■ため息
24史のうち、『北史・南史』というものがあります。李延寿撰、659年成立の正史で、父李大師が南北朝の正史の変更に不満を感じて作り始めたもので、死後子の李延寿が引き継いで完成させています。
断代史ではなく北史は北魏、北斉、北周、隋の通史、南史は宋、斉、梁、陳の通史となるのですが、基本史料は魏書、北斉書、北周書、隋書、及び宋書、南斉書、梁書、陳書をそれぞれ用い、魏書で正統とされなかった西魏史を魏澹撰、魏書で補っているほか、「又従此八代正史外更勘雑史於正史所無者一千余巻皆以編入」と雑史1000余巻の記事を編入したとしています。
そもそも李延寿、晋書や隋書十志の編纂に参加した機会に史料を博覧しているので、『北史・南史』とも基礎史料は既存の正史、およびその編纂物あるいはひょっとしたらその原資料であり、その節略増補を行っているため基本的には各王朝の正史と内容はかぶっており、こと倭人伝に限っては独自の知見は殆ど無く「史料的価値」は殆ど有りません。(南史倭国伝にいたっては「倭國,其先所出及所在,事詳北史」とされるほどですし。)
となると、「北史・南史」にある記述があったとしてもその内容の確認は各正史にも当たるべきであり、『北史・南史』の記述は撰者の節略増補があることに留意しなくてはなりません。
かような性質のものですのでその利用には注意が必要なわけで、北史の記述の一部のみを持ち出して何かを述べたり、北史を過去の正史と全く別個の史料として扱うというのは極めて杜撰な行為だと思うわけで、ここで「北史にはこう書いて有りますね」なんて発言をみると密かにため息をついてしまうわけですが、如何なものでございましょう。
「史料」と「史料価値」のお話でした。
解題みれば10分でわかる程度のお話。
yonaki@お遊び中