江戸時代の農村教育 後編 | 1540|共感11
49414| JAPANrindoh | 2006.01.08 21:47:37
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江戸時代の農村教育  後編

 

正月に田舎の実家に帰省しましたが,その折見つけた江戸時代の初等教育に関する史料です。
前編はこちら 
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=60805


『初登山手習教訓書(Shotohzan tenarai kyohkunsho)』(1861年に筆写)
全20ページくらいの小冊子。最後の2-3ページは欠落。

江戸時代の寺小屋(中世・近世日本における庶民の初等教育機関)で用いられた
ポピュラーな教科書です。
幕末にわしの先祖の富治郎(Tomijiroh)が使ってたようなのですが
(といっても,血縁はあるようだが直系の先祖ではない模様。この辺は割愛w),
面白そうなので本文を読んでみます。
わし程度の力では(古文書学取ったことありますが,学部のレベルは知れているw)
私文書はおろか,地方文書などの公文書でも断片的にしか読めずお手上げです。
でもこの程度(だって昔の小学生用テキスト!!)や版本なら何とかなりそうです。
では1ページ目。
 

 

pp.2-3. 
【原文】初心之児童登山之時者、如向武士之戦場、師匠者如大将軍也。
硯墨紙等者、如武具之類也。
【抄訳】初心の児童が登山する時は、まるで武士が戦場に向うようであり、
師匠は大将軍と同じである。硯・墨・紙等は、武具の類と同じである。


あまりきれいな字には見えないんですが・・・やっぱり重田さんは子供?子供にしてはうまいけど。

pp.3-4.
【原文】卓机者如城槨、筆者打物如太刀長刀や。文字一々書瀉習覺事譬者、武士一人而忍入大勢楯籠城槨、亡大敵事抔以一大事也。
【抄訳】卓机は城郭のようであり、筆は武器、太刀・長刀と同じである。文字を一々書き写し、習い覚える事を例えるならば、武士が一人で大勢が立て籠もる城郭に忍び入り、
大敵を亡ぼすようなもので,一大事である。

 

初っ端からすごい内容ですね。
写真で比較してみますwww


寺子屋机(総欅無垢材) 江戸時代

姫路城 17世紀初頭

全部のっけて全部訳すのは面倒だし,本意ではないし,能力も無いのでやめときますw

pp.8-9 この部分,写真撮り忘れたのでw 仙台版『初登山手習教訓書』(1843年)から引用。
【原文】又手習学文之少人手本者、必如向敵也。打物之筆以習取、現当之所領可知行也。依之文字一々励勢力、才智藝能勝人者、諸人貴之賞翫。
【抄訳】又、手習・学問を志す子供にとって、手本は必ず敵に向かうのと同じである。武器である筆を以って習い取り、現当の領地を支配するべきなのである。これによって文字が一々勢力を増し、才智・藝能が人より勝れる者は、
皆が彼を貴び珍重する。

 

実を言うと,このテキスト,こういう版本が豊富にあるので読みやすいw
読み書きを学ぶのは「武士が戦場に向かう」のと同じ心構えでなくてはいけないという,
このテキストの1つの主旨が述べられている箇所ですね。
まあ,この『初登山手習教訓書』は男子用の教科書なんですが,女子用の『女手習教訓状』にも同様のことが書いてあるらしいですw
真剣に生きる,尚武,また実用性・合理性を尊ぶ,

このような日本伝統の精神が教えられているところだと思います。


pp.12-15
【原文】幼稚之時不随師命、不恐親伝、未練第一而逃寺下、不学一字一文譬者、登宝山空如不得金玉無、藝能故毎座赤面至極也。無才智故、於所々請萬人誹謗者也。
【抄訳】幼稚の時に師の命令に随わず、親の言いつけを恐れず、
 (遊びへの)未練第一にして寺(寺子屋)を下り逃げ、一字一文を学ばない事を譬えるならば、宝の山に登っても空しく金玉を得ないようなもので、芸能がないためにいつも赤面至極である。才知が無いがゆえに、いろんな所で万人の誹謗を受けることになるのである。

 

子供のときに勉強しないと後で苦労するといったところですか。昔も今も大人の言うことは変わりませんw

pp.16-17
【原文】将又向敵陣武士臆病第一而、逃合戦之場ハ、其恥辱一期之間難遁難□。自然失家、失所領、無身立所而、不持武具之類難立諸人先途者也
【抄訳】はたまた、敵陣に向かう武士が臆病第一であって、戦場を逃れたりしたならば、
その恥辱は生涯つきまとい,□しにくい。自然と家を失い、所領を失い、身の立つ所を無くす。武具の類を持たない人間は将来、出世しにくいのである。

 

学問から逃げるなと,臆病な武士を例えにして教え諭しています。

どこかの国の人には耳に痛い一文ですね。
さて,最後の2-3ページが欠落しているので,また仙台版で補います。

【原文】抑達文武二道者、揚名天下、顕徳□四海、有才智藝能故、可有聞上古末代之名人者也。
【抄訳】そもそも文武両道に達した者は、天下に名を上げ、徳を四海に顕し、才知・芸能が有るので、きっと古代・後世を通じた名人という評判がでるだろう。

 

ここも日本の伝統的メンタリティ,「文武両道」が出てくる箇所です。
「健全なる身体には健全なる精神・・・」(古代ギリシアの原意とは違うけどね)ですね。
それにしてもこの挿絵,武士の絵ばかりw



わしの先祖は河内国Y郡K村(現・大阪府S市K)の農民です。
江戸時代というのは庶民教育が非常に発達した時代でした。
かなり経済的に苦しい層からの就学も可能だったためもあり,

江戸時代の庶民の識字率は世界トップレベル。
寺子屋では読み書き,習字,算術,そろばんなどが教えられていました。

 

幕末のK村には梅栄舎(Baiei-sha)と光念寺(Kohnen-ji)の2つの寺子屋,

善学処(Zengaku-sho)という私塾が1つありました。
(私塾は寺子屋を終了して向学心にもえる子弟を対象とした教育機関;中学・高校みたいなもの)
梅栄舎の生徒数は150人,女45人と記録されています。善学処では男子約50人がいたようです。
開設は1836年で,以後35年にわたって,村内,近郷の子弟の教育にあったらしい

(S市K町自治連合会10周年記念誌編集委員会,1979)。
まあ,このような田舎の村でさえ寺子屋2つですからねw

ちなみに光念寺にあった寺子屋は,現在のK小学校になっています。
日本が急激な近代化を自力で成し遂げた背景には,
江戸時代に培った,一般庶民への教育の充実があったことは疑いないでしょう。

現在の大阪府S市立K小学校。創立130年以上。

 

最後に,このテキストの内容をまとめてみると,
①日本伝統の尚武の精神(逃げずに立ち向かう,文武両道)
②実用性・技術の尊重(虚栄ではなく質実剛健)
③勉学の重要性(教育重視)
といったところでしょうか。
このように,真の伝統文化は人々の生活に密接に結びついて発達・伝承されるものです。
それは地方の農村でも例外ではありません。
真実の歴史は,残っているものです。


(=´ω`=)y─┛~~

 

【参考文献】

?『初登山手習教訓書』,裳華房,1843年
S市K町自治連合会10周年記念誌編集委員会『S市K町自治連合会10周年記念誌』,1979年

 

 


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hitkot|01-08 22:22
( ´H`)y-~~ 南河内郡大草村の住人の私が来ましたよ。w
rindoh|01-08 22:22
・・・連休2日使ってしまった。インフルエンザで寝込んでるのに,わしは何をやってるのだろう(呆 たぶんどっか間違ってそうなので,識者の方の意見お待ちしますw
rindoh|01-08 22:27
hitkot >うほっ,ひょっとしてご近所かな??江戸期は八上郡ですか?
hitkot|01-08 22:30
いえ、南河内郡です。でもご近所ですわよ。にょほほほ。
 → rindoh|01-08 22:32
世間は意外と狭いですなwww 
 → hitkot|01-08 22:33
ひょっとして、年代も近いなら、rindoh氏は「堺カルタ」をご存知かもですね。(くは)
hitkot|01-08 22:31
( ´H`)y-~~ 大阪の食い倒れ、京の着倒れ、堺の建て倒れ。w  堺は色々な史料が残ってるでしょうなぁ。
 → rindoh|01-09 00:08
レスに気づきませんでした・・・(^^; 「堺カルタ」知りませんでした。わしは富山育ちですから・・・w 実家は 「た」の竹内街道の近くです。
 → hitkot|01-09 00:22
竹内街道は最古の国道。w
rindoh|01-08 22:35
戦争でやられなければもっと残っていたでしょうね。。その辺はちと残念。
rindoh|01-08 22:45
ところで自称文明国Cho鮮のみなさん,Cho鮮時代の庶民の教育事情はどのような感じだったのでしょうか?www
guevara|01-08 23:45
連日の良スレ、お疲れさまです。今夜も、たいへん興味深く拝見いたしました。寺子屋と私塾。小さい村でも向学心に溢れている家庭が多かった。なんだ、今と変わらないではありませんか・・、日本の文化の根というものを感じました。むしろ、憂うべくは昨今の勉学に対する軽視の風潮かもしれませんね。何も残せず、妄想の中で民族という見た目の大きいもの縋りつくressentimentの朝鮮民。あのような人々になってしまっては、終わりです。肝に銘じなければいけませんね。
rindoh|01-08 23:49
guevara>意外と農村部でも就学率が高かったようですね。読み書きできなくとも,自分の名前くらいはかけたようです。
rindoh|01-08 23:53
金田一春彦氏あたりが体験談として書いてましたが,戦後GHQが日本の文字システムは複雑なので文盲が多いに違いない,ローマ字に変えなければってことで識字率検査をしたそうですが,ほとんど全員読み書きができた。ただ1人,おばあさんが読み書きできなかったそうですが,その方ですら,自分の名前は書けたそうです。。。
guevara|01-08 23:56
俳句をやったり、書を学んだり、村の地芝居で歌舞伎を演じてみたり、皆、いろいろと楽しんだようです。そしてそのためには、古典の知識などが必須のものです。相当文化的な生活を営んでいたようですね。江戸よりも前からそうだった。今も昔も、どこぞとは違う伝統に裏打ちされています。
peachboy|01-08 23:58
みなさん、こんばんわ。間に合ったかな。なんか日本人として誇らしく自信が湧いてくるスレですね。こういうのを見せつければグーの音も出ませんね。一発KOです。早稲田のラグビーみたい。 hitkotさん、南河内ですか。私、北河内。guevaraさんとは旧隣人。世間は狭いですな。
rindoh|01-09 00:01
しかし,下のスレともども,韓国の方々の書き込みが皆無なのはなぜでしょうか?長文読解に不都合な愚民文字のせいでしょうか?単に庶民は無教育だったからでしょうか?馬鹿が1人悔しまぎれの見当違いスレッドを上げていましたが・・・www
hitkot|01-09 00:02
rindoh>整列した人の数を数える時、もたつく米兵を尻目に、九九でさっさと計算しちゃう日本兵。w /peachboy>おー。ご近所さんでございますわ。
peachboy|01-09 00:05
うちのばあちゃん字が読めない、書けない人だったけれど、おっそろしく数計算の速い人だった。貧乏で寺子屋に行かせてもらえなかった。でも、耳学問かもしれないけれど芝居、小説は俺より知ってた。俺の書いたのを近所のおかみさんに読んでくれって持って行くらしいのだが、Hな場面もあるわけで当惑したと言われた。向学心は凄かった。当時、教育環境が整っていたからだろうね。
peachboy|01-09 00:08
hitkot >あっ、米人の計算能力ね。驚いたことあり。ゴルフのスコアカード、9ホールずつ計算するのができないのにぶつかった。いるいる、そんなの。
rindoh|01-09 00:10
hitkot>ですねえ。欧米の連中は暗算能力低いw ちなみにrindoh家の氏神は金岡神社です。
rindoh|01-09 00:13
peachboy>こんばんは!ほんとに世間って狭いもんですねw ちなみに今わしはguevaraさんの家の近くに住んでます(都下某M市)。
guevara|01-09 00:14
昨夏、大阪に行った時、大阪天満宮をはじめ、いくつかの神社で古い算額を見ました。普通に数学を楽しむ、昔の庶民のすごさですね。
hitkot|01-09 00:15
peachboy>買い物した時のおつりの返し方が・・・。現物に現金足していく方法ですからね。ま、そおれでも用は足りるわけですがね。
guevara|01-09 00:16
rindohさん、実は、peachboyさんが上で書いておられますように、peachboyさんと私は、以前、ごく近所に住んでおりました。世間は本当に狭いですよね。
hitkot|01-09 00:17
peachboy>耳学問> (;´д` ) 昔の人の記憶力は凄い物がありますよ。今の日本人では絶対勝てない。
guevara|01-09 00:20
hitkotさんも、河内ですか。まことに失礼な言い方ですけど、河内と聞くとあまり教育的なイメージはありませんでしたが、皆さんのお話を伺うと、日本の教育の伝統はすごいなと思いますね。因みに、私の河内のイメージは、「河内音頭、悪名シリーズ、花の応援団」ですから、少し歪んでいるかも(笑)。
rindoh|01-09 00:24
guevara>おっしゃることは結構正しいかも。うちのじいさんはお金のことを「ジェニ」と言ってましたw 柄が悪いと言われていたようです。今はどうか知りませんが。
hitkot|01-09 00:28
私の河内のイメージ> んーーそれは東大阪の河内のイメージかなぁ。と言っても東大阪をどうこう言うつもりはないですが。w 南河内は「田園」イメージでok。w
guevara|01-09 00:29
でも、そのジェニを使った計算などに秀でている。いろいろな文書を残す。先人は、皆、すごいですよ。独自の文化が無いのに有るなどと嘘を吐き続けたり、データを改ざんするような悪しき伝統の地とは、まったく違います。
 → rindoh|01-09 00:36
彼らは論外ですよねw 忘れてましたw ところで,先日銭湯のスレでupされていた銭湯の写真,ひょっとして三谷湯ですか?
guevara|01-09 00:45
あの銭湯は、世田谷区の塩原湯です。経堂にありますよ。
 → rindoh|01-09 00:53
そうでしたか,とんだ粗相を(^^; ◇話を戻しますが,堺は地中海性気候ってやつでして,しかも上町台地筋は洪積台地上で水不足に悩まされたそうです。川もあまりない。というわけで香川県,兵庫県などと並んで溜池が発達した地方です。
rindoh|01-09 00:59
国内最古のダム式溜池といわれる,狭山池なんてのもこの地方にあるわけで,当然水の管理・水利事業は農業をするうえでの重要事項でした。実家のある旧K村も狭山池から水をもらってましたし,村内に独自に14箇所くらいの溜池も持っていました。
rindoh|01-09 01:05
これらの水の分配は繊細な作業だったようで,割合などもきっちり決められていたようです。農業の死活問題にもつながるわけで,実際水争いも耐えなかったようです。長々述べましたが,要はこのような水の分配率,いつどこの溜池のどの樋を開けるか,などの作業を進める上で計算や筆記は不可欠だったということです。
rindoh|01-09 01:08
まあ,江戸時代の日本の進んだ農業技術や生産性は,農民にまでおよぶ教育の普及が背景にあるということで。。。
hitkot|01-09 01:15
rindoh>狭山池横の遊園地が終わってもう何年にもなりますよ。その後できた博物館も10年ぐらい経ったような希ガス。(記憶が曖昧で良く憶えていない) w
 → rindoh|01-09 01:17
えっそうだったんですか。。。子供のとき,あそこの流れるプールに連れてってもらってました。そういや博物館に行かないとw
guevara|01-09 01:19
rindohさん、水の関係お詳しいですねえ・・。すごいです。河内の水で思い出したのですが、昔、水争いが激しくなって、悲しい事件が起きたようですね。それが「河内?人斬り」という浪曲、講談に残されています。平岡正明という変わった人間(笑)の書いた本で読んだことがあります。
 → rindoh|01-09 01:29
なるほど。。。近くに百舌古墳群などありますが,ああいう古墳の環濠ってため池として使われたりってこともあったようですね。大仙陵などがその例に当てはまるかどうかは知りませんが・・・。
hitkot|01-09 01:21
(≧∇≦) 地元民なので行ってないのですが(笑)、7世紀の堤の断面とかが見られるそうで。
hitkot|01-09 01:23
( ´ー`) rindoh氏にさり気なくネタ提供。
 → hitkot|01-09 01:24
http://www.sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/images/opsm-t09.gif
rindoh|01-09 01:31
hitkot >うほっ,トレンチ?剥ぎ取り標本ですかね?結構その手の展示増えてるんですよね。武蔵国分尼寺の基壇にもそういう展示があります。版築のしくみとかいってw そりゃ見ものですね。今度行こうw
 → hitkot|01-09 01:36
んーー「移築展示」ですね。詳細はこちらで。http://www.sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/
hitkot|01-09 01:40
あと、滋賀県の琵琶湖博物館でも面白そうなのやってます。2月末までのようですが。 http://museum-dir.tokyo.jst.go.jp/e_ken06/shosai/25-102/25-10203.htm
 → rindoh|01-09 01:46
へえ,面白いですねー。ありがとうございます!狭山は行かないとなw あの地方,歴史が古いだけあってなかなか面白いんですよ。古市古墳群の誉田山古墳(応神陵)なんて活断層でちょん切られてますしねw
cruciancarp|01-09 03:39
おお、続きですね。こうしてみるとやっぱり兵農分離の後も、いや後だからこそかな。武士道精神ってのは庶民階級の規範でもあったわけなんでしょうねえ。
oreakc|01-09 04:18
その以前には (文盲野園)日本w
jpn1_rok0|01-09 05:00
rindoh氏、都内にお住まいならいずれ一杯やりませんか( ´H`)y-~~
rindoh|01-09 11:02
jpn1_rok0>よろしくお願いしますw
kimchinko|01-09 15:49
納得のスレ・・・。 何故、日本が、独力で近代化できたのか。 何故、欧米諸国以外で、日本だけが、先進国になりえたのか。 そう言ったことの、必然的背景(土壌の断片)が、納得できるスレ。 それが一般人、一個人の所蔵する史料で証明できる事も、日本の凄さ・・・。
shidenkai|01-09 16:56
当時の教育水準や環境、それに武士道的価値観が階級を問わず社会に浸透していた事が如実に表されてる。140年以上前の小学生向け教科書が実家に残ってたということ自体に感嘆。韓国人も怪しい家系図よりこういうものを誇るべきだね。あればの話ですが。
雪の一乗谷(Ichijodani) [13]
- 江戸時代の農村教育 後編 [53]
童話・哀れなドブネズミ(再掲) [8]