月刊紙「収穫の時」

1999年 2月号 、Vol.155 より


 

愛を声にのせて
ーハーベスト・バイブルアワーへの道ー

 
ナレーター 中村啓子

(98年12月第4週放映)





 
 中央自動車道を河口湖方面へ折れた途端、行く手に富士山が、その雄大な姿を現しました。山裾近くまで純白の雪に覆われ、朝日を受けて艶やかに輝いています。車が目指すのは、その裾野にあるハーベストセンター。ディレクTV321チャンネルでスタートしたばかりのハーベスト・バイブルアワー『聖書のおはなし』と『リビングライフ』の収録が待っているのです。

 ふと、同じように富士に向かってドライブした十一年前のことがよみがえりました。その時私は、初秋の爽やかな風にそよぐコスモスを眺めながら、この大好きな花を、来年は見ることが出来るのかしらという不安と戦っていました。医師から、ガンの疑いがあることを告げられていたのです。

 何の自覚症状もなかった私が診察を受けたのは、偶然と思われるきっかけによるものでした。仕事仲間だった根本さんという作曲家の急病に付き添って行った病院で、受付に置いてあった人間ドックの申し込み用紙を目にし、引き寄せられるように予約したのです。

 翌日に迫った入院を前に、走っても走っても見えて来ない富士山が、混沌とした私の未来を表しているかのようでした。


 富山県の立山の麓の小さな町で生まれた私は、小学校の国語の時間、同級生から「啓子ちゃん、いい声しとるねえ。アナウンサーになりゃいいがに。」と言われたのをきっかけに、その実現を夢見るようになりました。

 とはいえ、内向的で、一人で上京するほどの行動力もなかった私の前に、その道は、不思議な力で開かれて行きました。高校卒業を目前に、突然父の東京転勤が決まったのを皮切りに、次々に好機が訪れ、番組に、CM にと、ナレーターとして多忙な日々を送るようになったのです。電話の周波数に最もマッチすると言うことで、時報や番号案内をはじめ、NTTの声として選ばれたことも、幸運としか言えません。洋服を買い、海外旅行に行き、周囲からはチヤホヤされる・・・。世に言う幸福の絶頂を味わっていた矢先の発病は、まさに晴天の霹靂でした。

 高原に咲き乱れる白やピンクのコスモスを瞼に焼き付けて入院した私は、手術から一週間後、最も恐れていたガンの告知を受けたのです。まだ三〇代、遥か彼方にあると思っていた死というものを、突然、目の前に突きつけられた思いでした。「このまま死んでしまったら、何と薄っぺらな人生なのだろう。」スタジオを飛び歩いていた時には予想も出来なかった、そんな思いが胸を占め始めました。私には、見舞いに訪れる友人すらほとんどいなかったのです。一人、寒々とした白い天井を見つめながら、人に愛されないのは、自分が本気で人を愛したことがないからだという思いに至った私は、心の底から叫び、祈りました。「神様、もう一度命が与えられるなら、愛することを教えて下さい!」

 入院からわずか十九日後、抗がん剤治療を拒否した私は、医師との葛藤の果てに、自主退院しました。全てを自分の責任としてやり直さなければ。命にスペアはないのだから・・・。その日、家路へ向かう車窓から見た空には、雲間から射す日の光で、幾すじもの天使の道がついていました。残された人生は、天からの贈りもの!感謝が胸に溢れました。自然も、人も、全てが新鮮に感じられるのでした。

 しかし、そうは言っても、ガンという二文字は、容易に頭から離れません。再発への不安の中、心の拠り所を求めて、新興宗教に足を踏み入れそうになっては、見えない力に引き戻される・・・そんな事を数年間繰り返したある日、一本の電話をもらいました。「教会へ行ってみたら?早い方がいいと思う。」あの、病気発見のきっかけとなった根本さんからでした。

 彼がクリスチャンであることから、どこかに、あの受診は、神様の働きだったのでは?という思いがあった私が、以前、駅でトラクトをもらった日野キリスト教会を訪れたのは、それから間もなくのことでした。その時です。OHPに映し出された賛美の歌詞から「ゆるし」という三文字がクローズアップされて、私の目に飛び込んで来ました。その瞬間、胸に熱いものが込み上げた私は、これが本物だ!という思いに満たされたのです。ただその時は、それがどういう意味を持つのか、全く分かりませんでした。キリスト教は人を罪人だと言うから嫌いだ、と言い続けてきた私は、それまでゆるしの必要など考えたこともなかったのです。


 それから六年・・・、毎週欠かさず礼拝に通ううち、その意味が少しずつ分かってきました。キリスト教で言う罪とは、法的な罪のことではなく、神に背いて生きようとする、人間の性質的な要素のことだったのです。快楽を求め、人を裁き、・・・私こそ、何と言う罪人だったのでしょう。神は、それをひとり子イエス様を十字架にかけることにより、全てゆるして下さったのです。「無条件の愛」これ以上大きな愛があるでしょうか。「愛することを教えて下さい。」と叫んだ私が、教会に一歩踏み込んだとたん、神様から与えられたお答え、それが「ゆるし」だったのです。

 神の愛を知ることによって得られた平安は、何ものにも代えられません。「すべての人に、この愛を伝えるために、あなたが下さった私の声を用いて下さい!」そう祈った時、お会いしたこともなかった中川健一先生から電話を頂き、テレビ伝道の働きが与えられました。同時に音楽担当に選ばれた根本さんが、私の友人だということを、中川先生は全くご存知なかったそうです。


 車は、ハーベストセンターに程近い桜並木に指しかかりました。春には、どんなに美しい花のトンネルとなることでしょう。主が備えて下さった道の、あまりの素晴らしさに、私の胸は感謝と喜びでいっぱいです。


 「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」

(エレミヤ書三十三章三節)





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