日本における元寇の評価に関する私見 | 17577|共感29
49677| JAPANjpn1rok0 | 2006.01.17 20:32:26
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 我々日本人は、元寇について「日本軍は2度の元軍による侵攻において、優勢な元軍の攻撃で苦戦したが、偶然の台風によって蒙古軍の軍船が破壊されたために助かった」という話を必ず聞かされる。そして、多くの者がそのように信じている。この説は、八幡愚童訓という日本の元寇の記録が出典となっている。この八幡愚童訓は、14世紀初頭(成立年代及び成立過程については諸説有り)、筑紫(現在の福岡県)の高良大社という神社の社人が京都に出向き、記録させた八幡信仰の布教用の書物であって、この書物に八幡神が起こした台風が蒙古軍を退散させた主因であると書かれているのである。

 

 

 一方、敵である高麗の記録「高麗史 金方慶伝」には台風が敗北の主要な原因とは書かれておらず、第一回目侵攻(文永の役)においては、蒙古・高麗軍は奮戦したが、形勢は不利であり撤退を決定して船に乗り込んだ時に運悪く暴風に遭い、多くの軍船が破壊されたとある。また、第二回目侵攻(康安の役)では、対馬・壱岐まではほぼ順調に占領したものの、九州上陸は優勢な日本軍に阻止されてことごとく失敗し、到着が遅れた南宋軍と合流するため壱岐まで撤退したが、日本軍の追撃を受け、ほぼ三ヶ月間海上をさまよううちに、船上では食料の欠乏や伝染病などにより3000人が死亡し、軍船の破損もひどくなり、もはや戦争を行える状態ではなくなっていた。このため、九州上陸を諦めて本国に帰還する建議がなされたが、皇帝(フビライ)の命令に違反するという理由で却下された。その後、南宋軍と合流して九州上陸を再開したものの、台風に遭遇し、さらに日本軍の追撃を受けたと記述されている。中国の史料である元史も、概ね同様の記述がなされている。


 実際に、蒙古・高麗連合軍は第一回目、第二回目ともに九州沿岸に橋頭保を確保することに失敗しており、日本軍は敵軍の内陸侵攻を完全に阻止していることから、作戦的には日本軍の勝利であり、特に第二回目侵攻は、上陸作戦そのものを完全に阻止している。
 このような事実と高麗史などのの記述を見ると、八幡愚童訓にみられる日本軍の惨敗や苦戦という状況は見られず、むしろ有利に戦闘を進めている。この勝利したはずの日本側による「日本軍苦戦」の記述は何故なされたのであろうか?

 


 

 まず、八幡愚童訓という書物が神社の関係者によって編纂された史料であることに注目する必要がある。元寇当時、朝廷は当時の最高実力者である亀山上皇自ら戦勝祈願の祈祷をし、また各地の八幡宮(戦争の神)にも祈祷をさせた。この祈祷を行った神社の一つが八幡愚童訓を編纂させた高良大社である。つまり、形骸化された権威を回復することを狙う朝廷としては、「元寇の勝利は、武士団の力によるものではなく、朝廷とその支配下にある神社の祈祷によるものであるという論理を構築する必要があったと考えられる。
 また、武士団を統括する幕府は、このような朝廷と神社の宣伝を阻止することに消極的であった。元寇が侵略に対する防衛戦争であるという特性から、勝利の後に新たな土地が手に入ることはなく、幕府は戦功のあった武士に報酬として与える領地が不足したため、武士の功績をできるかぎり少なく算定する必要があった。これが、幕府が朝廷による宣伝を阻止しなかった理由であると考えられる。鎌倉幕府滅亡の一因は、元寇の戦功に対して幕府が正当な恩賞を与えなかったため、これに不満を持った武士団が離反したというものがあるが、実際に苦戦続きで戦功がなかったのであれば、武士団も恩賞の少なさに異議を唱えることはできなかったであろう。

 

 

 つまり、元寇における戦勝の功績を独占し(実際は何もしていない)権威を向上させようとする朝廷と、武士団に対する恩賞を削減したい幕府の利害が一致したのが、当時の日本国内における元寇の評価であり、それが「八幡愚童訓」の記述であると考える。

 

 最後に、日本人が八幡愚童訓に基づく歴史観を持つのは仕方がないと言えるが、韓国人が自国の正史である高麗史がありながら、八幡愚童訓に基づく歴史観を構築しているのは極めて不思議なことである。正史って一体何よ?と。(苦笑

 

 

写真は筥崎宮(福岡市)と高良大社(久留米市)

画像は「蒙古襲来絵詞」及びその模写


IP xxx.146.xxx.43
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jpn1rok0|01-17 20:28
あー長文。でもいいや、どうせ韓国人は読まないし、記述の根拠になる文献なんか読んでないから。議論できないであろう。日本人向けスレ( ´H`)y-~~
kcsdy|01-17 20:30
偏見
jap_chinko|01-17 20:41
ウォン区? アジアを制覇して世界を制覇して西洋人たちに黄色人種(東洋人)の偉さを見せてくれた 地上最強の騎馬民族に敢えてつまらない 倭やつらなんかがウォン区だと表¥現することはローマ大帝国の 偉い人物たちにガリア人たちが野蛮族と言うこととようだ www
 → jpn1rok0|01-17 20:41
読めていませんね。はい、おしまい。( ´H`)y-~~
zzzz2003|01-17 21:03
元寇といえば神風のイメージがあるが、神風は出てきませんね。
 → jpn1rok0|01-17 21:06
いや、2回とも暴風や台風の記述は日本、高麗、元ともあるよ。でもその位置づけが違うの。( ´H`)y-~~
watcher1|01-17 21:07
神風自体、武士の功績なんて認めないニダ!という需要から出来たもの、という気もしますね。
 → jpn1rok0|01-17 21:10
実際に暴風や台風で元軍に大きな被害は出ているのだけれど、それ以前に日本軍は勝ってるんですよ。高麗や元の記録ではね。
 → watcher1|01-17 22:07
自己補足すると・・「需要」は、さる高貴な方々の需要です。
rindoh|01-17 21:09
すかさず推薦1票♪
 → jpn1rok0|01-17 21:10
てんきゅーw
zzzz2003|01-17 21:11
「暴風や台風」じゃなくて”神風kamikaze"のイメージ、無いですか?
 → jpn1rok0|01-17 21:13
もちろん、八幡信仰布教用ですから、神風の世界ですよ。
jpn1rok0|01-17 21:13
というか、この文章何一つ権威づけられていないウリの私見だかだ。( ´H`)y-~~
jpn1rok0|01-17 21:15
で、高良大社と亀山上皇はグルなわけで、元寇の後で亀山上皇が「元寇で勝ったのはやっぱ高良大社の効き目だよね♪」なんてマンセーしてます。( ´H`)y-~~
 → watcher1|01-17 21:23
その件が読める、初心者用の文献があれば教えてくださいな。この辺の事情は学生のころから興味はあったのですが、何分無知なままで齢を重ねてしまったので、少し勉強したいです。
 → jpn1rok0|01-17 21:26
んー、高麗史は日本語訳が出ていたような気がします。列伝のたしか八二あたりに金方慶伝というのがあるので、それを読めば概略はつかめるのではないかと。
 → watcher1|01-17 21:31
ありがと。
nimitz|01-17 21:22
(´-`).。oO(恩賞出そうにも新規獲得の領土が無いからこうなったのですかね?)
 → jpn1rok0|01-17 21:27
それがでかいでしょうねえ。
 → jpn1rok0|01-17 21:32
だから竹崎季長がごねまくるわけで。
hitkot|01-17 21:34
( ´ー`) 多才。つぅか、爪隠しすぎ。w >jpn1
alchon|01-17 21:36
いや〜こんな素晴らしい資料のスレあるんだね。目から鱗だ。良いとこ取りの半島人気質も解ったしw
jpn1rok0|01-17 21:45
まあ、このいざこざは幕府滅亡まで続いちゃうわけで、そういう訴訟の処理を幕府がこなしきれなくなったのが幕府崩壊の主因
jpn1rok0|01-17 21:48
そこで、幕府に任せていても埒があかないのでマンドクサくなって、自分たちで勝手に争論を処理しちゃう人たちが、この頃から登場した「悪党」とはzeongの弁
g444gq|01-17 21:50
元寇は防衛戦争だったから奪う土地が無くて恩賞を与える事が出来ないから御家人達の活躍を過小評価したって話結構有名じゃない?
 → jpn1rok0|01-17 21:52
無論そうですよ。だから竹崎季長が補償を求めてニダニダごねたわけで。その必要性は必要性として、いわゆる「神風」と幕府の関係について話しているのがこのスレの主旨
 → jpn1rok0|01-17 21:56
っていうか、土地っていうか、細かく言うと、何坪とか、そー簡単な問題ではないわけで。
watcher1|01-17 21:51
昔は喪家系が神風マンセーしていた(多数映画も有り)のに、破門されてから一切元寇に触れないのもワロス
yarma|01-17 21:56
そうだったのかぁ。歴史の授業では元軍が有利だったと習ったなぁ。 神風って日本の守護神が放った「神の吐息」のように扱われてて何となく違和感があったし、元軍がいつまでも船上にいた(遊牧民はそういう習慣をもってるんだろうと自分で無理に結論付けてた)ってのにも疑問だったんだけど、納得したよ。 スレ主は歴史に非常に詳しい人みたいだね。
cncncnl|01-17 22:03
武士不満が二万私だけではないんですが.^^
jpn1rok0|01-17 22:04
参照でTOP画像の筥崎宮にかかる敵国降伏の文字は亀山上皇の書いた文字を写したもので、朝鮮出兵にあたって毛利元就の三男である小早川隆景が作らせたもの。
sibural7|01-17 22:08
ノモンハン事変と一緒だね。勿論、青山里事件とか普天堡戦闘とは無関係だけど( ^▽^)
 → jpn1rok0|01-17 22:11
ノモンハンって言うか、元寇では日本軍割と圧勝してるし。
 → jpn1rok0|01-17 22:17
高麗史の九州沿岸での戦闘の記録なんか、かなり悲惨な状況が書かれているわけでして。司令官の一人は日本軍の突進を受けて危うく斬り殺されそうになって命からがら逃げ、何日戦っても戦うたびに負け、海上に逃げれば壱岐まで追撃され、船上で伝染病(高麗史の記述で同年代に本国での天然痘の記録があるので、天然痘かも知れない)が流行して死者が続出し、食料が底をつき、船は腐っていき、フビライの命令なので退却もできないという状況。
sibural7|01-17 22:18
ノモンハンって、日本軍の惨敗って事になってたからね。ところがソビエトが 崩壊したら、ソビエト軍の被害の方が多かった事が明らかになった。 日本では、その無謀さが問題にされる。それは正しいけど、ただし、その前提になるものを 韓国人には理解できない。
 → jpn1rok0|01-17 22:21
んー、ソ連の損害が予想外に大きくても、ノモンハンはやっぱり日本の負けだから。
 → jpn1rok0|01-17 22:24
戦争の勝敗って損害の大小じゃなくて、戦争の目的を達しているかどうかが全てだと思うから。
sibural7|01-17 22:29
そのとおりです。
jpn1rok0|01-17 22:32
で、元寇の場合、「そこそこ頑張ってたんだよ」じゃなくて「実は圧勝でした。それなのに味方が負け認定のアンフェアなジャッジ」というねじれがあるんですよ。
cncncnl|01-17 22:35
ウォン区,高麗のべた負けですね.^^
cncncnl|01-17 22:48
戦争と言う(のは)複合体と言う言葉が当たりますね.
takejima|01-17 22:57
復元した亀船を見る度に、造船人に船を作らせた元の愚かさを感じるよw。
 → jpn1rok0|01-17 23:04
波の間に間に高麗人が~2つ並んで沈んでる~高麗船は~オヤジの形見~型は古いし時化にも弱い~ウリと兄貴のヨ~夢のゆりかごサ~♪
 → nimitz|01-17 23:35
(´-`).。oO(ゆりかごならぬ棺桶かとw…)
oreakc|01-17 23:08
首まで覆ったよろいを着ている兵士らが 蒙古>http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/upload/photo/phistory/62000/20060117113749627192822500.jpg>←この兵士らは 高麗
 → jpn1rok0|01-17 23:09
あー、モンゴル人、実際にはほとんどいませんから。( ´H`)y-~~
sibural7|01-17 23:20
jpn1rok0 >戦争伝説は、戦術的に語られるんですよね。ていうか、そうじゃないと、ちっとも勇ましくないw
cncncnl|01-17 23:30
亀船は存在しないようだが^^
 → takejima|01-18 01:26
元寇と亀船は年代が違うねw。だけど、後世の亀船のレベルの造船技術であれば、間違いなく、気象条件だけで、日本は楽勝だったかもねw。
yoshitune|01-18 00:27
日蓮(だったかな?)が祈祷したって話を聞いたような。個人的にはたいした風でもないのに沈んでしまう高麗製の船が問題だったのかもねw(2回のうち1回は台風の時期ではなかったという話がありました)
 → jpn1rok0|01-18 01:06
10月でも台風ありますからね。それに台風ではなくても日本の記録にも高麗の記録にも暴風のことが書かれているので、まあ、相当な大風が吹いたのは事実でしょう。
kimpo|01-18 01:44
元寇の研究も、最近では台風よりも武士の功績の方を重要視する説の方が支配的になってきてるよね。あと数年もしないうちに神風説は古いものとなっているだろう。
afvfan|01-18 01:45
jpn1rok0 様> 私見との事ですが,おおむね正しいでしょう. 神風という神社の起こした奇跡が勝因という事にしないと,戦後の報償に困ったのは事実でしょうし,当時の日本に現代の“国民国家”の概念はなかったでしょう. そうした現代の観点から,過去の歴史を判定するような愚を犯してはいけないのでしょうね.
mug001|01-18 01:49
海外でも、当時の日本の武士団の評価は高いようですね。ただ、元寇の撃退に成功したということで、実力以上の評価という気もしますが…。当時の、日本人は、撃退に成功した後、逆に、他国の土地を切り取りに行こうとは、思わなかったんですかね?
jpn1rok0|01-18 01:50
幕府が神風という神話を自ら作って恩賞を引き下げたと言うより、朝廷と八幡宮のプロパガンダに対して自らを含む武士の正当な評価を積極的に主張することを放棄したと言った方が正確かと。
kimpo|01-18 02:00
当時の、日本人は、撃退に成功した後、逆に、他国の土地を切り取りに行こうとは、思わなかったんですかね?<<実際そういう意見もあったよ。立ち消えになったみたいだけど。
 → mug001|01-18 02:09
なるほど、あったんですか。やはり、海外に押し出すとなれば、鎌倉の統率では、難しかった…ということでしょうかね?
mug001|01-18 02:08
2回の元寇ですが、1回目は嵐が来なかったという説も見たことがありますが、少なくとも2回目(弘安の役)の嵐は、確定でしょう。で、この嵐について、当時の日本人が(神社側も含め)、神社の力を信じたとしても、不思議ではありません。当時の武士達は、自らの主張を放棄したというより、神社の力を彼らも信じたということではないでしょうか?
 → jpn1rok0|01-18 02:19
史料的な見地からすると、1回目も暴風は来てると思うなあ。日本、元、高麗の記述が一致しているし。台風シーズンではないから台風ではない、故に暴風ではないという論理の展開を見るが、それは短絡に過ぎると思う。
 → jpn1rok0|01-18 02:22
また、神社の力を信じたから武士団が恩賞を諦めたなどということはなく、というか、そんな事を認めれば、武士はあらゆる戦功を神仏の加護によるものとされてただ働きさせられることになりかねない。そういう条件は呑まないと思いますよ。実際に幕府が捌ききれないほどの訴訟が起きているわけで。
 → mug001|01-18 02:44
どうも、私には、当時の人々の感覚が分からないのですよ。迷信深いのか、合理主義なのか?神社の功績も認めた上で、それとは別に、自分の功績も認めろという発想をしていた…と個人的には考えていますが、実際のところ、どうなんでしょうね?
 → jpn1rok0|01-18 02:52
幕府や武士が朝廷や神社のプロパガンダを信頼したとする場合、幕府の査定を不服として訴訟を起こすのは神仏に対する反逆になりますからね。ところが訴訟が多発していることから、武士団が戦勝は自分たちの努力の結果であり、神仏の加護に帰するべきものではないと考えていたのは明らかなわけで。
mug001|01-18 02:46
自分にreplyすると、一番上に来るのか…enjoy Korea…改善の余地ありだな…。
mug001|01-18 03:05
なるほど。ということは、当時の武士団は、なかなか合理主義者だった訳ですね。確かに、室町幕府に至るまでの過程で、神社仏閣の権威を否定(焼き討ち等)するような行動をとった武士達もいましたし、これは、彼らにしてみれば、当然「有り」だった訳ですね。なんか戦国時代へと続く日本人の流れを感じさせる話ですね。
yarma|01-18 03:06
眠れないからレスしちゃう。俺みたいな歴史に疎い素人からは、相手側の残虐な行為が非常に浮き彫りに見られるなあ。 歴史板で、「韓国人は民主主義国家として未熟」だから大目にみろって言ってるやつがいたけど、こういうのを見ると朝鮮 人ってのは生来冷酷無慈悲で残虐で、自己中心的な民族って思えて仕方ないなあ。 地球で最も醜悪な民族とも言えるんじゃないかなあ?
 → jpn1rok0|01-18 03:17
当時として、占領地の住民に対する残虐行為(現代的価値観での)は珍しくないので、それをもって近代の行為を推し量るのは、「日本人は今でもハラキリをする」と言っているのとあまり変わらない。韓国人の問題は、現代の韓国人が現代の価値観から外れた行動をしていることこそが問題であり、そこが笑うところw
yarma|01-18 03:24
レスありがとう。 そうなのかあ。 確か、対馬か九州のどこかには「蒙古はおっかないぞ」っていうような言い回しが今も使われているって聞いたことがあったんだ(俺の歴史知識はそういった伝聞の寄せ集めだから真偽がごっちゃになってる)。現代までそう言われてた、もしくは当時そういったことが言われたってことは日本人から見たらそうとうなカルチャーショックだったのかなあ、なんてかんがえてたんだ。そうか、日本でも残虐な行為はなされてたんだね。
 → jpn1rok0|01-18 03:29
ムクリコクリ また親が泣きやまぬ子に「泣くと山から蒙古来るぞ」と言う地方もある。
 → jpn1rok0|01-18 03:32
日本は諸外国に比較して住民を巻き込む形態での戦争は少ない。これは異民族との戦いを経験していないことや、平安時代以降の戦いが主に荘園の拡大競争の延長であって、そこに生活する農民を殺すことは獲得した土地の生産力低下をきたすことにも関係するかも知れない。
 → yarma|01-18 03:36
そうそう、そんなことが言われ続けてるくらいだから当時の日本社会には無い、日本人には考えつかないほどの惨劇だったのかなあなんて想像したんだ。 でも、侵略者を悪く言うことで悪者以上に仕立てるってことも考えられるからどうなんだろうね・・・・
 → yarma|01-18 03:50
日本は諸外国に比較して住民を巻き込む形態での~>そうかあ。確かに、「蒙古来るぞ」だけじゃ、どの行為に対して言われてたのかわからないし、住民を巻き込む戦が空前絶後の戦闘方式だったら記憶に残るかもしれないね。 ジャピンさんの知識と思考力と意思の理解力はすごいなあ。
tooo|01-18 03:26
実に面白い。
 → jpn1rok0|01-18 03:33
もはようw
 → tooo|01-18 03:52
おはようございます。最近の氏のthreadの中では、秀逸ですね。新しい路線かと思いました。笑
 → tooo|01-18 03:53
っていうか、もうちょっと膨らませば、軽く論文になるでしょうに。ENJOYに投稿するにはもったいない気も。笑
 → jpn1rok0|01-18 03:53
最近狩りの獲物がいないのでクソスレ中心主義だったし、韓国人も面白いことしてくれませんからねえw
 → tooo|01-18 04:10
このjpn氏による私見が如何に興味深いものか感じ取るためには、歴史好きじゃないと無理でしょうしねえ。マジもったいないなー。論文書くべきでしょう。
 → jpn1rok0|01-18 04:11
いやー、マンドクセーw
 → tooo|01-18 04:13
そんなことおっしゃらずに。 ENJOYに投稿するよりは、有意義だと思いますが。笑 
 → tooo|01-18 04:14
しかし、この投稿がどれだけ面白いかを、韓国人が理解するのは、不可能に近いだろうな。笑
 → jpn1rok0|01-18 04:21
韓国人読まないしw
yarma|01-18 03:32
これは難癖つけてるんじゃないんだけど、朝鮮 人は昔から近代まで倫理観てのが無かったのかなあ?近代でも人をもてあそぶ様な刑罰があったんだよねえ? なんというか、法に従った、社会をより良くしようという精神とはほど遠い、快楽殺人の心理状態と似たような行いがなされてたって読んだんだよね。 俺、この掲示板に毒されてるのかなあ?
jpn1rok0|01-18 03:35
李氏朝鮮までの刑罰は、基本的に中国の刑罰の影響を受けているので、処刑の方法などをもって朝鮮民族独自の残虐性を証明するのは難しいかと。
 → yarma|01-18 03:42
処刑の方法というか、刑を執行する人の態度かな。 大きく捕らえると弱者に対する姿勢、扱いというか。 いろんな人の投稿を読んだけど、当時の朝鮮 人からは罪の償い以上のものを犯罪者にかせてるようにしか見えないんだよね。 史書ってやつを読んでないから、伝聞によるイメージで言ってるに過ぎないから恐らく俺に間違いがあるんだろうけど。
 → jpn1rok0|01-18 03:47
刑を執行する人間の態度については、明確な史料を見たことがないので何とも言えないなー。
 → yarma|01-18 03:58
そっかぁ。 俺の乏しい知識とその場限りの思考力じゃやはり歴史専門家の同意は得られなかったか^^ 力及ばずだね。 俺は民族性ってのを独自の解釈で想像しててそれを妄信してるところがあるんだよね。 だから強引な主張もちゃうんだけど。。。 史料がないとわからないよね・・・ また出直してくるよ。
jpn1rok0|01-18 03:49
まあ、鎌倉幕府は涙ぐましいまでに法を厳正に適用して、訴訟の再審制度もあり、再審にあたっては担当者を全員入れ替えるまでして公正さを追求したのだが、その厳正さが訴訟の遅延を招いて元寇後の混乱に拍車をかけた面もあるわけだが。
 → jpn1rok0|01-18 03:50
そういう意味では「日本人やなー」と思えないこともない。
peugeotsuki|01-18 09:03
蒙古襲来絵詞が保存されているとこに住んでる私が来ましたよ。
 → irogu|01-18 10:46
ここに投稿されている真ん中の絵の三人の蒙古兵は、後世の書き足しだと広く知らしめて欲しい。
sibural7|01-18 18:18
なんか俺、意味不明な事書いてるな、日本語になってないし・・・・                         (´・ω・`)<深酒控えなきゃなあ・・・  
cncncnl|01-18 19:44
楽しく読む^^
bestguy|01-18 21:14
jpn1 さんはすごいな~。分かりやすい。次は、韓国の学校で教えている、「古代の韓国人がモンゴルの日本侵略を何十年か防いだ」 という妄想wを、打ち砕いて欲しいですねww。 参考 妄想 スレッド  http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pvillage&nid=24578  そして infy さんが分かりやすく説明してくれる。ww http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=9&nid=1470335
 → jpn1rok0|01-18 23:20
今は学校で「古代の韓国人がモンゴルの日本侵略を何十年か防いだ」なんて教えているの?
pr_b|01-18 23:10
目から鱗が落ちまくり。 HOTになーれ♪
kern|01-18 23:54
(= ´ω`)……みんな、『蒙古襲来』(網野善彦、小学館、1992(初版1974))、『徳政令』(笠松宏至、岩波新書、1983)、『神風と悪党の世紀』(海津一郎、講談社現代新書、1995)……この辺りを読むといいなぁ。
hanakuso2|01-19 00:13
面白い・・・|д゚) すごい人がenjoyにはいるんだね。
jpn1rok0|01-19 01:33
韓国人に訴求しないスレは2日晒しても100レスもいかず(笑い
dadaist|01-19 03:10
はーい100レス目!
jintea99|01-19 12:04
元と高麗はただ 2回だけ日本と戦争をした.^^ 本来上陸作戦に弱い元国^^ 戦争がもうちょっと長くなったら, (煮こもうとする 40年間 7‾8回元の侵略を阻んだ.) 日本も金 , ソ¥ング, 高麗のように滅亡または副馬国の都合になったはずだ.^^ それが定説だ. 日本では得るのがなかった元国^^
 → jpn1rok0|01-19 20:27
それ、普通に自爆。元の東路軍は指揮官以下ほとんどが高麗人、船は高麗製、船員も高麗人です。ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ( ´H`)y-~~
 → jpn1rok0|01-19 20:28
というより、激しく的はずれなコメントありがとう。バカ鮮人( ´H`)y-~~
 → kern|01-19 22:01
洪茶丘 マンセー! ですな (・∀・)
jpn1rok0|01-19 22:04
補足:DCで高麗史には「東路軍不利の記述がない」などと言っているアホがおりましたので、ここで論破しておきましょうね。( ´H`)y-~~
jpn1rok0|01-19 22:05
忽敦日、蒙人雖習戰何以加此、諸軍與戰及暮乃解。方慶謂忽敦茶丘日、兵法千里縣軍其鋒不可當。我師雖少巳入敵境人自爲戰、即孟明焚舩淮陰背水也。請復戰。忽敦日、兵法小敵之堅大敵之擒、策疲乏之兵敵日滋之衆、非完計也。不若回軍。復亨中流矢先登舟、遂引兵還。會夜大..
 → jpn1rok0|01-19 22:07
滋之衆、非完計也。不若回軍。復亨中流矢先登舟、遂引兵還。會夜大風雨戰艦觸岩崖多数・・・
jpn1rok0|01-19 22:09
勝っている軍が「自ら船を焼き退路を断って背水の陣をしく」わけねーだろと。
jpn1rok0|01-19 22:13
小部隊が必死に防戦することは、大軍に包囲されるだけなのでやめたほうがいい。疲弊した兵士で大軍を相手に戦うのは良い作戦ではない。退却するしかない。そのころ司令官の一人である復亨は流れ矢に当たって既に船に収容されていた。そこでついに兵を引き揚げて退却した。その夜、暴風雨が起きて戦艦の多くが岩にぶつかって壊れた。( ´H`)y-~~
jpn1rok0|01-19 22:16
弘安の役はマンドクセーからこれでも読んでろ。アホ http://soutokufu.s145.xrea.com/img/up013.jpg
 → jpn1rok0|01-19 22:20
というわけで、お解りかな?DCのhappy君、여기서 君。もう一度勉強しなおしていらっしゃい。坊や。( ´H`)y-~~
y14321|01-20 02:24
よくはわからないが、そういえば、源氏系としての幕府、武士を考える場合、八幡神社との関わり役割などは重要ですね。神社という施設を介しての日本独特の解釈というべきか。一年の交通安全を祈願してお守りを車につけ、年末に穢れのついたお守りを焼いて祓い交通安全神に感謝する行為とかと同じようなもの。交通安全につとめたのは本来は自分自身なんだけどね。鎌倉幕府の鶴岡八幡などを考えた場合、当時の武士にとって神仏の意味も現代人より遥かに重要だったと思われます。ようは八幡愚童訓のような見方は普通ではなかったかという事。ただ戦いでの恩賞の場合、活躍した者と駄目だった者は剛の座、臆の座などで功績は明確に分かれていたと思うので功績と神社との関わりは意外になかったのかもしれない。想定外の戦いに備えた恩賞をまともに出せなかったまたは出す方法を見いだせなかった言い訳に幕府が神仏の御加護を持ち出せたのだろうか?..
 → jpn1rok0|01-20 02:37
幕府が神仏の加護を直接的に持ち出すことはありません。だってそんなことをしたら幕府自体の権威「武士の力」を自己否定しますから。ただし、幕府はこの朝廷のプロパガンダに対して積極的に異を唱える行動をとっていない。
 → jpn1rok0|01-20 02:39
スレッド本文でも、幕府が神仏の加護を持ち出して恩賞を引き下げたとは言っていません。幕府には恩賞を制限する必要があったということです。そのためには交換に流布される八幡信仰と上皇の祈祷の効果は利用価値があったため、あえて阻止する行動を起こす必要がなかったと言うことです。
 → y14321|01-20 04:06
jpn1rok0>ようは氏神である八幡神社に対し幕府は神仏の御加護を持ち出さないのは当然で、朝廷のプロパガンダに対して積極的に異を唱える行動というのもとらないのも当然という事。時代的にも一応源氏系の頭領が統率している事から信仰を流布する必要性もないとも言える。利用価値とか以前にその行為が普通ではなかったかという事。それは頭領に従う武士としては、おそらく神社(八幡神社)の意味など基本的に知っているだろうと思われる。
y14321|01-20 02:38
神社的見方と現実的恩賞は別ではないかと推測。ただ単に基本である恩賞が出せなかったから幕府が弱体化しただけなのかも。神風に関する歴史観って江戸期と明治期では違いがあるかなあ??今の神風にみる史観って明治期っぽい気がする^^韓国人の日本的史観は日本時代の影響かw
 → jpn1rok0|01-20 02:42
恩賞が出せなかった事それ自体で幕府が弱体化したわけではありません。論功行賞に関する訴訟を法に照らしてあまりにも厳正に行ったため、処理が追いつかず、問題解決を先送りされた武士団が「自主的に」問題の解決に乗り出したために幕府の統制力が失われたというほうが正確です。
 → y14321|01-20 02:57
なるほど、いろいろな原因である事はわかります^^
jpn1rok0|01-20 02:46
 恩賞が出せずに幕府が崩壊したのであれば、元寇の直後に崩壊しなくてはなりませんが、実際にはそうではありません。
 → y14321|01-20 03:11
恩賞が出せずに幕府が崩壊したというより幕府の成り立ちの基本的構造の弱体化と言えば良いのか。恩賞もその一つで先送りされり政治構造の未熟さも
jpn1rok0|01-20 02:55
むしろ、スレの構図は 「八幡信仰VS鎌倉幕府」ではなく、「朝廷VS幕府」の構図で書いたものなんですがね。
 → y14321|01-20 02:58
八幡信仰VS鎌倉幕府では語っていませんよ。
 → y14321|01-20 03:03
なんていえば良いのか説明が難しいけど朝廷と幕府とは仲は良いとはいえないけど八幡神社の関わりから考えた。うーん説明が難しいw
 → jpn1rok0|01-20 03:12
八幡宮と朝廷の関連はスレの通り
 → y14321|01-20 04:33
jpn1rok0 01-20 03:12>y14321 01-20 04:06で書いてみた。確か「八幡愚童訓」は岩清水八幡系で岩清水八幡は源氏の氏神。岩清水八幡が神風を世間に流布したとかは神社側の見方であって幕府特有の戦いの功績による厳正な評価とは関係はないのではないかなあと^^。
 → jpn1rok0|01-20 05:55
それを「無関係」とするにはこれだけの大事件・国難を乗り切りながら、幕府がプロパガンダをうって権威の向上を図っている様子がないことを説明できないわけで。
y14321|01-20 07:08
大事件・国難は結果として勝っている訳です。幕府がプロパガンダをうって権威の向上を図る必要もないのじゃあないかな。勝ったので朝廷は僕たちも手伝ったと流付すると思う。
y14321|01-20 07:18
どういえばよいのかわからないが『幕府VS武士』かなあ。
y14321|01-20 07:26
神風の世間の流布が実際にあったかはわからないけど、根本は武士の頭領である評価ではないだろうか。いろんな見方はあると思います。
ihj00453|02-22 02:18
一体日本の歴史書を歴史書で認めてくれる国がどこにあるか. 日本本土内でも読ませる... 世界では大陸の歴史を土台で当時台を評価するの優越注意に抜けていた島国住民たちの 小説を当時台を評価しない.
これが倭国の誇るninjaの実態であることだ [29]
- 日本における元寇の評価に関する私見 [130]
フランシスコ・ザビエル像 [6]