2007年12月09日

時報の聞き方

12月9日(日)

先日、ある友人からこんなメールが届きました。
「私の家の垣根のところでじっと携帯を聞いている子がいました。様子が変なので、何をしているの?と声をかけてみたら、時報を聞いているというのです。
話を聞いてみると、彼女は、なんと私の母校の中学生で、いじめに遭い、絶望的な気持ちになって、時報を聞く事で命を確かめているとのことでした。」
時報で命を確かめる!?そんな聞き方もあったのかと愕然としました。

そう言えば、もう10年以上前のことですが、千葉県のある教会で私が朗読をしたとき、遠くからバスを乗り継いで聞きに来て下さったおばあさんがいました。
彼女は、最愛のおじいさんを失い、一人ぽっちになったとき、時報を聞くことで、自らその寂しさを慰めたと言うのです。
シーンとした一人っきり夜、耳元で人の声を聞ける最も身近な手段が電話であり、時報だったのでしょう。
おばあさんは、私の手を握って「あなたと会えるなんて思わなかった」と、涙ぐみました。

丁度一年前、父が突然倒れて入院した直後、母が突然亡くなって・・・あっと言う間に誰もいなくなった実家で、深夜ふとそのおばあさんの事を思い出し、受話器を取って117をプッシュしてみたことがありました。
「午前0時17分ちょうどをお知らせします」その、何の悩みもないような明るい声に、少し心が温もったものでした。

今、このとき、誰がどこでどんな気持ちで時報を聞いているのでしょう。
録音したときには予想しなかった聞かれかたがあることを、少しずつ知るこの頃です。

後日のメールで、垣根の中学生は転校を決めたことがわかりました。新しい環境の中、幸せな時が刻まれますようにと祈ります。

timesignal_117 at 00:39 │Comments(4)TrackBack(0)この記事をクリップ!

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この記事へのコメント

1. Posted by アフリカ−ケニヤ    2007年12月12日 16:25
時報の案内。
確かにいろんな場面で情報を伝えるだけの音声かも知れませんが。
同じ中村さんの声を聞くにしても、ラジオの番組やナレーションでは駄目なのですよ。
中村さんの声でなければ駄目だったのかも知れません。が、
おばあさんも中学生も、本当は誰の声でも良かったのではないでしょうか。

普遍の声を聞きたかったのではないでしょうか。
いつも変わらない普遍の声。
いつになっても、淡々と伝い続ける時報。
誰に対しても平等に、感情を押さえて。
これが大きな慰めだったのだと思います。

いい仕事をされたのです。
時報の仕事は決して、過去のものではないのです。
遥か20数年前の仕事が今に繋がっていて、これからもずーっと。
2. Posted by 中村啓子    2007年12月14日 00:31
本当にその通りですね。
ずーっと同じ調子で、終わることがない声。117をダイヤルしさえすれば、いつでも誰でも聞く事が出来る声・・・。
こんな話をNTTの方にも知って欲しいと思っています。
3. Posted by tto    2007年12月25日 00:43
はじめまして

凄い話ですね。
そして、日本中の人に声を届けるということの大きさを感じます。
人の肉声というものは、心に伝わるものなんですね。
4. Posted by 中村啓子    2007年12月26日 01:00
ttoさま

うれしいコメントをありがとうございます。
声の持つ力は偉大です。
声で平和な世界を作ることだって出来るかもしれません。

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