルモア政権は斃されてしまっていた事を思えば、そういう意味でも「駄目駄目艦隊」だったのである。「我々に対して最初に開国したら色々便宜を図りましょう」と甘言を弄しながら、その後のフェイドアウトしてしまった事も含めて色々言いたい事はあるが、再びアメリカ国内で強硬路線が盛り上がってきた時にはハワイとフィリピンが植民地化された事を思うとその駄目っ振りに救われた側面もなくはないといえる。

  5. その後アメリカが「中国門戸開放政策」を提唱し始め、日本だけが素直に山東権益の放棄に応じると(トラブルばかりで益がないので見捨てただけとも考えられる)、いきなりこの地方でアメリカ市民を大量に含む外国人拉致事件が起こって大騒ぎになった(用心して近付かなくなった日本人の被害者は皆無)。これまで「山東省返還運動」を主導してきた「反日アメリカ人」のグループは「中国人匪賊の方が本物の蛮族たる日本人よりよっぽどましだ」と苦しい言い訳を残しているが、こうした振る舞いが東アジアにおける反日の源流に存在する事を中国人や韓国人は決して忘れるべきではないだろう。ちなみに彼らは山東半島同様ドイツから接収したサイパン島やトラック島についてもアメリカの喉元に突き付けられた匕首の先端」と呼んで非難している。こうした運動が「(日本を攻撃すると自動的に英国を敵に回す)日英同盟破棄」を通じて太平洋戦争の遠因となったと見る向きもある。

  6. ところで実は黒船艦隊は「日本が開国に抵抗するなら琉球王朝と小笠原諸島を武力で争奪しても良い」という密命をあずかっていたとされる。実際15隻艦隊がそのまま到達してたら不可能ではなかったかもしれず、この「悲願」は皮肉にも日本敗戦後に達成されたりしている。この事についてどう考えるべきかまでは正直言って良く判らない。

一方、大英帝国のアジアにおける覇権に影が差したのは、ボーア戦争の泥沼化によって海外派兵力が大幅に低下して以降である。従って義和団の乱(1900年)平定も宿年のライバルたるロシア帝国と新興国たる日本に任せざるを得なくなり、かつまたその後のアジア地域におけるロシア勢力の伸張を抑える為に日英同盟が必須となり、その結果日露戦争が不可避になっていったのだった。
  1. 実はここでいう「清国領土内におけるロシア帝国の伸張」はロシアと清国の間に結ばれた密約の結果でもあった様なのだが、そんな事は英国も日本も知らなかった。まさか当時の清国が「ロシア帝国を迂闊に信用して沿海州を奪われた教訓」から本当に何も学んでいないとは想像だにしていなかったとも考えられる。

  2. イギリスはボーア戦争の泥沼化で本当に衰弱していたので、日露戦争に際しての資金援助も十分には出来なかった。それを補ったのがアメリカ資本である。この時にアメリカ側の借款取りまとめ役を務め、のちに大日本帝国から勲章を付与されたヤコブ・H・シフなる人物はリーマン・ブラザースやゴールドマン・サックスの源流に位置付けられる人物でもある。これらの会社をアメリカが救済しなかった事から何を読み取るべきかまでは私には分からない。

  3. 日本ではそのシフが勲章受章式典に出席する為に来日した際に残した日記が刊行されており、その後書きで「日本は借款の対価としてアメリカ・ハリマン帝国の満州進出を支援する事になっていたが、戦後その約束を反故にした。この事が太平洋戦争の遠因の一つとなったうろ覚え)」といった指摘が為されていた。ちなみにシフはこの時その「約束の地」たる満州を尋ねているが、途中通貨した朝鮮の印象をほとんど書き残していない。韓国人にとっては認めがたい事実だろうが、歴史のこの時点において多くの国が「朝鮮で手を打ちませんか?」「ふざけるな!!」といったやりとりをしているのを見るにつけどうしても「粗品」とか「満州の盲腸」という言葉が浮かばざるを得ないのである、朝鮮民族史学の創始者とされる申采浩でさえ当時は「朝鮮半島単体で論じてても駄目だ。満州もセットでないと」と考えてたくらいだから、そうした意識は後の朝鮮地区住民にも根強かったものと思われる。

結局、その後のアジアでは「ロシアの外モンゴル統治」「アメリカのフィリピン統治」「日本の朝鮮半島統治」を相互に認め合う事でやっと小康状態に到達する。ただしアメリカのみが未だ中国進出の足掛かりを有しておらず、やけっぱちになって「アジア秩序再編成」を叫びだした事がその後の中国における紛争の火種になっていったのである。
  1. 第一次世界大戦(1914年〜1918年)で最も得をしたのはアメリカと日本である。前者が「大成金」だとすれば日本など「小成金」に過ぎないという議論は日本国内にもあったが、その後訪れた大不況から最も立ち直りが早かったのは日本だった。何故ならロシア帝国が革命によって衰退した後、中国市場を手に入れたし(その獲得には高麗人参の産地であり繊維業界の勃興が目覚ましかった朝鮮資本家も奔走した)また米国本土やインドなどの植民地でも大きくシェアを伸ばす事に成功したからである。日本が工業国への完全脱皮を果たしたのはこの時期の事で、こうして新興工業国として世界経済に連なる様になった事もまた後の太平洋戦争の遠因の一つとなっていった。

  2. 日本の民間資本が朝鮮半島開発に活発に回される様になったのもこの時期以降の事である。特に日本本土の工場ではコストパフォーマンスの合うものが生産できなくなりつつあった中国繊維市場への進出において朝鮮半島は大きな役割を果たす事になった。

  3. この傾向は第二次世界大戦後の米ソ冷戦時代初期にも継続される事になる。「ドミノ理論」において「アジアで最後に斃れる駒」と目された日本に対して「最初に斃れそうな駒」の一つに目された李承晩政権を支えたのは日本統治時代同様に地主・資本家および旧植民地官僚だったし、そこで栄えた「三白産業」の一角を形成したのはやはり繊維産業だったのである。こうした韓国が今度は自発的に戦後日本を見習って工業国への脱皮を果たすのは朴正煕政権時代に入ってからの事となる。

正直、個々はこれまで単発で投稿してきた内容に過ぎませんが、なんとなく「烈士の認めたがらない小日本史観」の集大成になってる事に気付いてまとめなおして見ました。果たしてこれにも「自虐史観」というレッテルが貼られてしまうのでしょうか?

こうしてみると日本は「銀の吸い上げ元」「ボーア戦争泥沼化による大英帝国衰退後のアジアの憲兵」「列強を脅かす新興工業国」という段階を経て今日の「先進国の一員」という立場に到達したという意味では「満州の盲腸」「大日本帝国の手先」「ドミノ理論における『最初に斃れる駒』の生存者」「列強を脅かす新興工業国」という手順を辿ってきた韓国と「圧倒的な差を認める事も不可能ではないが、少なくともそこに絶対的な差はない」というそうです。

次に韓国を待ってるだろう事」を考えると憂鬱になりますが…まぁそれはそれ。こうしてみると日本もそんなに器用な方じゃないのは明白ですし。
IP xxx.17.xxx.100
glium02|12-03 15:13
読む作業を中間にあきらめた....! 非常に重要な内容なので奮闘したが..^^^^
 → ochimusha|12-03 15:22
正直、「赤組壮士」の語る歴史観が余りにも情けないので、「こうも考えられるのに何をホルホルしてるの?」と問うのが主目的だったので…
 → ochimusha|12-03 15:29
こうしてみると日本の「壮士」もあんまり歴史上重要な役割を果たしてないのですね。なんか「調所笑左衛門>島津斉興」になってたりとか、妙に琉球の扱いが大きかったりとか、アメリカが本当に馬鹿みたいとか、俯瞰してみると細部に関しては我ながら「めまい」を感じる箇所が多いです。
secret_object|12-03 15:25
内容はいいけど、少し量が多すぎたかも。これ、機械翻訳したら、意味通じないところが沢山出て来そう・・・。
 → ochimusha|12-03 15:33
批判的に継承してそのうちすっきりまとめ直したいと考えてます。
 → secret_object|12-03 15:35
お待ちしてます^^
serra30|12-03 15:28
ochimushaさんは maniaですね.ところが, ドミノ理論において最初でピェマルの生存者? がムスントッなのかお知らせ下さい下で 5番目行です.
 → ochimusha|12-03 15:31
「ドミノ理論で最初に」…うろおぼえですが「同民族の共産主義政権」に対する「韓国」と「南ベトナム」が筆頭に挙げられていた気がします。
 → serra30|12-03 15:32
ドミノ理論は分かるんです..^^..( 教科書にも出ていたし..)..ピェマルの生存者..でピェマルが何か言ったが..ピェマルが何やら分からなくても意味は通じますね^-^
 → ochimusha|12-03 15:40
「ピェマルの生存者.」…どちらかというと「開発独裁」理論の話になりますが、ほとんどの政権が冷戦終結によってアメリカが資金投下を打ち切ると潰れてるんですね。それを指したつもりです。
 → serra30|12-03 15:44
あ..^-^ そんな意味でしたね.アメリカにおいて独裁が良かったはずだというのは, 中南米とドル, 韓国はよく分からないです. 5共和国時にも初めにはアメリカと韓国は疎い状態でした.ミサイル多量購入してくれ終わるから..新しい独裁政府をアメリカも認めるが..また一方にキム・デジュンさんを物心両面支援したこともアメリカだからです.( そこはどんな計算になったのか分からないが..)ノ・ムヒョン前大統領をベネズエラのチァベスで勘違いしたのが共和党のようで..サミュへホンティングトンを始じめ..中国の脅威の下置かれた ¥" 韓国¥" であるというイメージも, 誇張された的な ¥" 中国¥" を作り上げる誘惑に陷った gameではないかそのように思いました.(このごろにはそんな報道あまりないが)ヒラリーが国務長官になってもそのようなことが起こるかは知りたいです
 → ochimusha|12-03 17:07
多くの国が「援助金寄生経済」しか構築し得てなかったという事だと思います。「少なくとも韓国はそうではなかった」は胸を張って主張して良いかと(ただし李承晩政権にはちょっと怪しいところがある)。
serra30|12-03 15:31
BoA戦争泥沼化による大英帝国衰退後のアジアの憲兵-にあたる句節が大日本帝国の手先みたいだが. その以外にも冷戦時代には, 英米式資本主義の優越性を立証するための場所 vs 我らの方法の民主化の戦地であったことです.
 → ochimusha|12-03 15:36
「手先に選ばれた国がずっと手先でいた験しはない」という真理を背景に感じます。日本も中国進出に際して台湾と韓国という「ライバル」を抱える事になりました。
 → serra30|12-03 15:40
手先に選択された私とずっと手先で效験しない>と言えば, 浮び上がることは cuba..orz..,手先でアメリカに 100年前に選択されたが, 手先で效験しないせいに( むしろカストロが争ってイギンタッに ¥" 勝利!¥" に突変) やって..マングチョがギもするのです.私悪い, 外勢! 外勢!..とあまり洗脳されても良くないが..¥" 大馬不死¥" も良くないのですね.均衡感がなければならないようで..
 → ochimusha|12-03 16:14
ま、「16〜17世紀頃はオランダの手先となるより『鎖国』が賢明だった」で良いかと。
serra30|12-03 15:36
満洲の盲膓盲膓と言うのはどんな意味で? 「朝鮮で手を使わないですか?」 「いたずらをしないでね!!」という交換をしていることを見たらどうしても 「粗品」と「満洲の盲膓」と言う言葉が浮び上がらざるを得ないことである, 朝鮮民族史学の創始者に思われるシン・チェホさえ当時は 「韓半島団体で論じてもだめだ.満洲もセットではそれとも」と思っていた位だから, そういう意識は後の朝鮮地球住民にも根深かったことだと考えられる. -------------------------------------------------------------------------------- 疑問を持っているのに, 満洲なら, 地政学を扱った本では普通.. 中国で征服王朝が出る度に..韓半島と setロダルは地域..で その理由は中原へ行く前までは, 満洲 + 韓半島を一つの概念で , 味方セリョックウロダングギョワよ, 中原での勝利が保障される..というのだったです. ..
serra30|12-03 15:37
征服王朝が先に攻略する場所が 1.搖れ 2. 満洲-韓半島というのです. 使った内容と違うようだが..まず盲膓と言うのが韓半島を一つの軍事要諦で見なかった そうだか? するからです
 → ochimusha|12-03 15:44
今回は詳細の説明を省きましたがロシア帝国から日本に「ロシアは満州を取る、日本は朝鮮を取る、これでどうだ?」という提案があったりしたんです。「それだとロシアにやがて朝鮮半島も巻き上げられてしまうのが見え見えだ(実際ロシア側の計画でもそうなっていた)」と日本側が拒絶しています。
 → ochimusha|12-03 15:47
あと朝鮮独立運動の面からも満州や沿海州やアメリカへの移民が主導力を握ってた時代で、彼らの間でさえ「まだ本国に留まってる連中には独立を守る気概なんてない。俺達だけで何とかするしかない」という事が言われてたりします。
 → serra30|12-03 15:49
ochimusha |12-03 15:47 あれほど満洲や沿海州から独立運動に力をつくすことができるというどう思えば, 満洲も引続いてくれる比較的公権力の不在みたいな雰囲気があったということではないか..思います.
serra30|12-03 15:46
ochimusha |12-03 15:44 >初耳な驚くべきな話ですね. やっぱり不凍港の確かな維持のみならず, ロシアの野心は満洲は確定ですね 当時ロシア-フランス関係はどうなったんでしょうか..後の話が分かればもっとおもしろそうです..
 → ochimusha|12-03 15:49
フランスはロシア国内開発にも深入りしてて、日露戦争でもロシア側の主要スポンサー国の一つでした。
 → serra30|12-03 15:51
はい, そのように分かっているからです12-03 15:49 ..フランスが極東まで気を使う余裕なくて>露日戦争で日本の勝利や日英同盟までは --の立場(入場)でしきりに見えます.ベトナム/カンボジアで目的達成だから, the end したのか..ではなければロシア革命のため崩れたか..とにかく ..
 → ochimusha|12-03 16:07
フランスは亜細亜方面ではベトナムを手に入れて以降はそれを守るのが精一杯といった感じだったみたいですね。
falstaff|12-03 15:48
雑感A|⌒-⌒) v 1-2に関してですが、UK(連合王国)をイギリスと呼ぶのはイングランドから来ておりまして、かの国がイングランドからイギリスと呼ばれるにたる国家になったのはステュアート朝以後と言って差し支えありません。しかしイギリスはその後も主としてイングランド人によって運営されておりましたし、海外においてもイングランドを名乗っておりました。また、イングランド海軍が、名前こそ「Royal Navy」のまま変わっておりませんが、イギリス海軍としての活動を始めたのは1810年代、ナポレオン戦争の余波が静まりつつあるころであるとされております。
 → falstaff|12-03 15:50
雑感B|⌒-⌒) v ゆえに当時のUKを差してエゲレスと呼称しても、問題なしと思われます。
 → falstaff|12-03 15:51
雑感C|⌒-⌒) v さらに1-2に関して述べますならば、Great Britainという名は、かつてブルターニュ半島よりフランスの貴族が「イングランド征服」を行ったとき、かつてのブリテンより大きな島、と言う意味でイギリス島に付けた名前でありますよね。「スモール・ブリテン」というものが仮にあるとすると、彼らの故郷であるブルターニュ地方を指すこととなりませんか?
 → ochimusha|12-03 15:52
別スレで書きましたが「スモール・ブリテン」は19世紀末のスコットランド人が「帝国主義」を非難するニュアンスで使った表現からの引用です。他で見たことないので一般的に使われてる表現ではもちろんないでしょう。
 → ochimusha|12-03 15:58
ちなみに、うろおぼえですが「スペイン・ポルトガル人からの影響で日本人がオランダ・イギリスと言い出した」は、確か「さむらいウィリアムズ」にも記述があった様な…確か「その事で日本人を責めても仕方がない」といったニュアンスで出てきたかと(本の主題からして「三浦案は売国奴ではない」事を証明するのを目的にしてまして…以下長文につき割愛)。
falstaff|12-03 15:55
雑感D|⌒-⌒) v 銀という貴金属に目が行きますが、当時の日本での銅の産出量と輸出量も考えるべきかと。銅より銀を精錬する技術の粗悪により、銀含有率が高い銅が大量に東南アジアに流れた時期があります。まあ、当時の経済を現代に置き換えるならば、金銀の国ともてはやされる実情は、交易できる商品がないままにすさまじい輸出超過を国内の金属資源を食いつぶしてまかなっていたと言うことが事実でありましょうな。
 → ochimusha|12-03 16:03
「銅より銀を精錬する技術の粗悪により、銀含有率が高い銅が大量に東南アジアに流れた時期があります」…これは知ってました。ここで言う「銀の有数の産出国となって以降」は日本がその分離技術を獲得して以降というニュアンスです。それまでも日本がこれを知らないことで明朝と朝鮮王朝が随分得をしてきたという話がありますね。
 → falstaff|12-03 16:07
ochimusha|12-03 16:03 >ふむふむ、了解。近代英国海軍ファンであるuriとしては、英国に輸出された銅が帆走戦闘艦の船腹に(フナムシ予防のために)張られた事があるのか調査中なのですが、まだ確認できておりません。トラファルガー海戦の英国艦に日本製の銅板が張られていたら面白いんだけど。 (,⌒-⌒) v
 → ochimusha|12-03 16:09
戦国時代頃の「マカオ-長崎ルート」は主に銀と引き替えに「火薬と生糸」を運んでた様ですね。
glium02|12-03 15:59
serra30.. ochimusha.. falstaff ...万物 博士 3人が楽しく歓談しているね.....1^^^^
falstaff|12-03 16:03
雑感E|⌒-⌒) v 《「マラッカの海賊」には没落を余儀なくされた対岸の「旧オランダ領民」による「伝統に基づいた」報復という側面もある気がする。》 ・・・ここは歴史を飛ばしすぎ。「アジアの海の大英帝国」(横井勝彦)あたりを読まれたし。このへんの海も歴史も、複雑怪奇ですからねぇ。
 → ochimusha|12-03 16:05
そこは正直不勉強でした。なる程。「アジアの海の大英帝国」ですか…入手を検討してみます。ちなみに「没落」までは主に「ラッフルズ(東洋文庫)」辺りで得た知識が中心で。
falstaff|12-03 16:13
ochimusha|12-03 16:09 >火薬というと、硝石でしょうか? 硝石は国産出来たという説が多いのですが、戦国時代の需要に間に合うほど出来たのかがいつも疑問。硫黄はあったろうから、輸出に回せななかったのかな?
 → ochimusha|12-03 16:17
イエスズ会文書の中に「とにかく火薬を回してやらんと長崎やキリシタン大名が領土を確保できん」といってるのですね。おそらく銃や大砲も含んだ表現かと思われます。おそらく「国内生産してても供給が需要に間に合わなかった」が正解でしょうね。
 → ochimusha|12-03 16:21
「硝石」…皮肉な事に当時は琉球が硝石の有数の産地だった様ですね。明軍の対日戦や対清戦へも相当量供給してた様ですが、南蛮人も朝鮮王朝もそれには気付いてなかった様で…
 → falstaff|12-03 16:29
まあ、火薬に関してはここの赤組の中には硝石・木炭・硝石があるから火縄銃での戦争は出来たと簡単に言う人が多いけど、火薬にも品質がいろいろあったそうですなぁ。輸入に頼っていた部分があったとしたら、品質的なもの(不純物が少ない・粒子が細かくそろっている、など)が要員としてあったのかも。舶来信仰もあったかもしれないけど。
 → falstaff|12-03 16:30
あ、硝石については、湿気を吸って化学分解しやすいので、輸入に頼るとしたら密閉容器などで、相当高くついただろうという説がありますね。
 → ochimusha|12-03 16:35
なんか学会でも「で、その火薬どう使われてたの? 実は現地のポルトガル武装商人がそれを受け取って直接九州の内紛に関与してたんじゃないの?」とか「銀だけで支払足りてたの? 戦争捕虜を代金として受け取ってなかった?」とか色々突っ込み所がある様で。
 → ochimusha|12-03 16:38
元史料が「イエスズ会の報告書」である場合、書かれなかった事が一杯ありそうな予感…
 → ochimusha|12-03 16:48
九州の何処かの地方に「黒人砲兵が大活躍した」って伝承があって「黒人なおもて砲兵す、いわんや南蛮人をや」って話も…
ochimusha|12-03 16:30
一応補足しておくと「何故『イギリス』『オランダ』か?」は「南蛮人=スペイン・ポルトガル帝国」帝国との交易なしに織田信長と豊臣秀吉の天下は語れないのでは日本でも常識なんんじゃなかろうか」の補足説明みたいなもの。本当は室町時代から戦国期に掛けての「貿易戦争」には「大陸貿易に主軸を置いた朝倉家との対立」とか「同じ南蛮貿易のライバルだった堺や京都との対立」とじゃもっと入り組んだ話があるのですが、それに触れ出すとキリがないので今回はバッサリ捨てました。
 → ochimusha|12-03 16:57
対アメリカ戦略とは「親米」や「反米」に走らず、この「中の人がうぞうぞ一杯居る感じ」に如何に的確に対応していくかが鍵なんじゃないかと思う次第。で、アジアとの関係の原点を探っていくと「スペイン植民地の後継者」という側面に行き当たるっていう話です。
falstaff|12-03 17:00
ochimusha|12-03 16:48 >黒人... 「異人」とかそういった単語が書写の過程で変化したのではないかなぁ。当時の大砲は、ある程度以上のスペシャリストでないと扱えないのだけどね。砲兵ならともかく、砲手長にしても、砲術士官にしても、召使いか奴隷でしかない黒人に勤まるとは考えにくい...
 → ochimusha|12-03 17:10
もちろんただの黒人ではなかったでしょう。関連文献がすぐ取り出せるところにないので即答は出来ませんが、結構信憑性がある話だったような気がします。
jeannearthes|12-03 17:54
日本じゃなくてお前が大したこと無いよ。
 → ochimusha|12-03 18:28
そういう意見を期待してましたよ。で、見事に論破してくれるんですよね?
 → ochimusha|12-03 18:38
論破も出来ないのにそういう突っかかり方をしてくるのって、まるで…(以下自粛)。
 → jeannearthes|12-03 18:54
お前が日本を代表して言ってるのか? 何が日本が大したこと無いだよ。 ダラダラアホみたいに長文書いてさ。纏める頭がないのか?
 → ochimusha|12-03 19:01
1行要約。「何が書いてるかも判らないが、とりあえず脊髄反射で反応せざるを得なかった」でOK? それって益々…(以下自粛)。
 → jeannearthes|12-03 19:08
何が書いてるか分からないがって日本語書いてるのに分からないことってあるのか?w お前本当に馬鹿だよな? 自分で賢いと思っているのか? 物事の区別もできない頭脳しかないのにさ。
 → jeannearthes|12-03 19:09
お前の書いている文章は、個人のブログに書く内容なんだよ。 掲示板でダラダラ書いて単なる迷惑行為にしか見えんな。 もう少しバランス感覚を養えよ。
 → ochimusha|12-03 19:19
誰かからの借り物の表現に見えますが、気のせいですか?
 → ochimusha|12-03 19:26
全部誰かからの借り物の罵倒表現にしか見えませんが気のせいですか?
 → ochimusha|12-03 19:29
1行も本文に関係ある事について書けないのに脊髄反射で罵倒を始めてしまい、後は罵倒し続ける事しか出来なくなっちゃうなんて、もうまるで…(以下自粛)。
jimio_2004|12-03 19:10
読むの疲れた_| ̄|○
 → ochimusha|12-03 19:20
PL法に従って「面倒な人は太字の所だけ読んでください」と予め警告済みです…
ochimusha|12-03 19:51
このスレを建てようと思った契機となった人物が遊びに来てくれましたが、自爆が激しくてステージにさえ上がってくれませんでした。拍手でお見送りを!!
 → falstaff|12-03 20:08
誰が来てたの? さわると臭くなるアホは見えないので誰だかわからん。ww
 → ochimusha|12-03 20:16
「一言も意味のある発言が出来ないまま、脊髄反射で罵倒するだけして去っていった」だけなので、見る価値なしかと。
jeannearthes|12-03 20:34
相手の言ってる意味が理解できないからそのような解釈になる。 もう少し相手の言ってる意味を理解してみろ。
 → ochimusha|12-03 20:36
「日本なんて大した事ない」…昔から同じ様な主張を繰り返してきましたが、何故か青組の方に理解者が多いのですいね。この言葉には「だからお互いもっと良心の仮借なしに殺し合おうぜ」が続くのだという事が…むしろ赤組側にこの緊張感に耐え切れない腑抜けが増えてる気がしてなりません。「田母神論文」なんかで胸の痞えが癒えるタイプって多かれ少なかれみんなそんな類なんじゃないかと思う次第。
 → ochimusha|12-03 20:41
残りなんてただ単に「実際そうしてお互い楽しく殺したり殺されたりした事件を無造作に積み上げていくだけでここまで歴史の流れに肉薄できてしまうという試行結果」に過ぎなくて。
 → jeannearthes|12-03 20:43
「日本は凄い国だ」・・・昔から同じ様な主張を繰り返してきたが、何故か赤組の方に理解者が多いな。
jeannearthes|12-03 20:40
ここはお前だけではなく他の人がいる。 自分の意見を書くのならもう少し纏めることができないのか? 最後まで読んで裏切られるような内容なんだよ。何故なら結局お前は自分はこう思うではなくて、こういう面もあるし違う面もある、だから断定できないとかそうだろうか?とか疑問文にして終わっている。 でお前の意見は何?ってこっちはそう思うんだよ。 こんな文章なら本を読んでいる方がマシにさえ思ってくる。
 → ochimusha|12-03 20:43
こんな文章なら本を読んでいる方がマシにさえ思ってくる。 」…自分に本当に優しい本との出会いを求めてるのですね? 出会えた験しがありますか?
 → jeannearthes|12-03 20:47
意味の無い文章ほど読むのは苦痛だな。 全く持って配慮のない文章や熱意の無い文章。単なる垂れ流しの文章がお前の文章なのだよ。
 → ochimusha|12-03 20:48
優しさと癒しを求めて主文を読んだら、そりゃ裏切られた気持ちになるでしょうよ。「でお前の意見は何?」…多分、私の出した答えには永久に辿り着けないと思いますよ。拍手でお見送りを!!
 → jeannearthes|12-04 05:56
優しさや癒しがあれば、まだマシだが、お前の文章はそれさえも無い。 無味乾燥とした意味の無い駄文。
 → ochimusha|12-04 06:06
拍手でお見送りを!!
falstaff|12-03 20:42
ochimusha|12-03 20:16 >ふむふむ。ま、そんなのは極少数派らしいのが救いですなぁ。 (; ´Д`)
【クソスレ】愚民文字・・・ [2]
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