■特に深い意味はないし解説もないし返答も無い、かもしれない。
発話は発話者が伝えようとしていることの全てを表してはいない(効率的な意思伝達にはならない)。聞き手はその発話を解釈するにあたって、①その発話内容(表意)を理解し、②表意から得られる命題と、読手自らアクセスできる「適切な想定」を前提とした推論を行い、③発話者の意図として取りうる複数の仮説から適切な解釈を選択している(推意)。
例:「馬鹿」、と言われた時に、字義としては「馬鹿」そのものであるが、好意的な発言なのか、字義そのままの非難としての馬鹿なのかは文脈と聞き手の取りうる「適切な想定」から発話者の意図が推論される。
この仮説の評価では、最適な「関連性」を持つ物が選択される。
・発話が聞き手の注意を惹くに値する認知的効果を持っていると、「関連性」が高い。
・その効果を得るのに、聞き手に必要とされる処理労力が少ないと、「関連性」が高い。
関係ない雑多な情報を並べたり、余計な用例を出したりすると取りうる仮説が多く、聞き手の処理労力が多くなり、結果適切な推論がなされにくくなるし、発話者と聞き手が前提とする環境や知識にあまり乖離があってもやはり聞き手の処理労力が大きくなり、「関連性」が低くなる。
どんなに発話内容が正しくても、聞き手の推論能力にエラーがあれば意思疎通は困難であるし、どんなに聞き手の推論能力が高くても発話者が発話者の意図ではなく、一般的に理解されているであろう語彙の意味を理解していなければ、意思伝達は困難である。
関連性理論の話。もちろん、いい加減なので、気になる人は原典を読む事。
とすると、発話者の意図が別途明確にされている場合において、関係ない雑多な情報が極限までそぎ落とされた「投げっぱなし」は効率的な方法と言えないだろうか。
yonaki@お遊び中