Date の甲冑!

▲ 伊達氏の家紋「竹に雀」
伊達政宗(1567-1636年)は東北地方の戦国大名で仙台藩・初代藩主。
幼少時の天然痘の後遺症のため右目が失明,そのため異名は独眼竜。
派手な振る舞いで知られる,大物戦国大名です。

▲ 伊達政宗の復元顔

▲ (左)伊達政宗の雛人形 (右)伊達政宗のフィギュア
最近はこのような商品がでてるみたいですね。現代に応用される伝統ですw
さて,この伊達政宗の甲冑はその特徴的なスタイルとともに非常に有名です。
というわけで,政宗の甲冑について調べてみました。
どのような由来があり,どのように伝承されたんでしょうか。。
■ 描かれた政宗の甲冑
まず,絵画や彫刻などに記録されている政宗の甲冑を見てみましょう。

▲ 狩野探幽(1602-1674)/ 伊達政宗甲冑像 17世紀

▲ 木造伊達政宗倚像 江戸時代 1652年
仙台藩祖伊達政宗の17回忌に当たり,夫人陽徳院が京都に注文して制作させた像。承応元年(1652)2月24日開眼供養を行い,瑞巌寺に安置された。文禄の役に参陣した姿を夫人の記憶をもとに再現したと伝えられ,県内外に残る数点の伊達政宗像の中では,特に写実的な作品とされる。
いずれも,伊達政宗が生きていた時代に近い,1次史料です。
両者とも巨大な三日月の前立と,黒い甲冑という共通点があるようですね。
■ 現存する政宗の甲冑
では,現存する甲冑です。

▲ 重要文化財 鉄黒漆塗五枚胴具足 [Typ.1]
実戦向きの具足。金箔押し弦月の前立はあまりにも名高い。
胴は雪下胴と呼ばれる,五枚の厚い鉄板で構成された五枚胴。
すこぶる頑丈で実戦期当世具足の代表例。後世の仙台胴具足のモデルともなった。

▲ 鉄黒漆塗五枚胴具足 [Typ.2]
これは家臣・菅野正左衛門重成が政宗から拝領したとされるもの。
しころの形状,面頬,草摺,籠手などに若干の相違があるが,Typ.1 の具足とほぼ同形,同様の仕立て。
兜には「明珍信家」「天文四年(1535年)乙未十一月日」の刻銘がある。

▲ 鉄黒漆塗五枚胴具足 [Typ.3]
一門の涌谷伊達家に伝わったもの。兜や胴甲などの基本的構成は上のTyp.1,Typ.2とほぼ同様であるが,置袖を追加し,トレードマークの弦月の前立ではなく,梵字を付けた大輪貫であり,鎖佩楯,亀甲立挙付きの臑当にモデルチェンジ。仕立ての特徴から,上の2つよりも新しく,政宗晩年の製作と考えられている(胴甲自体の制作年代は古い)。
絵・彫刻と同じですね。
特に木像の甲冑と現存する甲冑はそっくりです。
政宗クラスの武将ともなれば,同形のスペアを何領も所持していました。
そしてこのタイプの甲冑がトレードマークだったのでしょう。

▲ (左から) 2代・伊達忠宗,3代・伊達綱宗,4代・伊達綱村所用の鉄漆塗五枚胴具足
藩祖,初代・伊達政宗の甲冑のスタイルを踏襲しているのがわかる。

▲ 伊達政宗 所用 山形文様陣羽織
こいつはおまけw 甲冑の上に着用する陣羽織。黒羅紗地に金モールのストライプを付けている。
■ 最後に

▲ 瑞鳳殿出土の伊達政宗所用の五枚胴と六十二間筋兜
伊達政宗の墓から出土した甲冑です。
上の現存する甲冑と全く同じタイプですね。
おそらく召替具足だったものの1つを,
墓を作ったときに一緒に埋葬したのでしょう。
絵,彫刻,出土品,伝世に関する史料,これらを総合すると,
現存する甲冑は間違いなく17世紀中頃以前のものです。
ところで,
頭の悪い朝鮮土人のみなさん,錆びてるのはわかりますか?
馬鹿だからわからない?
それともプラスチックって錆びるものでしたか?wwwww
P.S. 伊達政宗,このタイプのよろいを着て朝鮮に出陣したようです。Pu


(=´ω`=)y─┛~~