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| identityのその土台は多様性にある...........! だからそのものが混乱または混同スロウル数しかない............! だから指摘水準が高い収録その部分(自分の identity)は思わない.............! |
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| いやね、とにかく韓国人は「民族的自覚(ethnic identity)」と「国家帰属意識(national identity)」の違いくらい分かれ、と。 |
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| 鈴木商店真っ黒・・・・ |
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| 韓国人位の勢いで責められても文句が言えませんね。 |
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| 鈴木商店・・「栄光なき天才達」に描かれてたな。名前はそのへんの商店街の小っちゃな雑貨店みたいにショボイけど、一大コンツェルンだったらしいね。 |
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| 確か「残った一部」が日商岩井とかですから… |
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| がーん。台湾一の製糖会社「台湾製糖」も鈴木商店の子会社だったのか…やっぱり「鈴木商店」は未だに許されていない様です。 |
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| 「あえて一例だけ挙げておく。判る奴には判ると思うから皆までは言わない」…大人の余裕ですな、台湾人。 |
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| これもし ¥"国民の歴史¥"のような政治宣伝物ではないか? ^^ |
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| いやね、真面目に良作。 |
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| 決して埋まらない「内省人(日本統治経験者)」と「外省人(国民党)」の歴史観の間のギャップを埋めるには、まず史料の内容を提示して、それぞれの立場からそれがどう見えるか丁寧に説明していくしかない訳で…それを真面目にやった見本みたいなもの。 |
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| ochi>> そのように identityが易しいことか...............! それならお前の identityは................! identityというのは周辺環境または自分の指摘水準そして自分が処した状況によってあまりにも変数が多いのだ..............! そうなのが identityだ...............! |
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| 例えば「この事件で80人が死にました」という現実が目の前に突きつけられた時、あれこれ悩んでる余裕は与えられないのが普通です。「仕方がなかった」か「許せない」を根拠をもって即答させる何か、それがidentityなのでは? |
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| 良作だけど…やっぱり「台湾出征」については語れないのだなぁ、としみじみと思いました。 |
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| 一番笑えたのは、台湾に国民党軍が上陸してきた時、見物に来た台湾人が一斉に「何てだらしないゲートルルの巻き方だ!!」と思ったって挿話でした。 |
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| 日本軍だと入隊したての少年兵だってそこまで酷くはなく、もしそんな有様だったら即往復ビンタが飛んできたでしょうに。 |
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| ochi>> お前は identityに近付く方式さえ違った.....................! 一つだけ問う...........! identityは時間によってまたは視覚によって変わることができることか..............! 変わることができたら何がそれを変わるようにしようか.............! |
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| ochi>> 原論的に誰も他人の identityを定義することができない..............! |
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| 何を言いたいかは判る。「不可逆性の選択は可能なかぎりしたくない」という心情にも共感を覚える。でも、実際の人生には必ず「不可逆性の選択」が付きまとってる訳だよ。 |
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| ここではあえて挙げなかったけど下関条約締結後、台湾は「徹底抗戦派」と「平和受容派」に二分された。そこには[「とりあえず保留」なんて選択肢はなかった。私が言いたいのはそういう事。 |
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| 一つ質問します. 最近読んだ論文で日本帝国による四面措置において朝鮮と台湾の反応を評価した部分を読んだがいわゆる憲法で明示した国家統帥権者である天皇による四面という行為が朝鮮では皇国化政策の一環に進行されてその四面行為に好意的な反応と共に相当な效果を見たが台湾の場合左翼系列知識人の物笑いとともに四面という措置にむしろウィアにして理解ができなかったと出ますね. このような現象に対してはどうして思いますね |
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| 四面措置? うまく翻訳されてません。 別の表現で言うと何ですか? |
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| 赦兔, pardon です |
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| 「皇民化政策」…まず一言。大日本帝国がそれを行ったのは、植民地をも含めた総力戦を覚悟せざるを得なくまった最後の8年だけだったという事を台湾人はちゃんと知っています。 |
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| 「最後の8年」…まず、この感覚が理解できますか? |
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| ochimusha 07-23 19:31 歴史観に対する問題が立ち上がって台湾人が持つ特有の国家観と共同体意識に対する質問を申し上げただけです. 同じ皇民化政策を実施しても台湾の場合長年の異民族の統治を経験で国家のリーダーという認識が欠けてアジア国家の前提国家で実施した皇帝の四面とか国家による政策という観念が希薄したことが理由だと出ますね. 台湾の特殊な歴史が持って来た意識だから見るが. 本の内容やはり土着民で異民族治者をその対象を問わず同じ部類で見た台湾人原住民の認識と国民党が敗戦して来てその理念, 政党の歴史性に照らして歴史を見たことが衝突したということを内容にするのではないんでしょうか? |
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| ochimusha 07-23 19:35 全然論点の外の内容みたいです. -_-+ |
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| ochi>> identityはその多様性を土台にする....................! 問題は identityの多様性を受け入れる立場(入場)すなわち他人の視覚が重要だというのだ................! すなわち多様性を認めることと認めない.......! それが重要だというのだろう...............! |
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| identityの多様性の必要性を訴えたいなら…リンク先の年表にある「義烈団」くらい格好良く立ち回らないとね。 |
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| 国家への帰属意識(national identity)は政府の教育によってのみ成り立つものだよ。アメリカを見ればよく分かる。逆に、近代的な政府政治がないとnational identityは絶対に根付かない。 |
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| 当時は韓半島にも台湾にも、近代的政治を行う政府は無かった。民族の多様性とかを訴えても、政府がしっかりしていなければ吸収され、洗脳されるのが当たり前だった。 |
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| ochi>> identityの多様性の必要性を訴えたいのではなく...............! それを眺めるお前の視覚の多様性を話すのだ................! すなわち他人または社会そして国家的 identityを眺めるお前の視覚..............! 話が長くなったようなのでここでつい抜ける..........! |
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| お疲れ様です…ちょうどkalamazov 氏との談義とも重なる箇所がある様です。 |
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| 「台湾人が持つ特有の国家観と共同体意識」「台湾人が持つ特有の国家観と共同体意識」…まず、出発点として…「歴史的アイデンティティ的に言って台湾人は1種類ではない」という事が理解できてますか? |
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| 主張を理解しやすくもうちょっとはっきりと表現したらと思います. |
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| ochimusha 07-23 19:40 台湾人が 1種類ではなくその地域が持つ特性を話しました. これは理解ができますか? |
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| ではまず「皇民化政策」について。外省人はそれを「奴隷化政策」と呼び、内省人を「奴隷化された劣等民族」と決めつけ、実際に20年近く奴隷として扱ってきました。 |
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| ochimusha 07-23 19:45 皇民化政策を取り上げたことはその反省人と外姓人の認識以前に反省人が国家というのを受け入れる方式で論点を引き続くために取り上げたのです. この返事も論点離脱みたいですね. |
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| 『外省人』とは毛沢東・共産党との戦争で敗れて台湾へ落ち延びた蒋介石・国民党員のことです。 |
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| 一方、内省人は投獄されても暗殺委されても決して精神的に挫ける事無く戦い続け1990年代になってやっと「対等の人間」として扱ってもらえる様になったのです。そして「自分達はどうしてそれを成し遂げられたのか?」と、考えた時、丁度思い当たったのが「皇民化政策」と「日本兵としての経験」だったのです。 |
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| 「その地域が持つ特性」…この本は韓国でも出版されてる本なので是非直接目を通して欲しいのですが、この本はそういう部分に関する視点そのものが秀逸なのです。 |
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| 内省人は中国人(大陸から来た外省人)をあまり信用していないんですよ。そのため、台湾人の多くは香港のように大陸中国と合併したいとは思っていないのです。 |
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| 「内省人は外省人をあまり信用していない」…本書を読んで,その外省人がさらに「2.28事件以前/以後」に大分され、さらに中間に「半山」という階層が存在する事を知りました。 |
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| つまり、228事件の後に、外省人のなかでも本省人に歩み寄りを見せる人たちが出てきたということですか? |
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| 「本省人が国家というのを受け入れる方式」…簡単に言うと一部は「自分の尊厳を守るのに必要なだけ抗戦した後、本土に逃げるか降伏」。「一部は日本を歓迎し、伝統的方法による天意継承の儀式をを執行した」という事です。 |
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| で、「とりあえず日本人と一緒に頑張った方が儲かる」という事で「大日本帝国臣民」として台湾経営に協力すつ様になったと。ただそれは彼らが自分を「中国人(正確には漢人)」だと確信し続ける事と何ら矛盾を引き起こさなかったのです。 |
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| 「228事件の後に、外省人のなかでも本省人に歩み寄りを見せる人たちが出てきた」…より正確には「【半山】とは日本統治時代台湾の外に逃げていた本省人の事で、親国民党派、反国民党派、無色派を元々含んでいた」という事らしいです。 |
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| また「外省人」の中にも「国民党関係者」と「旧中華民族からの亡命者(文学者、職人、料理人、拳法家等も含む)」とが混在していたという事です。 |
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| で「228事件の時」に親国民党的に振舞ったか反国民党的に振舞ったかで「外省人VS内省人」の対立図式の原型が出来上がった、と。 |
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| ただ、今日の「外省人」の大半はそういう過去を知らず、後から台湾に渡って来ただけでそう分類された人達なので話がややこしくなってくる訳です。 |
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| とりあえず、韓国人の中にこの『図説 台湾の歴史(周婉窃)』を既読の奴は一人もいないの?
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| そういえば…この本の中で「蝦夷共和国」とか「「台湾民主国」の話が何故それなりの頁を裂いて説明されてるかと言うと…国民党の自慢の一つが「中華民国は、アジア最初の共和国!!」だからみたいですね。ますますこの本の著者が好きになりました。 |
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| 私のGHOST(直感)がなおも危険の到来を告げ続けるので、さらに追加調査。 |
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| 「最後の8年」とは中国と台湾で共通して歴史の時間に教わる「抗戦八年」への対応概念と思われる。間違いなく「道徳的絶対悪」とする価値観が主流なのだが、これに対抗する形で本省人の一部に「上海日本兵史観=日本は確かにアメリカには負けたが、国民党に負けたわけでも、ましてや中国共産党に負けたわけでもない。どうして反省する必要があるか?」が存在する。 |
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| そうした「上海日本兵史観」の提唱者の中核にいるのが(当時国民の1%程度だった)所謂「国語家庭」で、ここから李登輝総統が出た為、日本では「この考え方こそ台湾の主流」と思われ勝ちだが、案外そうではない。 |
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| そういう状況に対して本書は「【上海日本兵史観】にも考慮に値する所があり、だからこそ当時の国語家庭以外からも共感が寄せられた訳だが、そこに含まれる【無反省主義】は実に鼻持ちならないものであり、これをを克服しない限り【抗戦8年史観】との間の障壁を本当の意味で打ち払うことは出来ないだろう」としている。 |
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| ある意味、この「【無反省主義】は実に鼻持ちならない」こそがこの本の主題で、具体的には以下が告発されている。 |
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| まず第一に「先住民への征服意識と、これと表裏をなす形で存在する原住民側の事大主義」。原住民の多くは漢民族に屈服し、次いで(台湾内の階層意識にあまり敏感でなかった)日本人に忠誠を誓い、最後には(伝統的に支配者層として君臨してきた本省人に対抗する為に)自ら志願して国民党の走狗となってきた民族史を正当化する必要に駆られている。それに対して本書は「自分達の先祖が何に従属してきたかではなく、まず何を独自文化として構築してきたか考えよ」としている。 |
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| 次いで「本省人無謬史観」については「大陸から渡ってきた漢民族が何よりもまず先住民に対する征服者であり、支配地域を拡大する過程で原住民の血統を吸収してきた(それどころか、当時は漢文化吸収が進み教化済と見做された原住民部族を他の「本省人」と区別していなかった)」現実、「台湾民主国」や「タパニー虐殺事件」が暴露した漢民族アイデンティティの劣悪面を突きつける一方で、逆に「大陸とも日本とも正面から渡り合ってきた不屈の開拓者精神」を呼び覚まし、それと「(大陸との精神的紐帯を重視する)半山精神」とのバランスをこれからどうとるかについて考えよとしている。 |
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| その上で、これまで完全に観客の立場に追い込んできた「外省人(と、そちら側に与する道を選んだ半山人)」に対して、こうした歴史や(多くの外省人が「渡来前の過去に過ぎない」として故意に忘れ去ろうとしている)2.28事件に対する「【無反省主義】の修正を則している。 |
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| 一番重要なのは「中国人や日本人との関係をどう把握するか」以前に「台湾人は台湾をどうしたいのかまず考えよ」という態度が基底にあるという事。ざっと要約するとこういう感じでしょうか? |
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