鹿島神宮奉納演武 | 1156|共感0
39959| JAPANrindoh | 2005.06.10 22:26:06
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第35回 鹿島神宮奉納演武 (鹿嶋神宮奉納演武)

鹿島神宮は古来日本の武道のメッカとして,武術家の厚い尊崇を受けてきた神社です。
武道の神らしく,ここでは毎年6月に縁のある古武術流派が神前で奉納演武を行っています。

去年の奉納演武は,剣聖・塚原卜伝の生誕515年祭記念として (鹿島は卜伝の出身地である) 行われました。
その折の動画をupします。
戦国期の介者武術 (甲冑を意識した武術) の遺風を残す古武術流派がいくつか登場します。
日本の武術の源型をお楽しみください。





■ 基礎知識

剣聖・塚原卜伝とは…

塚原卜伝 [塚原卜傳 TSUKAHARA Bokuden / 1489-1571]

延徳元年 (1489) 2月,常陸国塚原 (現・茨城県鹿島郡鹿島町須賀) で生れる。卜部覚賢の二男。
塚原土佐守安幹 (TSUKAHARA Tosa-no-kami Yasumoto) の養子となり,安幹の亡き子供の名前をもらい
新右衛門高幹 (Shin'emon Takamoto) を名乗り,のちに土佐守,土佐入道ともいった。

卜伝は実父から鹿島中古流を,養父からは飯篠伊賀守直伝の天真正伝神道流を,
また関東七流の1人・松本備前守からも鹿島神流を学んだ。17歳の時から30歳前後まで全国を修行し,鹿島に帰った。
のちに鹿島神宮に籠もってこれらに工夫を加え,奥義「一の太刀 (一の太刀 Hitotsu no tachi)」を開眼。

卜伝は生涯三回の廻国修行をし,将軍足利義晴,義輝,義昭にそれぞれ兵法を教え,
とくに義輝と伊勢国守護・北畠具教に「一の太刀」を伝授したと伝えられている。

卜伝は1512年24才から1560年74才までの50年間に,37回にも及ぶ戦場での戦いに19回の真剣勝負,
うち斬った敵の首の数は212。6ヶ所の矢傷以外,刀傷槍傷も受けなかったともいう。
後の剣豪とは比較にならないほどの実戦経験者。ひとつ間違えば死を意味する境で「一の太刀」は鍛え研ぎすまされたのである。
その後,彼の兵法は甥の吉川晴家に伝えられ,現在は「鹿島新当流」として茨城県の無形文化財に指定されている。




塚原卜伝銅像 (@鹿嶋市)




鹿島神宮とは…

鹿島神宮 (鹿嶋神宮 Kashima Jinguu)

鹿島神宮は皇紀元年 (紀元前660年) の創建と伝えられ,東国三社の1つにも数えられている名社。
祭神は天孫降臨に先立ち国譲りの交渉をしたといわれる武甕槌神 (Takemikazuchi no Kami)。雷・剣で象徴される。
武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受け,さらに鎌倉後期以降は武門の神として武家政権の信仰をも得て,
社殿・楼門・宝物類の奉納や所領寄進が繰り返されて来た。地震の守り神としても有名。
80以上もある年中行事の中では祭頭祭,神幸祭,また12年に1度牛年ごとに行われる御船祭が特に有名。

この鹿島神宮を中核として,鹿島地方では古代以来武術が盛んであった。
伝説では国摩真人 (国摩真人 KUNINATSU no Mahito) が (仁徳天皇時代) 「神妙剣」を発明,
これが「鹿島の太刀」の始まりといい,上古流,中古流などとして伝えられた。

こうして戦いに負けたことのない鹿島・香取の神として尊崇を集め,武術の伝統をも伝えた。
戦国時代には神官座主・卜部氏の吉川家を中心とした神官7家が
いわゆる「関東七流 (関東七流)」として勇名を馳せた。
こうした流れの中,15世紀から16世紀にかけ,
塚原卜伝や松本備前守,上泉伊勢守などが近世武術としての鹿島の剣を完成させ,
現在でも日本の優れた伝統文化として,大切に保存・伝承されている。



 
鹿島神宮 桜門 (櫻門 Sakura-mon)            鹿島神宮 本殿 (本殿 Honden)
1634年建立。「鹿島神宮」の偏額は東郷平八郎元帥の直筆。


 
その名のとおり,鹿がシンボル。      鹿島七不思議の一つ,「要石」。見た目は小さいが地中部分は大きく,掘っても掘っても根元がわからないといわれる…。





■ 動画

では,動画です。




鹿島神宮古武道奉納演武



※ 動画鑑賞の目安

00:20頃   鹿島新当流 太刀        白い道着に黒い袴,白い鉢巻。

01:50頃   ギャラリーの様子            外人が目立ちます…

02:00頃   鹿島新当流 太刀        白い道着に黒い袴,白い鉢巻。

03:28頃   ギャラリーの様子            外人が目立ちます…

03:51頃   鹿島新当流 薙刀

04:06頃   鹿島新当流 組太刀       仕太刀・打太刀ともに袋竹刀 (割り竹に革をかぶせて作った竹刀)。

04:14頃   鹿島新当流 刃引

05:35頃   拍手

05:40頃   直心影流?           白い道着・袴。独特の両手を左右に開き片足を上げる動作が特徴的。

06:10頃   為我流派勝新流 柔術?

06:22頃   香取神道流 薙刀術       紺の道着に黒い袴。 

06:31頃   香取神道流 太刀術        俊敏。かなり上の人かと思われる。

06:50頃   香取神道流 薙刀術       薙刀: 女性,太刀: 男性。

07:12頃   關流 炮術?          大口径の火縄銃。




※ この動画にでてくる古武術について


鹿島新当流 (鹿嶋新當流 Kashima Shintoh-ryuu)
流祖は塚原卜伝で,戦国期の形を残す鹿島の名流。茨城県の無形文化財
介者剣術の特徴の1つ,腰構えの低さに注目。廻剣を多用するところがまさに戦国風。
木剣は直刀形式の重いものを用いる。これは鹿島神流,直心影流など鹿島系の武術の特徴。



鹿島新当流 太刀


直心影流? (直心影流 Jikishinkage-ryuu)
流祖は戦国時代の武将&鹿島神宮の神官,松本備前守とされるが,
新陰流 (Shinkage-ryuu) の支流。幕末に流行した。
動画は真剣の型である「刃挽」か?基本型「法定」の技を発展させた四本の型から成る。
木剣は鹿島新当流同様,直刀形式。これは鹿島神宮の神宝・フツミタマ剣を模しているため。



直心影流 刃挽


為我流派勝新流? (為我流派勝新流 Iga-ryuuha Katsushin-ryuu)
柔術です。水戸藩を中心に茨城県近辺で発達隆盛した。



為我流派勝新流 柔術


香取神道流 (香取神道流 Katori Shintoh-ryuu)
鹿島と双璧をなす武道のメッカ,香取の名流。剣術3大源流の1つ。
道統の明確な現存最古 (15世紀初頭〜) の武術流派。
動画はおそらく成田市で稽古してる,大竹師範の一門の人たちの演武。
かなり練り込んでいると思われる。
大竹利典師範は飯篠宗家に師範家を許されているすごい人。
千葉県の無形文化財保持者 (香取神道流で4人。飯篠氏と大竹氏その他)。
神道流の型は1本の長さが長いのが特徴。



香取神道流 居合術






今年もあさっての日曜に開催されるようですね。
かしまシティガイド【クリック】  


武の故郷,鹿島地方。そして武のメッカ,鹿島神宮。
このように,日本には独自の伝統剣術・武術が,
生きた文化財としてしっかりと伝承されています。






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rindoh|06-10 22:29
Topは江戸時代後期の鹿島神宮近辺の遠景。画面の中央左手の台地上の建物群が鹿島神宮。
ionouesinkai|06-10 22:48
良い物観させて貰いました。「本物の」古流武術は良いなあ。
peachboy|06-10 23:26
久しくお姿(イメージ板に)がなく心配しておりました。お元気そうですね。やっぱり素晴らしい鑑識ですね。楽しませて頂きました。
peachboy|06-10 23:31
そうそう、念願の萩城へ行ってきました。城下町をまわり、萩焼の窯元を訪ねました。実際に現地に入らないと分からないことが一杯あって、解決し得たことに満足でした。萩城、参考にしました。サンクス。
rindoh|06-10 23:33
peachboy> お久しぶりです。先日はお会いできなくて残念でした。千葉や茨城はなにげに地元だけあって伝統がしっかり受け継がれているようです。
peachboy|06-10 23:34
僕の勘違いです。城=rindohのイメージがあり、他にも上げておいでだったのですね。ゴメン。最近、仕事加重と寝不足で集中力を欠いています。飛ばして見ていたんですね。検索かけてじっくり見させてもらいます。
rindoh|06-10 23:35
拙作がお役にたてて幸いです。萩、うらやましいです!萩市も天守再建に向けていろいろ画策しているようですね。(w
zenizeni|06-10 23:47
これを見た韓国人のPAKURI根性がまた疼き始めそうですね。そのうちまた「ウリの国の古代武術nida!日本よりも1000年も古いnida!」とかいって史料も無い謎の剣舞を作り出しそうな気がします。
rindoh|06-10 23:50
ちなみにTopの画像は亜欧堂田善(1748-1822年:谷文兆の弟子)作の『総州真景図藁』所載の肉筆画。画面左下の水中に建つ鳥居の現在は→>>> http://www.bokuden.or.jp/‾kashimaj/gazou/toriiti.jpg
rindoh|06-10 23:51
現在も北浦湖畔の大船津というところに建っている。
rindoh|06-10 23:53
zenizeni> だいたい古流は閉鎖的なので、演武といっても裏や奥義は見せないところが多いですからね。上の香取神道流もそう。見せるのは表の型だけ。
rindoh|06-10 23:55
よしんば裏や奥を見せても、内面や秘訣はまねできないでしょう。まあ、騒がれるのは確かにうざいですね。
sqnykr|06-11 01:22
懐かしい・・ 僕のふるさとだ 内面はまねは出来ないでしょうけど、表向きだけそっくりなものを韓国人に作られたら、その他の外国人はわからないでしょうね。ある意味怖いです。韓国人は何でもしそうですから
1024ch|06-11 01:52
韓国人に、このような文化を紹介しても無駄です。「馬の耳に念仏」「豚に真珠」「蛆虫に金箔」
神秘の大帝国 神国JAPAN!! [5]
- 鹿島神宮奉納演武 [14]
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