2009/1/28
「こちらは協和紙業のチリ紙交換です」
我々が子ども時代へ帰ることを夢見るならば,他人に依存して幸福でありたいという誘惑に駆られるならば,われわれの十字架すなわち人間らしさと理性と責任の十字架を担うという課題にしりごみするならば,勇気を失い圧迫にたじろぐならば,そのときにはわれわれは目の前にある単純な決定を明瞭に理解して,自分を強くするように努めなければならない。われわれは野獣に帰ることはできる。だが人間であり続けたいと望むならば,そのときには唯一の道,開かれた社会への道があるのみである。<カール・R・ポパー著:開かれた社会とその敵>より。
本当に生きようと思え。人生を本当に楽しめよ。あんた,あんただよ<矢沢より>
成りあがり(How to be BIG)角川文庫初版発行昭和55年11月20日。永遠のベストセラーだね。アマゾンで買えます。
宣伝しちゃったついでに「成りあがり」と同じく角川文庫の「アー・ユー・ハッピー?」の中から簡単に要約・編集・解説しましょう。本の最後に無断複製・転載を禁じます,とありますが,まあ,構わないだろう。
オレには戻るところがなかった。オレのバンドはオレの汗で始まり,オレの匂いで終わった。
もう一人の俺
考えてみると,オレのまわり,オレ以外のヤツらはみんな暖かかったよ。お父さん,お母さん,ちゃんといてね。帰るとこがある.......オレなんて,チリ紙交換から帰って即,集まってくるから,きたないカッコしている。ホント,みじめ。オレ,まだあのセリフ言えるよ。
「ご町内の皆さま,度々お騒がせしております。こちらは,チリ紙交換「協和紙業」でございます。皆さま方のご家庭で,ご不要になりました古新聞,古雑誌,ボロ等ございましたらお知らせください。当社のチリ紙との交換をいたしております。何キロからでも交換が出来ますので,どうぞご気軽にご利用くださいませ。なお,当社のチリ紙といたしましては,白チリ,京花,トイレットペーパー,その他ブルーチップ等もご用意いたしておりますので,どうぞお気軽にご利用くださいませ。なお,お声をくだされば,こちらから頂戴にお伺いいたします」コレだよ!<成りあがり,176ページ>
丁度1960年代後半だったろうか母子家庭の僕もなんとかフランス系の小さな会社で生活の糧を得ることが出来た頃の休みの日,よくこの「協和紙業」(管理人注:この会社は昭和45年に横浜で創業して今は大阪にあるようです)がやってきた。ちょうど矢沢永吉(永ちゃん)がキャロル結成前のことだ,と言っても本を読んで初めて知った。何回かチリ紙をトイレットペーパーに変えてもらった記憶が今でもはっきりと残っている。その姿も。だけど永ちゃんは視線を合わせなかったし何かにじっと耐えているようだった。さいごに「ありがとうございました」と。この時の記憶がその後一瞬たりとも消えたことはなかった。それが矢沢永吉との最初の出会いであった。協和紙業の場所はおそらく保土ヶ谷の辺りにあって藤沢によく来たのは海が見たかったのかもしれない。その後その湘南の海の記憶が「時間よ止まれ」の曲になって表れたと思う。この頃18歳の永ちゃんは「アイ・ラブ・ユーOK?」を作曲していたというからすごい。当時羽田空港で働いていたのですが中上健二(芥川賞作家)がAGS(Airport Ground Service)という会社で肉体労働をしていたことも後になって知った。当時ここのフランスの会社には変な制度があって入社半年後にもう一度査定みたいのがあって僕は意地悪な日本人課長から首を宣言された。すぐにフランス人支店長に直談判し首はつながった。その犠牲者に深田祐介氏(その後JALに移り作家になった)がいた。その後曲がりなりにも地位が上がった時僕はこの課長を首にした。これが男のけじめであり落とし前のつけ方である。そして20年半勤め自分に落とし前をつける意味で会社を辞めた。悲しくも嬉しくもなかった。その後のことは少しだけ記事に書いたかと思いますが二年間海外で副社長,国内で一年間副社長,その後海外で七年間貿易会社の社長をやり年収6000千万に嫌気がさしてケツをまくって53歳で引退したよ。日本からのくだらないバイヤーに来る日も来る日も女の世話なんて長くやってられないからな。ある時忙しくて日本からの部長なにやらを接待できなかったことがあったら早速取引停止だよ。あ〜,嫌だな。だけど,65歳になったらビジネスを始め10年やりたいと思っています。ここ10年で垢落としたから。最後は幼児洗礼を受けた藤沢市鵠沼の小さな小さなルーテル教会にど〜んと億単位の寄付で終わり。よくぞここまで見えざる手が背中を押してくれたというお礼の意味もある。死んだ親父はむかし勘当されて故郷の墓に入れなかったので僕が買った墓で静かに眠っている。18歳の時家を出て行っちゃったけど英語を教えてくれたから世間を渡っていけたと思ってる。僕も突っ張ってハッタリきかして生きてきた。今思えば冷や汗もんだけどね。
成りあがり 大好きだね この言葉 快感で鳥肌が立つよ
「何がほしいんだ。何が言いたいんだ。それを,いつもはっきりさせたいんだ。いま,こういう時代だ。みんな,目的はどっかに捨てちまってるみたいだな。いいさ,構わないよ,オレは。みんな,そこらへんのボクたち。頑張ればいいじゃん。十の力を持っていたら,九までは,塾だ受験だちょうちんだでいいよ。でも,一ぐらいは,残りの一ぐらいは,一攫千金じゃないけど,「やってやる!」って感覚を持ちたいね。オレ,本気でそう思ってる。成りあがり。大好きだね,この言葉。こんな,何もかも確立されきったような世の中で,成りあがりなんて.......せめて,やってみろって言いたいよ」。<12ページ>
なんで金がないんだろう どうして両親がいないんだろう 口癖は おばあちゃん おもしろくない
「広島で生まれた。一人っ子といえば一人っ子だけど,ほんとは,上に二人いたらしい。オレのオフクロは,後妻だからね。前のオフクロと親父の間にはふたりいたわけ。男の子と女の子。それが,広島のピカドンの時,前のオフクロ,義理の姉さん,兄さんと三人全部一緒に死んだ。そうして,親父が残ってさ,オレを産んだオフクロと知り合って......オレが昭和24年に生まれたわけ........オレの覚えているのは,酒,飲んでいるところ。荒れてもいたね。死んだ時,わからなかったね。遺体見ても,泣かなかった。涙,出なかった。正直なところ「あれ,死んだの?」って感じだったものな。しばらく月日が流れて,「ああ,死んじゃったナ」と思ったら涙が出てきた。小さかったから,よくわからなかったってこともある。いまだったら「親父!」,抱きつくかもしれないけれど,やっぱり子どもには「あ,おとうちゃん,しんじゃったの」って感じしかない........オフクロは,もう,その時にはいなかった。三歳の時,逃げちゃってた。オレはしょうがないってことで,おばあちゃんに育てられた」<16ページ>
ファンキー・モンキー・ベイビー
親父もたいへんだったな いまになって思う オッサン 根性たりなかったね
「いまになって考えると,少しは理解ってものがでてきて,親父の墓参りなんかもできるけど.........一時は,「このバカ」。ずっと思ってたな。<だいたい,あんた勝手だよ。コオマンしなきゃいいじゃん,コオマン。おまえら,いい加減にコオマン決めて,オレ産んでから,夫婦喧嘩してアレか...........じゃ,オレ,どうなるの。コオマンするな,パイプカットせい!>って話になる」<27,28ページ>
無意識のうちに横浜で下車 張り紙見て ボーイになる 夢だけがオレを支えた
YES MY LOVE
「どうしてなんだろう。いまでも,よくわからない。東京に出る,東京に出ると思ってたオレが,汽車の中で「ヨコハマー,ヨコハマー」と聞いた途端に飛び降りた。そう,ビートルズのリバプールだよ。港町。無意識みたいに横浜で降りた。ウオー,目的に一歩近づいている。オレ,とんでもない行為してる。横浜駅の,東口に出た........」<80ページ>
時間よ止まれ
「マリアと出会ってオレは幸せだった。食事をしていろんな話をした。話をすればするほど,オレは彼女に夢中になっていった。マリアといると,落ち着いた。マリアのほうは,いつもオレを見ていた。矢沢永吉を見てた。矢沢永吉を見て,いつもこう言っていた。<あなた,なぜ,そんなに生まれ故郷の広島のことで,くだまくの><あなた,なぜ,自分の過去に吠えるの><なぜ死んだ自分の父親の悪口を言うの><あなたは守られてないのね> そして,言った。<あなたの奥さん,一体何してるの?> 女房?女房は一生懸命やってるよ。オレは,いつもそう言い返した。<洗濯,育児のことを言ってるんじゃないの。なぜ,あなたを見ないの?><あなたがこんなに荒れるまで,なぜ,ほっておくの?> 別にほっといてなんかいねーよ。私には信じられないって,彼女は言った。<あなたは,日本のロック界のスーパースターかも知れないけど,私が見るかぎりは,『裸の王様』そのものよ> そして,いつもいつも言い続けた。広島のことを忘れろ,過去を忘れろ,なにを忘れろ。そうやって,マリアは,裸の王様に着物を着せ始めた。マリアといる時間が,どんどん増していった」<アー・ユー・ハッピー?58,59ページ>
永遠のひとかけら
管理人の一番好きなCM
「これもキャロルがデビューして間もないころだった......そんなとき,関西で新聞の取材を受けた。キャロルと新人演歌歌手の女の子が一緒だった。場所は新聞社の編集部だった。オレたちは24歳だった。記者は大学を出て,新聞社に入って,何年かしたところだった。ちょうど勘違いし始める時期だ。みんながコイツにペコペコする。「よろしく」といってインタビューが始まった.........。次はオレたちキャロルだ。「バンドの名前は」「ぼくらキャロルっていうんです」オレたちは全員リーゼントで革ジャンだった。「あ,そう。キャロルね」女の子のときとは全然反応が違う。『デビュー曲・ルイジアンナ』?「あ,そう。ふ〜ん。あ,ロック?ロックやってんだ」........反応が失礼なヤツだと思った。「ぼくらこの間,渋谷公会堂でデビュー飾ったんですよ。ご覧になりましたか」「ああ見てないよ。ヒマないよ,忙しくてさ」カチンときた。
「ジョニー,だめだよこいつ。わかるじゃん。こいつに何言ってもわかんないよ」すると,新聞記者もカチンときたんだ。それからもっとつっけんどんになった......記者はむくれっぱなしだ。いかにも書いてやるという感じだ。「センセ,今日のこの記事,いつごろ,新聞に載るんですか?」とオレは聞いた。「えっ?どういう意味?」「いや,ぼくらデビューして間がないですから,いつごろ記事に載るのかと思って。その日の新聞,買って取っておきたいんです」そしたら、この記者,こう言いやがった。「おまえ,だいたいナマイキだろ,さっきから。おまえナマイキだよ。これ記事にするかどうかわかんないよ,ボツにすることだってできるんだ。態度がナマイキだよ,きみは」それで終わった。
「えっ,ジョニー,このバカ,いま何って言った?」とオレはジョニーに言った。そして記者の方を向いて「もう一回,言ってみろ」と言った。記者はみるみる青ざめていった。「こら,も一回言ってみィ。てめえナメてるのか.こらあ,おどりゃあ!タイマンでオレと勝負できるか。新聞社のバックボーンがなくてケンカできるか。名前はなんていうんだ?歳はいくつだ。この小僧,なめてんのか」新聞社のなかだ。周囲は騒然とした。三,四十人が立ち上がってこっちをみている。「こら,サラリーマン,見世物じゃねえぞ!働け!こいつ,いまシバキ入れるぞ」生意気な記者はブルブル震えている........最後に記者の耳元で言ってやった。「オレは矢沢って言うけど,必ず日本で天下を取るぞ。忘れるな,オレの名前を。日本のロック界で天下を取るからな。見とけ」観音開きのドアをバカーンと蹴飛ばして開けて帰った。「今日の記事は,みんな消しとけ」オレは吠えた。<209〜211ページ>
アイ・ラブ・ユーOK?
リストラ?べつにされりゃ,いいじゃん。こっちからくれてやるよ。こんな会社。そう居直ってしまえばいい。
本当に生きようと思え。人生を本当に楽しめよ。あんた,あんただよ。いまこの本を読んでいるあんただよ。会社をリストラされただけで,「もうオレの人生はおしまいだ」なんて,なんで思うんだ?まあいいじゃん。皿洗いでもなんでもやる根性持てよ。空き缶でも拾えよ。空き缶を拾うこと悪いのか?空き缶を拾ったら,それで人生は終わるのか?
オレはあんたのそこしか見てないと思っているのか?空き缶を拾ったらまずい,ってことだけ見てるのか?そんなことはない。せっかく生まれてきたんだから,と思えばいいじゃないか。あまり惑わされないほうがいい。雑誌に惑わされるな。テレビに惑わされるな。新聞に惑わされるな。マスコミに惑わされると,リストラされたらもう人間じゃないんじゃないかと思ってしまう。リストラはあんたのせいじゃない。会社の都合でリストラされた。あれは一つの都合だ。会社の都合。
経営者だって都合はある。現金払わなきゃいけない。家賃も払わなきゃいけない。あんたと一緒だよ。あんただけが辛いわけじゃない。経営者だって辛いから,あんたに会社をやめてくれと言っている。経営者も必死だ............会社の都合が自分の人生をとことん否定するところまでいっちゃうのが,いまの社会だ。だから,リストラされたら,人間扱いされないような錯覚に陥る。「オレの人生は終わった!」みたいな気分になる。首吊ったり,ホームレスになったりする。辛いのはたしかだ。辛くないって言ったら,それはウソだ。会社をクビになりゃ,家賃も払えないだろう。だけどそこで,自分の存在すらも,もう全部だめなんだというのは,違うと思う。そこの部分が違うんだってことを思わないと,人間は生きていけない。<249〜250ページ>
矢沢永吉ビデオ集
「昔,キャロルでデビューしたとき,『週刊平凡』という芸能週刊誌が,どえらい勢いでインタビューに来たことがあった。「矢沢さん,奥さんと子どもさんがいらっしゃいますよね。全部こちらで裏とってあるんですけど。正直に言ってくださいよ」記者は勢い込んで聞いてきた。「いるよ」オレはそう言った。記者は拍子抜けしたみたいな顔をした。たぶん,オレがびっくりして否定するとか,逃げ回るとでも考えていたんじゃないか。「それってスクープみたいな感覚?おまえ,バカじゃないの。子どもくらいいるに決まってるじゃん。女房もいるくらいだもん。オマンコしたら子どもできるの当然じゃん。で,おまえのところは,週に何回やっているんだ,オマンコ」「へッ?私は......」「オレは子どもが好きだしな。男はみんなばりばりよ。そんで何なの,質問は?」「いや,もういいです」尻尾を巻いて逃げてった。話は終わった。くだらないけど,そのときの矢沢の印象が,業界じゅうにまわったみたいだ。「ありゃ食えんわ」って。<205〜206ページ>
ところでクリストファー氏への支援ですが他人に依存し常に安全地帯にいる人にとって関係ないことであり命がけで世界の闇と戦うという意味は理解を超えていると思います。ですからもう結構です。支援くださった方ありがとう。
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投稿者:Hyu-y
tatsujinさんこんばんは。
美術手帖の『アーティストになる』という特集の中にも、
彼の本を読めと載っていました。
生き続けるのはさほど難しくないということ。
会社から棄てられて泣くのは、そもそも自分の主が自分じゃなかった。
それは自分で生きずに他人に預けて生きていることにさえ、気付けないということだと文章を読んで感じました。
勉強に成ります。
ありがとうございます。
(^-^)