2008年3月25日 (火)

音をたずねて

音をたずねて Book 音をたずねて

著者:三宮 麻由子
販売元:文藝春秋
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文藝春秋のPR誌「本の話」に2年間連載されたもの。「音の原風景」を著者がたずねて取材するというものだ。著者の興味の赴くままに取材先が決められている。117で流れるあの時報をと流しているお姉さんに会いたい。あの声は中村啓子さんというプロのナレーター。エスカレーターで流れる声やモノレールや電車の駅で流れるナレーション、NTTドコモの留守番電話のナレーションも担当している、というから誰もが幾度も聞いたことがあるはずだ。美しい鼻濁音の練習をする所がおもしろかった。著者はテレビドラマ「相棒」の大ファンで毎回録音しているという。そこで「相棒」の効果音担当の方を取材。「相棒」の効果音は他のテレビドラマと比べるとかなり少ないらしい。しかし、まさに効果的に使われているためより印象深くなっているという。「相棒」らしい効果音というものができてしまっているのだ。効果マンの間では「足音3年」と言われ、足音がちゃんと作れるようになれば1人前と言われるそうだ。

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2008年3月 4日 (火)

時計を捨てよう

Book 時計を捨てよう―新しい私に生まれ変われるヒント

著者:三宮 麻由子
販売元:大和出版
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「くすんだ毎日から輝きに満ちた毎日へ」というコピーがついている通り、ちょっと落ち込んだ時に読むと元気をもらえる1冊。4歳で視力を失った著者の残り4感を研ぎ澄ました姿が伝わってくる。なぜ、見えてるかのように、こんなに豊かな表現が可能なのか?とほとほと感心ししてしまう。ポジティブにそして自らが扉を開けないと希望の道は見えてこないよ、とさししめしてくれる

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2008年2月25日 (月)

いのちの音が聞こえる

いのちの音が聞こえる いのちの音が聞こえる
販売元:セブンアンドワイ
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本の中にも音がある。そこに書かれている風景や場面に伴う音を想像して読めばさらに読書の世界は広がるということを知った。音が伝える豊かな世界を私はあまり感じずにきたような気がする。

引用

「白神の森で」から

石ころと土の急な獣道を登っていると、まるでエゾハルゼミの声でできた海の中を、水面目指して上がっていくような気がする。一歩登るごとに、頭上のセミの声が少しずつ足下へと移り、それと入れ替わるように頭上から新たな声が現われてくる。そうやって、まるで地層のように折り重なった蝉時雨を潜りながら、私は白神の山へと分け入っているのだった。

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鳥が教えてくれた空

鳥が教えてくれた空 (集英社文庫) Book 鳥が教えてくれた空 (集英社文庫)

著者:三宮 麻由子
販売元:集英社
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視覚を4歳で奪われた著者は実際に触れるもの白杖を通して感じられるものだけが確かな世界であった。そんな彼女が野鳥たちのさえずりと出会い3次元の空間を実感していく。自然に触れた著者のみずみずしい感覚が新鮮な言葉で表現されている。こんな感じ方もできるんだとドキリとさせてくれた。

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2008年2月18日 (月)

そっと耳を澄ませば

そっと耳を澄ませば (集英社文庫 さ 39-2) Book (集英社文庫 さ 39-2)

著者:三宮 麻由子
販売元:集英社
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著者は盲目のエッセイスト。すずめの羽音からその大きさがわかるという。音で世界を推し量り、自らの世界を広げていく感性に驚く。私は聞いているようで、全く聞こえていないんだなあと実感。花火を音だけで楽しむシーンには感動した。視覚を補うために聴覚があるのではない、聴覚は独自の世界を持っていると著者は教えてくれた。

引用

あれは、住宅地に降り注ぐ雨の真っただ中にたたずんでいたときのことだった。私の耳にたくさんの音が飛び込んできた。トタンの屋根、雨ざらしの自転車、転がっている空き缶、車にかけたシート、大きな門、そんな街の景色に、雨があたっていたのである。どれも、いつもは私にぶつかるまで自分の存在を教えてはくれないものばかりだ。

 梅雨の雨は、その無愛想なものたちの存在を優しく音に訳して、私の耳に伝えていたのだった。トタン屋根にあたって短い余韻を残す平たい雨、門柱に落ちてカーンと小気味よく散る雨、路肩に転がった空き缶に見事に命中してキーンと歌う雨…。足もとのアスファルトにも一面に雨滴が降り注ぎ、響きのない不思議な広さの音をたたいていた。まるで地面が浮き上がっているかのようだ。さらにあたりの空間に耳を傾ければ、さまざまな高さのものにあたる雨の音がいくつもの層となって聞こえ、空気の中に満ちている。

 自分から音をたてないために、ふだんは私にとってほとんど無に等しい存在である町並み。それが、雨の日にだけ世界にたた一つしかない楽器に生まれ変わり、次々と音を紡ぎ出しては私の鼓膜にぼんやりと輪郭を表わしてくれる。その輪郭を物語る音が空中で混じり合うのを聞いていると、それまで想像もできなかった、雨の日だけの特別な景色を楽しむことができるのだった。

 庭の雨は私の手の届かない葉っぱとジョイントコンサートをしているし、森の雨は木の密度を教えてくれた。常緑樹にあたる雨は少し細い音で、時には木漏れ日ならぬ木漏れ雨となって頭にピシャリとやってくる。広葉樹の雨はまるで傘に落ちる滴のように、あちこちでポトポトとつぶやいている。滴は砕ける前に一度しっかり葉の上に落ち、植物をきっちり潤すのだ。

 

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