千早振る日々 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-01-23

頭のいい人の、無邪気さと傲慢さのあいだ

「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記

以前この記事を読んで、なるほどと思った。

確かに日本では「勉強ができる」ことへの偏見のようなものはあるし、それが科学の発展を妨げているところもあるかもしれないな、と実感があったからだ。

今日この記事を思い出したのは、頭がいいことへの偏見を生んでいるかもしれない、頭のいい人の無邪気さ(英語で言えばナイーブさ)に接してしまったからだ。

私は大学で研究をしている。チームで研究をしているうちの部屋において、自らの研究とともに、チームの指導的立場を求められることも増えている、というくらいの立場だ。

修士論文の発表が迫っている時期で、4人もいる修士2年の学生がパワーポイントと格闘している。修士2年の学生は、毎年発表する前に、「練習」をすることになっている。どこの研究室でもあると思うが、すなわち、修論の発表をする学生一人一人について、博士課程の学生、そして若手の研究員や教員が彼らの発表を見てあげて、問題点をコメントするのである。

しかし、バラバラに来られたり、好きな時間にやられても困る。教員も年上の学生も、都合というものがあるからだ。そこで、練習を見てもらいたい彼らは、毎年上の学年の先輩や、同学年で相談して、練習の日にちを決めることになる。

まず困ったことに、今年はこの相談がほとんどなく、「明日やらせてください」「これからやりますがいいですか」といった具合でバラバラに学生がやってくる。例年通りなら、突然だろうがなんだろうが見てくれて当たり前だと思っているフシがある。それでも、まあいい。どうせやらなければならないのだ。みんな優しいし、どうにか都合をつけて一人おおよそ3時間くらい(それ以上かかるときもある)、発表の3日前までには、4人分の発表の練習を見ることができた。

もちろん、それぞれの完成度に違いはある。4人いるうち、2人は博士課程に進む。彼らは、学会発表の経験もあり、一人などは論文もアクセプトされていて特別研究員になれることが決まっている。言うなれば、発表に関しては、相当に安心していていい。もし不安な点があっても、個人的に何人かに聞けば大丈夫だろう。しかし、学会発表もしたことがなく、研究が投稿論文という形にもなっていない2人には、さすがに不安がある。問題点を解決して、もう一度くらい練習をしておきたいところだった。

しかし、発表の直前になって、「2度目の練習をしたいのですが…」と来たのは、よりによって論文も出ており、来年以降良い身分になれる学生だった。確かに、前回より改善すべき点はあったかもしれないが、個人的にいろいろな先輩に聞いてもいたようだし、学会発表の経験もあるだけに心配はいらないと思っていた。やるべきことがあったし、見られない理由をそのように話すと、「前回より大きく変わりましたので…」と不安げな顔で言う。

しつこいが、この学生は、来年以降特別研究員になれる。しかも、論文も出ている。相当に恵まれている。そうなれたのは、テーマの良さもあるだろうし、論文や申請書を一字一句見た私や教員の尽力もあるだろう。もちろん、才能もあると思う。この学生はいつも謙虚に「私は研究者として生き残っていけるでしょうか」とか「私などまだまだです」と言っている。この態度は、もちろんこのご時世であるし、そう思うのも無理がないと思う反面、他の人より頭が良くていい立場にいるのに謙虚に過ぎるように見えて、同期をはじめとして、あまり研究室の仲間からは好まれていない。あまりいい書き方ではないかもしれないが、謙虚さにつきまとうちょっとした嫌みさというか、そういうものを感じる人もいるらしかった。そういう感情に、頭がいいということへの偏見や嫉妬が含まれているかもしれないことは否定できない。しかし、ぼくは先輩ということもあってそこまでいやには思わなかったし、チームの仲間として一緒にうまくやっていた。

しかし、さすがに僕も、少々今回は腹立たしくなった。なぜ、あなたが一人でもう一度見てもらおうとするのか。

確かに、がつがつするのは悪いことではない。頭の良さは、どんどんアピールすべきだ。私はまだまだですといいながら、懸命に自分を磨く。いいことだ。そういう人が、アカデミックな世界で生き残っていくのだろう。

それでも、ちょっと待てよと言いたかった。自分の論文や発表は見てもらって当然だ、という態度が、謙虚な表面から透けて見えたからだ。

学会発表したことのない2人は、その学生が2回目の練習をしている最中、違う部屋で「発表まで時間がないですが、もう一度見てもらおうかなと思っているのですが…」などと言いながらスライドを直していた。しかし、博士課程にすすむ例の学生に時間を割いてしまうと、彼らを見る時間はほとんどないのだ。彼らが、博士課程に進む例の学生に比べて、要領が悪いと言えばそうかもしれない。ずぶとく「見てください」と言うべきだったのかもしれない。しかし、それをさておいても、研究室として良い立場に押し上げてもらっている人間が、彼らのような、発表に慣れていない同期のことを考えずに、ひとまず自分の発表さえよくなれば、と考えていていいのか?少しは、周りを見渡したらどうなんだ?そういう思いがふつふつと湧いてきたのである。

ある意味、これは無邪気さだと思う。頭のいいことへの偏見がある地域もあるし、そういう学校もある。しかし、東京の有名私立中高一貫校で過ごしたこの学生は、そのような偏見に身をさらされることなく、無邪気に好きなことを追い求めてこられたのだろう。…皮肉なしに、実にいいことだ!頭がいい、という蔑称があることを知らず、ここまで来られている。そういう人が残れるのが、アカデミックな世界とも言える。地方で生まれ育ち、頭の良さへの偏見にさらされ、「常に頭の良さは隠すものだ、嫉妬をもたれないように注意すべきだ」と教えられてきた僕には、まぶしいほどうらやましい。

でも…。でも、である。この学生は、自分が他の人に押し上げてもらっている一方で、他人を時には押しのけているかもしれないということに気づいていない。そもそも、自分が他人より良い立場にいるとも思っていないのだ。

しかしそろそろ気づくべきだと僕は思った。ノブレス・オブリージュという言葉の意味とは少々違うのかもしれないが、自分の好きなことを不自由なくうまい具合にやれている人間は、それなりに周囲の、自分よりうまくいっていない人のことを気遣うべきではないか。偽善でも良いから、がつがつした気持ちをそうい気遣いというオブラートにくるんだときに、嫉妬やら偏見やらから身を避けて、真の頭の良さを発揮できるのではないか。研究室の雑用やらをこなしながら発表を仕上げている学生もいるなかで、この学生はひたすら自分に閉じこもって作業をしていた。練習を見てもらう段になってまで自分しか見えていないのでは、「他の研究室の同期よりもずっと立派な発表をして、奨学金免除を受けたい」などと思っているのかな、などと勘ぐられてしまう。

こういう才能のある人を、叩いてはいけないとは思う。がんがん伸びていくべきだ。でも、そういう人間の側にも、もう少し叩かれない「出方」があるのではと思う。ましてや、大学(社会もそうだが)は嫉妬と偏見が渦巻いている。表面上の謙虚さではなく、こういう切羽詰まったときに現れる態度が、人をいらだたせることもある。無邪気さはいいことだが、「頭がいい」という偏見に鍛えられる社会性もあるような気がするのだ。偏見を感じたことのない人には、それが欠けている。それでもいいのだ、そういう人こそ排除してはいけないのだ、という意見も確かにわかるのだが。

しかしもっと言うなら、こういう無邪気な人がそのままアカデミックなポストを得ることで、大学の硬直性は生まれているのかもなと思った。教授になってもなお、自分はまだまだだ、もっと努力していい結果を出さねば、とばかり考えて学生のことや研究員のことを考えなかったりするのは、こういうある意味頭が良くて無邪気な人であるような気がする。

…そういうことを伝えようと思ったが、あまりに無邪気なこの学生に、それを年上の僕から伝えるのは、ある意味アカハラかなと思って、やめておいた。

追記:ちゃんと話してきました。つづきはこちら。

http://d.hatena.ne.jp/PineTree/20090130/p1

sabrina5519sabrina5519 2009/01/25 23:55 はじめまして。
私も某国立大学院で文系ですが研究者コースの修士過程にいたことがありますので、ご事情等々、非常によくわかります。

自分に、周囲の資源が投入されることが当然だと思っている節がある研究者・学生は大変多い気がします。
投入されている資源と学力は比例する面も強い分、悪循環なのでしょうね。搾取という点で、帝国主義的というかw
ある種のおめでたさなのかなと感じます。

PineTreePineTree 2009/01/27 08:38 >sabrina5519さん
はじめまして。ありがとうございます。
一人にでも理解していただけると気持ちが楽になります。
別に研究者になるのに辛酸をなめるべきだとはいいませんが、もう少し、自分の恵まれた環境に感謝して、周囲の人間に成果を分けるくらいの鷹揚さがほしいですよね。昇進にしても結婚などについても、順調に自分が人生を歩んでいくことに関して強迫感みたいなものがある気がします。遠回りとか考えないんですよ。
こうやって自分のことしか考えないのでは、家庭環境などに恵まれている人だけが大学に残っていくような状況は続いてしまうのかなと思います。

peroonperoon 2009/01/30 19:56 「もう一度見て欲しいのですが…」と言う人より「もう一度みてください」とハッキリ言う人の方が良いのでは?

「誰もいかないなら、行こうかな…」という人より「誰が行こうとも、私は行く」という人の方が良いのでは?

再チェックをまっさきに頼んでくることは、傲慢な行為ではなくて「全力で準備する」という見習うべき行為なのでは?

私は空気を読んで動けない人より、無邪気に傲慢に動いていく人になりたいと思いましたが、それは不自然でしょうか?

モゲモゲ 2009/01/30 22:47 >peroonさん
だから、そこを踏まえてのエントリーなんだと思うんですが、
何でまたそこを論点にするのかな?

frog-cicadafrog-cicada 2009/01/31 00:00 全く同じではないけど、似たような空気は感じたことがあるなぁ。無邪気な自己中とでも言うんだろうか。
自身の行為が傍から見れば自己中心的な行為に見えてしまっているということを、一体誰が気づかせてあげたらいいんだろう。自分から気づいてくれるということは期待できそうに無いし、難しいですね。

takamR1takamR1 2009/01/31 00:13 はじめまして。
自分も前いた会社で、ドクター上がりの新入社員で、同じようなタイプの人がいたので、気持ちがよくわかります。

研究には没頭して、早々に成果を上げてたんですが、自分が新入社員だという意識が全くなく、普通の新入社員がやるような雑用も、彼は拒否してました。
そこで、上司がビシっということができれば、変わったかもしれませんが、成果を出してるためか何も言わず放置していたせいで、周囲の人間がかなり苦労した覚えがあります。
この悪循環はよく似てる気がします。

ku-ku- 2009/01/31 00:47 はじめまして。
私は私立文系大卒で、頭はよくないです。ただ中学までは公立校で成績が良かったので、頭のいい人への偏見、なんとなくわかります。テストの結果が発表された後の態度のとり方を間違うと、周りの目が冷たくなったり、ひがまれたり。

でも、読んで思ったのは、本人が気が付いていないのであれば、まずは言ってあげるのが一番だと思います。言わずに腹を立て愚痴るのは、それこそ僻みになってしまうのではないかと・・・。

どんな世界も、できる人はひがまれるし、特に門が狭い世界では、自己中で嫉妬されてでも、自分の仕事に集中して成果を出して勝ち残っていく人はむしろすごいと思います。。

PineTreePineTree 2009/01/31 02:24 >peroonさん
全く不自然ではないです。私も、そうありたいと思います。
それを否定しているわけではないんです。バランスは、必要ですが。
ただ、書き方が悪かったのでそう思わせてしまったところはあります。
>frog-cicadaさん
しつこいですが、自己中だなぁ、嫌いだなぁというのとはちょっと違うのです。
一緒にやってきたんだし、わかってくれてもいいのになぁという気持ちに近いです。結局、仲間なので言うべきだと思って、話しました。逆に、これで話せない関係だったら、もっと深刻になると思います。
>takamR1
コメントありがとうございます。
その学生は、その新入社員さんのように、拒否したりはしないのです。言えば何でもやってくれます。ただ、自分のことをがんばると夢中になりすぎるところがあるのです。周りが見えなくなる。だからこそ、私が早くに言っておけばよかったと思います。
>ku-さん
ありがとうございます。やっぱり、言ってあげるべきですよね。
ひがまれるのはしょうがないとしても、もっと、うまくやる方法もあると思うのですが、そういうことをあまり考えていないのが、もったいないなぁと思ったのです。そのへんも含めて、ちゃんと話をしました。

ん 2009/01/31 02:32 あーもう日本うぜーーー
いちいち細かいんだよ!
なんでそんなとこまで気使わなきゃいけないんだよ!
そう思ったらそいつに直接言えばいいだけだろ!

mao_mk68mao_mk68 2009/01/31 06:53 学術の業績は社会性で伸びるものでしょうか?
人は社会に生きているので社会性は必要だろうという意見は分かります。
それはアリストテレスも言っています。
ですが学術も競争なので競争に打ち勝てない人材は必要ではないです。
業績を上げている人に対しあなたのような発言をブログでなさることは広い意味でアカデミックハラスメントですよ。
あなたは学術チームでリーダー的存在なのでしょう?
そうとられても仕方がないですよ。この内容のブログでは。
経営とは非情なものです。学術チームも経営の理念で運営しないと破綻します。
業績を上げている人材を優遇することとその人材に悪感情を抱くことが相克するのは管理職の宿命です。
民間企業ではそれを管理職分の我慢料を払って済ましています。
ですが経営理念上の判断から直接のアカデミックハラスメントをしなかったのは賢明です。
そういう意味であなたも頭がいい。そして無邪気。

思いつき思いつき 2009/01/31 08:49 思いは分かるような気がしますが、別室の2人も見てもらおうとおもっていたのなら事例は時間の余裕によるものと感じられました。

私の周りでは頭がいい人ではない方がぶしつけで横柄な言動をとるように感じます。
話に割り込んだり、忘れるリスクを押し付けるためにタイミング見ずに頼んだり、見ない聞こえないフリしたり。

職場みたいな閉じた社会ではそういう時えてして、能力があって時間的余裕がある人のところにいきます。実際は時間的余裕なくてもすぐにできそうという頼む側の心理的負担の問題かも。

お互い雑用含め、相手に何か頼むときは、やってもらって当然と思わないよう気をつけなければいけないですね。

ななしたんななしたん 2009/01/31 10:18 アカハラだからと本人に言わずに、ネットで世界に向かって晒す。こういう陰湿さが究極に煮詰まったのが日本の学術系の閉じた世界だと思いますよ。しかもそれに気がついてない。恐ろしい。

the48the48 2009/01/31 11:07 同感です。
病み上がりの私を帰してくれませんでした。
土日は寝込みます。

いわずもがないわずもがな 2009/01/31 12:06 最近の院生にありがちなの、やってもらって当然って態度はたしかにうざいですね。上からの的を得ない指導も混乱のもとですがね。
無邪気に指導を乞う、素直に指導に従うというのも学生にとっては一つの才能で、それは勉強ができることは関係ないのでは。依存度が強い人はどこかで行き詰まるでしょうが、あなたが相手しなければ別の人を頼りにいくから当座は問題ないです。リソースをこれ以上割けないと伝えるか、割けるリソースの分だけ(たとえば時間を区切って)相手をすればよいでしょう

「かけっこが速くたって小賢しい子はいるし、勉強ができたって素朴な子はいる。」

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