2003年 4月号 、Vol.205 より
「病めるときも」
(2月3週放映)
ナレーター
中村啓子さん
【なかむらけいこ】
117(時報)やNTTドコモの携帯電話の声の他、NHKのETV特集やニュースステーションのナレーションを担当するなど、第一線で活躍するナレーター。癌にかかったことにより人生の意味を問いはじめ、10年前、キリスト教を信じて受洗。
普段は呑気この上ない私が、突然行動への思いに駆り立てられるときがあります。
それが、神様からのゴーサインなのでしょう。
〈風が見た愛のおはなし〉
2000年7月、はじめての朗読CD『風が見た愛のおはなし』を出版したのも、そのサインを感じてのことでした。その前年、ハーベスト・タイムで紹介された、『カバの郵便配達人』の朗読を担当した私は、作者ジョセフ・オザワ氏が実際に出会われた心暖まる愛のお話に魅了され、ぜひCDにしたいとの願いを持ったのです。
制作にあたり、私は、特に次の2つのことについて祈りました。
*心荒んだ青少年に、本当の愛とは何かを伝えることが出来ますように。
*病床にある方の、救いといやしのために用いられますように。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」(ヨハネの手紙第一 5・14)
神は、私の想像を越える方法で、その祈りをお聞きくださいました。
一、少年院へ
あるとき、仕事でお世話になっていたテレビ局のプロデューサーに、このCDを送ったところ、それが奥様の保護司さんへ、法務省保護局へと伝わり、私は、都内2つの少年院で朗読とスピーチをすることになったのです。そのとき読んだ『ちょっと変わった天使』は、オザワ氏が、公園で出会ったホームレスと話し、立ち去ろうとしたとき、男が、「あんたは天使だ! だって、あんたが今年になってはじめてオレにさわった人なんだから。」と叫んだというお話でした。公演後、少年院生からこんな手紙が届きました。「今、僕が求めているものがそのまま物語りになったような感じでした。でも、僕達がその天使になれば良いんじゃないかと思います。」少年院から飛び立つ天使たちを想像し、私は神のご計画の素晴らしさをほめたたえるばかりでした。二、病床へ
CDが出版されてすぐに病院の売店に置いてくださった山梨県のクリスチャンの医師から、翌年3月、喜びに溢れたEメールが届きました。「南湖さんが洗礼を受けられました!」南湖さんは、28才の若さで、余命半年と宣告された末期癌の女性です。その事実を知らされたとき、みるみる顔面が蒼白になり、涙ぐんでいらしたそうですが、しばらくして、その医師が病室を訪ねてみると、CDを聞いていらして、「いいお話ですね。」とにっこりなさったとか。それから、キリスト教の本を読みはじめられ、医師の母教会の牧師を病床に招いて、ご家族やホスピスボランティアとともに祈りの時を持っていらしたのです。私も何度かお見舞いしましたが、かつて癌を体験したものとして、死への恐怖から解放されるという一点だけでも、キリスト教信仰を持つと言う事は、なんと幸いなことかと思わされました。2002年7月、南湖紫圭美さんは、イエス様を信じ、「天国へ行くの。」と、平安に満ちた可愛いお顔で息を引き取られたそうです。南湖さんの病は回復を見ることがありませんでした。でも、神との関係においては、完全な回復を果たされたのです。南湖さんが生前に数々の賞を取られた絵本には、「自己犠牲の愛」が美しく描かれています。
〈病めるときも〉
2003年1月、朗読CD第二弾、三浦綾子作『病めるときも』が発売になりました。この小説のタイトルは、「健やかなる時も、病める時も、汝夫を愛するか」という結婚式での牧師の言葉から引用されています。この言葉を胸に、精神を病んだ夫の妻であり続けることを決意した主人公明子は、苦難の道を歩む中、やがて、神から与えられた使命を見い出します。結婚観が多様化している昨今、このCDが、結婚とは何か、愛とは何かを問うきっかけになりますようにというのが、今回の私の祈りです。
神様がつけられた道は、振り返って初めて見えて来るものなのですね。ただ、その御声に聞き従えば、神は適材適所に助け手をあたえつつ導いてくださるということを、私はこのCD制作を通して確信することが出来ました。かつてはマスコミの世界で勝ち残ることだけを意識していた私に、この声で愛を伝えたいという人生の目的を見い出させてくださった主に、心からの感謝を捧げます。