新事業に果敢にチャレンジ!
イシグログループ
代表取締役社長 石 黒  功 氏



本人写真 Profile
石 黒 功 氏(いしぐろ いさお)
イシグログループ代表代表取締役社長
略歴 昭和27年6月9日、田原町生まれ。
3人兄弟の長男。地元の高校を卒業後、東京薬科大学に。同大学卒業後は名古屋市立大学の薬学修士課程を経て大阪の(株)マルゼンで2年間修業。その後、田原町の石黒製薬所に移り、平成4年に社長に就任。
座右の銘 日々是好日
趣味 愛犬との散歩、旅行
特技 無芸大食

 株式会社石黒製薬所とイシグロ農材株式会社の『イシグログループ』。グループ総従業員数589名、総売上高235億円。現在、石黒製薬所農薬部6事業所、イシグロ農材17事業所、アーパスドラッグ17店舗、ホームセンターリブ3店舗と目覚しい発展を遂げている。
  特に、(株)石黒製薬所薬粧部のアーパスドラッグ、ホームセンターリブにおいては、非常に厳しい小売業界にもかかわらず、地域密着型経営を推し進め、確実に業績を伸ばしている。  
  そこで、イシグログループ代表取締役社長の石黒功氏にイシグログループの変遷、社長の役割、目指す店づくりなどを聞いた。

―――イシグログループの変遷をお聞かせ下さい。

  創業は明治42年です。私の祖父が、田原町の国道259号線沿いに石黒薬局を設立しました。祖父は独学で薬剤師となり、煙草の葉から抽出して、殺虫剤の硫酸ニコチンを製造する方法を開発しました。昭和25年には、組織変更し、(株)石黒製薬所となりました。硫酸ニコチンを中心に幾種もの化学薬品や農薬を製造してきました。昭和40年代に入り、施設園芸が盛んになるとともに、施設園芸の資材も一部扱うようになり、昭和45年に石黒製薬所の農業資材部門を分離して、ビニールハウス・ガラス温室等の製造を始め、イシグロ農材(株)を設立しました。  
  昭和40年代ぐらいから化学合成の研究が進むにつれて、化学合成農薬が台頭してきました。コストが低く、非常に効果が高いわけです。また、海外との価格競争も厳しくなり、だんだんと私どもの作っていた製品が売れなくなり、化学合成農薬の販売、卸売業の仕事が主流になっていきました。農業部門は少しずつ形を変えていきました。  
  昭和45年に、豊橋駅前に協同でビルを建てる機会を得て、『くすりのイシグロ』という名で出店しました。また、幾つかショッピングセンターが設立しだし、その中で薬局を何軒か出させてもらいました。
  私は昭和54年に豊橋に戻りまして、5・6年程、薬局の店長を務めました。その間、多くの先輩方に誘われ、アメリカのショッピングセンターや医薬品の流通小売業を見学し、「機会があれば私もやってみたいな」という気持ちを抱きました。時期を同じくして、農薬の製造部門の環境が厳しくなり、製造を中止しました。その折、現会長があるセミナーで「ホームセンター」という新しい業態があり、非常に将来性が高いということを聞き、「研究してみろ」ということになり、そして昭和59年にホームセンターを田原で始めました。同じ業態が全く無かったため、順調に推移していきました。
  昭和60年には、向草間町に2号店を作りました。次第に、「アメリカで見て来たようなドラッグストアーに、是非挑戦してみたい」と考えるようになり、昭和62年に、ドラッグストアーとしての第1号店を設立しました。その際に、CI計画を導入し、アーパス(水の女神の意)という店名を確立しました。その後2店、3店と拡大していき、ドラッグストアー(100坪以上)として、現在12店舗を展開しています。
  一方、農業資材部門も徐々に評価していただけるようになり、北海道から沖縄まで各地で作物に見合った施設を造らしていただいています。

―――事業が拡大するに連れて、数々の障害も出てくると思いますが…。

  事業を拡大していくときに優秀な社員と思って抜擢、配属した社員が、力を発揮できずに行き詰まったり、去っていくことが幾度かありました。適材適所の人材配置に一番悩みます。また、どんな事業も成長の限界があり、その時期の見極めはとても難しい決断です。

―――では現在、どのように社員教育に取り組んでいますか。  

  言い古された言葉ですが、「企業は人なり」ということです。企業にとって一番大切な財産はやはりそこで働く人々です。もちろんトップが成長しなければいけませんが、それとともに、いかにして社員が成長してくれるかということです。人間はどうしても楽な方に流れて行ってしまうので、週休2日の今日、「週に2日休みがあれば、1日は体を休め、1日は自己啓発のために使おうよ」と呼びかけています。強制ではありませんが、あえてそのような場を作らないと、自分からなかなか勉強するということになりませんからね。こちらから勉強する場を提供していこう、準備していこうと心がけています。  
  また、セルフマネージメントが出来る社員になってもらいたい。自分を自分で管理コントロールできる人間。自らが計画を立て、実行し、それをチェックする。これを年単位、月単位、日単位で行います。今まで1年の計画は立てていましたが、どうしても日々の行動と年の計画との間にギャップが生じてしまいます。それを月単位、日単位に細かくする事で、当初の目標に到達できるのではないかと考えます。

―――社長の役目は何だと考えますか。  

  私の仕事は、会社の経営理念やビジョン、方針を明確にすることです。具体的であればあるほどいいわけですが、明確にしたらそれを周知徹底する。また現在会社がどのような状況かもしっかり把握しなければいけま せん。そして新しいことに果敢にチャレンジし、率先垂範していく。これが私の一番大事な仕事かと思います。  
  私はたまたま石黒という家に生まれ、役割上私が社長をしていますが、私に特別な能力があるというわけでもなく、自分のものだという意識も全くありま せん。ですから社員に対して経営をガラス張りの透明にし、さらには、社会的責任を果たしていくことだと考えています。

―――小売業界は大変厳しい時代ですが…。

  どうなるか本当に先が見えません。まさに大競合時代。その競合の中で生きて行くには3つの方法があると思います。1つはコストリーダーシップを取る。徹底的に安く仕入れ、安くオペレーションして、安く商品を提供していく。大企業にとっては非常に有効な競争戦略だと思います。それ以外としては、差別化戦略かニッチ(隙間)戦略だと思います。隙間というとマーケットが小さ過ぎたりしますので、私どもが狙わざるを得ないのは、やはり差別化戦略だと思います。マネージメントレベルをあげて、きめ細かくお客様に対応していく。当たり前のことですが、それしかないと思います。新店をつくれば、改装すれば、商品が豊富にあれば、また安ければ売れる時代はもう終わりました。
  お客様はお店に対して6つの期待を持っています。商品、サービス、価格、雰囲気、便利性、情報提供。この6つの機能をバランスよく持つ。どれが欠けてもお客様に満足していただけません。この6つの期待をどのようにして具現化していくか。そのもとになるのは、「心地よさの創造」です。お客様は商品を買いに来ているのではなく、その商品を使って心地よさを味わうために買い物に来ているということです。

―――今後どのようなお店づくりを目指しますか。  

  私どもの経営理念はお客様第一主義ですが、「お客様のことを考えろ、考えろ」と言っても、社員が気持ちよく働いていないのに、お客様のことを考えられるわけがありません。社員が活き活きと働ける店づくり。その上でオリジナル業態を作って行くことです。これからは店の数や大きさではなく、その店で何をしたいのかを明確にしていくことが大切です。どんな業種・業態にも寿命があります。成長がストップしますので、どんどん新しい業種・業態にチャレンジしていきたいと考えています。

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