江戸時代の農村教育 後編
正月に田舎の実家に帰省しましたが,その折見つけた江戸時代の初等教育に関する史料です。
前編はこちら http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=60805
『初登山手習教訓書(Shotohzan tenarai kyohkunsho)』(1861年に筆写)
全20ページくらいの小冊子。最後の2-3ページは欠落。
江戸時代の寺小屋(中世・近世日本における庶民の初等教育機関)で用いられた
ポピュラーな教科書です。
幕末にわしの先祖の富治郎(Tomijiroh)が使ってたようなのですが
(といっても,血縁はあるようだが直系の先祖ではない模様。この辺は割愛w),
面白そうなので本文を読んでみます。
わし程度の力では(古文書学取ったことありますが,学部のレベルは知れているw)
私文書はおろか,地方文書などの公文書でも断片的にしか読めずお手上げです。
でもこの程度(だって昔の小学生用テキスト!!)や版本なら何とかなりそうです。
では1ページ目。
pp.2-3.
【原文】初心之児童登山之時者、如向武士之戦場、師匠者如大将軍也。硯墨紙等者、如武具之類也。
【抄訳】初心の児童が登山する時は、まるで武士が戦場に向うようであり、師匠は大将軍と同じである。硯・墨・紙等は、武具の類と同じである。
あまりきれいな字には見えないんですが・・・やっぱり重田さんは子供?子供にしてはうまいけど。
pp.3-4.
【原文】卓机者如城槨、筆者打物如太刀長刀や。文字一々書瀉習覺事譬者、武士一人而忍入大勢楯籠城槨、亡大敵事抔以一大事也。
【抄訳】卓机は城郭のようであり、筆は武器、太刀・長刀と同じである。文字を一々書き写し、習い覚える事を例えるならば、武士が一人で大勢が立て籠もる城郭に忍び入り、大敵を亡ぼすようなもので,一大事である。
初っ端からすごい内容ですね。
写真で比較してみますwww
寺子屋机(総欅無垢材) 江戸時代
姫路城 17世紀初頭
全部のっけて全部訳すのは面倒だし,本意ではないし,能力も無いのでやめときますw
pp.8-9 この部分,写真撮り忘れたのでw 仙台版『初登山手習教訓書』(1843年)から引用。
【原文】又手習学文之少人手本者、必如向敵也。打物之筆以習取、現当之所領可知行也。依之文字一々励勢力、才智藝能勝人者、諸人貴之賞翫。
【抄訳】又、手習・学問を志す子供にとって、手本は必ず敵に向かうのと同じである。武器である筆を以って習い取り、現当の領地を支配するべきなのである。これによって文字が一々勢力を増し、才智・藝能が人より勝れる者は、皆が彼を貴び珍重する。
実を言うと,このテキスト,こういう版本が豊富にあるので読みやすいw
読み書きを学ぶのは「武士が戦場に向かう」のと同じ心構えでなくてはいけないという,
このテキストの1つの主旨が述べられている箇所ですね。
まあ,この『初登山手習教訓書』は男子用の教科書なんですが,女子用の『女手習教訓状』にも同様のことが書いてあるらしいですw
真剣に生きる,尚武,また実用性・合理性を尊ぶ,
このような日本伝統の精神が教えられているところだと思います。
pp.12-15
【原文】幼稚之時不随師命、不恐親伝、未練第一而逃寺下、不学一字一文譬者、登宝山空如不得金玉無、藝能故毎座赤面至極也。無才智故、於所々請萬人誹謗者也。
【抄訳】幼稚の時に師の命令に随わず、親の言いつけを恐れず、 (遊びへの)未練第一にして寺(寺子屋)を下り逃げ、一字一文を学ばない事を譬えるならば、宝の山に登っても空しく金玉を得ないようなもので、芸能がないためにいつも赤面至極である。才知が無いがゆえに、いろんな所で万人の誹謗を受けることになるのである。
子供のときに勉強しないと後で苦労するといったところですか。昔も今も大人の言うことは変わりませんw
pp.16-17
【原文】将又向敵陣武士臆病第一而、逃合戦之場ハ、其恥辱一期之間難遁難□。自然失家、失所領、無身立所而、不持武具之類難立諸人先途者也
【抄訳】はたまた、敵陣に向かう武士が臆病第一であって、戦場を逃れたりしたならば、その恥辱は生涯つきまとい,□しにくい。自然と家を失い、所領を失い、身の立つ所を無くす。武具の類を持たない人間は将来、出世しにくいのである。
学問から逃げるなと,臆病な武士を例えにして教え諭しています。
どこかの国の人には耳に痛い一文ですね。
さて,最後の2-3ページが欠落しているので,また仙台版で補います。
【原文】抑達文武二道者、揚名天下、顕徳□四海、有才智藝能故、可有聞上古末代之名人者也。
【抄訳】そもそも文武両道に達した者は、天下に名を上げ、徳を四海に顕し、才知・芸能が有るので、きっと古代・後世を通じた名人という評判がでるだろう。
ここも日本の伝統的メンタリティ,「文武両道」が出てくる箇所です。
「健全なる身体には健全なる精神・・・」(古代ギリシアの原意とは違うけどね)ですね。
それにしてもこの挿絵,武士の絵ばかりw
わしの先祖は河内国Y郡K村(現・大阪府S市K)の農民です。
江戸時代というのは庶民教育が非常に発達した時代でした。
かなり経済的に苦しい層からの就学も可能だったためもあり,
江戸時代の庶民の識字率は世界トップレベル。
寺子屋では読み書き,習字,算術,そろばんなどが教えられていました。
幕末のK村には梅栄舎(Baiei-sha)と光念寺(Kohnen-ji)の2つの寺子屋,
善学処(Zengaku-sho)という私塾が1つありました。
(私塾は寺子屋を終了して向学心にもえる子弟を対象とした教育機関;中学・高校みたいなもの)
梅栄舎の生徒数は150人,女45人と記録されています。善学処では男子約50人がいたようです。
開設は1836年で,以後35年にわたって,村内,近郷の子弟の教育にあったらしい
(S市K町自治連合会10周年記念誌編集委員会,1979)。
まあ,このような田舎の村でさえ寺子屋2つですからねw
ちなみに光念寺にあった寺子屋は,現在のK小学校になっています。
日本が急激な近代化を自力で成し遂げた背景には,
江戸時代に培った,一般庶民への教育の充実があったことは疑いないでしょう。
現在の大阪府S市立K小学校。創立130年以上。
最後に,このテキストの内容をまとめてみると,
①日本伝統の尚武の精神(逃げずに立ち向かう,文武両道)
②実用性・技術の尊重(虚栄ではなく質実剛健)
③勉学の重要性(教育重視)
といったところでしょうか。
このように,真の伝統文化は人々の生活に密接に結びついて発達・伝承されるものです。
それは地方の農村でも例外ではありません。
真実の歴史は,残っているものです。
(=´ω`=)y─┛~~
【参考文献】
?『初登山手習教訓書』,裳華房,1843年
S市K町自治連合会10周年記念誌編集委員会『S市K町自治連合会10周年記念誌』,1979年