姫路城 (Himeji-joh) 前編 | 1117|共感0
33495| JAPANrindoh | 2004.12.23 22:10:45
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姫路城 (姫路城 Himeji-joh)

姫路城 (別名:白鷺城) は兵庫県姫路市にある平山城である。国宝4天守の1つ。現存12天守の1つ。世界遺産
羽を広げた白鷺にたとえられ,白鷺城 (白鷺城 Shirasagi-joh,Hakuro-joh) とも呼ばれる。

   
位置図


■ 歴史

一番最初に姫路城を建てたのは赤松則村の二男,赤松貞範 (赤松貞範 Sadanori) である。
当時播磨 (播磨 Harima:現・兵庫県) 国上郡で勢力を誇っていた父則村は,鎌倉幕府を倒そうとする後醍醐天皇に加勢し,
1200騎の兵を現在姫路城のある姫山に集結させ,京都に向かい大きく貢献した。
その13年後の1346年,父の意向を受け二男の貞範が姫山に山城を築いた。これが姫路城の始まりとされている。

その200年後,羽柴秀吉 (羽柴秀吉 HASHIBA Hideyoshi) は信長 (Nobunaga) の天下統一のため,
中国討伐の拠点として天正8年 (1580) からおよそ1年がかりで姫山の城を3層の本格的な天守閣に改築をした。


関ヶ原の戦いの後,徳川政権を脅かすかもしれない西側の諸大名を牽制するため,
家康の娘婿・池田輝政 (池田輝政 IKEDA Terumasa) が姫路城の城主になった。
そのため,家康は池田輝政に過大とも言えるほどの禄が与え,督姫との子,二男忠継に備前国28万石,
三男忠雄に淡路国6万石を与え,姫路の52万石とあわせ86万石,
しかし実質は100万石をほこる西国大名として徳川幕府の西の要になることを求めた。
この要求に応えるべく,池田輝政は,のべ2千4百万人もの人員を動員し,
慶長6年(1601),8年の歳月をかけ現在の姫路城を作り上げた。
その後,池田氏は輝政−利隆−光政と3代続くが,光政幼少のため因幡 (現・鳥取県) 鳥取へと移封となった。

幕府は,山陽道の要として特に姫路を重要視し,その後本多・松平・榊原と譜代の重鎮が代々配された。
寛延2年 (1749),酒井忠恭が上野前橋から15万石で入封し,以後10代続いて明治に至った。



 
池田輝政 (池田輝政 IKEDA Terumasa / 1564-1613)





■ 構造

中世,姫路は交通の要所であり,また戦略上重要な地点であったので,姫路城は2つの大きな役割を担っていた。
その1つは壮大な芸術作品として権威の象徴であり,もう1つは当時の築城技術の粋を集めた強固な要塞であった。
しかし一方,姫路城はその400年の歴史の中で,戦にまみえることなく,近代の戦災に遭うこともなかった。
その結果天守や櫓・門などの保存状態が非常に良いうえ,他に類例のない遺構も多く,極めて貴重な文化遺産となっている。

姫山 (標高45.6m,東西350m,南北365m) に築かれた平山城。経始 (縄張) は渦郭式
城下町を含む敷地範囲は東西950〜1600m,南北900〜1700m,周囲4.2km,
城郭の面積は,内曲輪 (内郭) 以内の面積が23ha (23万
IP xxx.11.xxx.53
himeji_ikeda.jpg 14KB)
rindoh|12-23 22:14
Topは池田氏の家紋,「揚羽蝶」。
kannonn|12-23 23:34
お元気ですか。城シリーズが今も健在なことを知ってうれしいです。
cv63|12-24 01:08
ここへは先週行きました。何度見ても、何度行っても素晴らしいの一言に尽きます。観光客のうち、3人に1人は外国人だったように思います。↑では文化の価値の分からぬ野蛮人が騒いでますな。
rindoh|12-24 01:11
cv63> それはそれは。わしも可能であれば年明けにでも訪れたいと思ってます。。。◇哀れですが,できる限りかかわりたくないものですね。(笑)
cv63|12-24 01:19
姫路城から、姫路駅を通過する「のぞみ」を見下ろす風景。(九州方面へ向かって)「のぞみ」の右側車窓から姫路城を眺める風景。伝統文化と最先端技術。感慨深いものです。
uran1454|12-24 09:23
家紋があるのは、欧州と日本だけって本当でしょうか。昔、行ったきりだから、又訪れたいですね。
wellpull|12-24 10:28
「揚羽蝶」に代表される「蝶紋」は、本当は「蝶」ではなく「蛾」。
姫路城 (Himeji-joh) 後編 [91]
- 姫路城 (Himeji-joh) 前編 [7]
長命寺(Tyomeiji) [11]