氷川丸
氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船が1930年に竣工させた日本の12,000t級貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。
戦前より、海洋国日本には長距離航路用の客船が多数あった。氷川丸はそのうちの一隻である。

現在 氷川丸は横浜山下公園に係留されている

その船内では氷川丸の歴史を学ぶことが出来る
氷川丸の船内はフランスが誇るインテリアデザイナー、マルク・シモンによるアールデコ様式。一等社交室や一等食堂は、現在の豪華客船から比べると非常に狭く感じるが、トップライト(天窓)からの採光や、重厚感のある家具がつくり出す雰囲気には、独特の優雅さがある。もちろん、客船としてのサービスも素晴らしいものだった。外国人客をも、うならせた本格的なフランス料理。そして、チャーリー・チャップリンが大好きだったという、揚げたての天ぷら。
しかし、客船としての華々しい時代も、大平洋戦争の始まりとともに幕を閉じる。

氷川丸は戦時中、ファンネルを赤十字に塗り、4年間、病院船として活躍した。その間、機雷に3回も接触しながらも、奇跡的に生還を果たした。シアトルと横浜を最短距離で結ぶ大圏航路は、激しい荒波の中を走らなければならない。そのため、氷川丸は船の形も鉄板の厚さも、荒海を想定して建造されていた。そのおかげもあって、氷川丸ただ一隻が、日本郵船の高速船の中で戦禍をのがれたのだった。
戦後は、復員船として南洋諾島を巡り、貨物船として食糧難の日本にアジア各地から米を運んだ。やがて、平和の訪れとともに、氷川丸もシアトル航路に復帰する時が来た。1953年、フルブライトの留学生をアメリカヘ送り届けたのだ。そして、1960年、現役を引退して山下公園に係留された。

太平洋を横断すること254回。78歳の氷川丸は、現在、横浜・山下公園でその船体を休めている。戦争を生き抜いた日本郵船の唯一の客船。この強運の女神に見守られ、日本の豪華客船は横浜港から世界の海へでかけていく。
参考:会誌「飛鳥」、氷川丸資料館