労苦継承事業


平成15年度平和祈念講演会のご案内
平和祈念フォーラム2003
−戦争体験の労苦を通して、平和への願いを語り継ごう。−

 平成15年7月13日(日)、和歌山県和歌山市の和歌山市民会館小ホールにおいて「戦争体験の労苦、平和への思いを次の世代に語り継ぎたい。」のテーマで平和祈念講演会を開催しました。
 今回は、児童合唱団による童謡に始まり、第1部は、祈念劇(「兵士の労苦」、「シベリア強制抑留者の労苦」、「海外引揚者の労苦」)の後、座談会を行い、第2部は、パネルディスカッションの後、「平和の礎」の朗読、そして再び児童達の合唱で締めくくりました。
出演者は、キャスターの生島ヒロシさんの司会のもとに、引揚げ体験者でもある女優の小林千登勢さん、和歌山市出身で声優の黒沢良さん、外交評論家の田久保忠衛さん、シベリア抑留体験者で地元の坂本清次郎さんの5人に出演いただきました。

 オープニングにおいて海南児童合唱団による童謡、「みかんの花咲く丘」と「赤トンボ」の合唱がありました。
 第1部は、南方戦線で敵兵との戦闘、飢えや病気との闘い、ジャングルの中で戦友を亡くしていく兵士の方々の労苦を再現した「戦争で死ぬと言うこと・・・」の祈念劇の後、生島ヒロシさんの司会により、田久保忠衛さんと和歌山市出身の黒沢良さんによる座談会を行いました。
その中で田久保忠衛さんは「敵はアメリカ、イギリス、オランダ、そういうものからむしろ飢えとかマラリアあるいは皮膚病、そういう周辺の環境との戦いというふうに変わっていったのではないかと。これが今のドラマによく表れていたなというふうに私は感じました。」と感想を語られ、また、黒沢良さんは中学3年生の時に体験された昭和20年7月9日の和歌山空襲について「たしか爆撃が始まったのが11時ぐらいだったと思うんですが、東和歌山(現:和歌山)駅という20分足らずのところへ行き着くまでに4時間ぐらいかかりました。あっちへ逃げたり、こっちへ逃げたり、夏の掛け布団を防火用水に突っ込んでびしょびしょにしたのを頭から被って、それで200〜300メートル走ると布団が燃え出す。またどこかで防火用水を見つけてそこへ飛び込んだんですが、かなり防火用水の中で亡くなっている方もいらっしゃるんです。上から雨のように降ってくる焼夷弾を避けながら夜が明けるのを待って、朝また逃げた道を裸足のまま足を血だらけにしながら戻ってきました。もう戦争というのは何が何でも二度と体験したくないし、若い人たちにそんな目に遭わせたくないですね。」と生々しい体験を語っていただきました。

 次に、酷寒の地シベリアに強制抑留された方々の苛酷な強制労働と飢餓による労苦の体験を描いた「いわれなき強制労働」と、戦後の混乱の中、海外から引き揚げてこられた方々の労苦の体験を母を失い一人で引き揚げてきた少女を通して再現した「遠き満州にありて、思うはふるさと・・・」の祈念劇の後、再び生島ヒロシさんの司会により、小林千登勢さん、田久保忠衛さん、坂本清次郎さんで座談会を行いました。
その中で小林千登勢さんは79名のグループを組んで北朝鮮から引き揚げてこられた体験について、「昭和21年8月20日、平壌の駅から真夜中の12時に貨物車に潜り込みました。38度線の近くまで行くという約束だったんですが、夜中の3時ごろ急ブレーキが掛かって、田んぼ道の真ん中に汽車が止まって、ソ連軍、朝鮮の憲兵さんたちが入り込んで、全員汽車から降ろされました。それから徒歩で38度線を目指して、夜中だけ歩きました。9歳の私は、1歳になろうとする弟を背負って、3歳の妹は父がリュックの上に肩車をして、おじいちゃん・おばあちゃんも中にいますから、面倒を見ながら歩きました。今の芝居にもあったように、みんな死んでしまうんですね、夜中の道で。山道には本当に死体がゴロゴロところがっていて、土がお団子のようになっていて、そこにお墓代わりに木の枝が立ててあるんですが、そこを歩くたびにお祈りして、また通り過ぎるんですけれども、私は絶対にこの土の中には入りたくない、妹も赤ちゃんもこの土の中に入れたくないと本当に強く思いました。そして、お星さんが出る夜はすごく道が明るいので、いつも私は星を眺めながら、お星さまに願いを込めて、゛本当にこの星がレールのようになって私たちを日本に導いて欲しい。″と祈り続けました。」と当時の様子を昨日のことのように語られています。
次いで、坂本清次郎さんにご自身の抑留体験について「ソ連のシベリアは冬が早いです。10月に入ると雪が積もって土地が凍ります。そうすると、飢えと重労働、それから寒さ、この三重苦になりまして、虚弱な兵隊はばたばたと倒れていきました。関東軍は精鋭を南方に派遣していまして、召集された兵隊は40歳以上の老兵なんです。家庭にあってはよき父で、会社にあっては上席に座って部下を指導した人たちなんですけれども、力仕事をしていませんので、虚弱なんです。作業に行くとき、前の兵隊の姿を見ると、やせ細って首が細くなっているんです。ズボンがだぶだぶなんです。尻の肉が落ち、歩く足の力がないんです。栄養失調なんです。それでも働けというのがソ連なんです。この人たちがばたばたと倒れました。 」など、シベリアでのつらい労働体験の状況を語っていただきました。

 第2部は、「次世代に語り継ぐ方法について」と題して、パネルディスカッションを行いました。
その中で、田久保忠衛さんからは、「今まで日本は、日本が悪いことをやった、というふうに言われたんですが、これは私は否定はしないんです。そういう面はあったけれども、逆にシベリアの抑留者の方々、海外から引揚げてこられた方々、そういった犠牲者という、加害者ではなくて犠牲者という一面もあったんだと、もうそろそろ認識すべきではないか、両方ともバランスを取った解釈が必要ではないかと思います。」、また、「フランスの国際政治学者レイモン・アロンが『戦争とは平和のない状態です、平和は戦争のない状態なんです。』白と黒、両方がわからないと戦争も平和もわからないんです。私は黒の嫌な部分をずっと語り継いでいくことによって白の部分が分かるのではないでしょうかと思います。」との発言がありました。
 坂本清次郎さんは「シベリアで亡くなった人はお参りしてもらう所がないんです。帰るところがないんです。そういう施設があって、そしてその労苦をどういうふうに語り継ぐかというと、私は80歳ですけれども、子どもの頃は乃木将軍の話とかを歌で教え込まれました。今でも覚えています。ですから、そういうような歌にして語り継いだら覚えやすいんじゃないかと思うんです。」との発言がありました。
 黒沢良さんは「お子様をお持ちの特に若いお母さん方はそういう戦争というのはこんなに嫌なものだ、悲惨なものだ、自分のかわいい子をそういうところに行かせたくない。そのお気持ちでこれからも平和に対してお考えいただいて、取り組んでいただければと思います。」と発言がありました。
 さらにまとめとして、生島ヒロシさんから、「戦後58年、本当にあっという間に時は流れていくわけでございます。そして、この貴重な平和なありがたさということを改めて実感する次第でありますけれども、その戦争の悲惨な労苦、忘れてはいけないと思います。我々はこのような形で平和祈念フォーラムを続けていくことによりまして、この悲惨な戦争を繰り返してはならないということを改めて日本全国に訴えかけていきたいと思います。」と今回のフォーラムの意義について、参加者の方々に理解を求めました。  最後に、黒沢良さんと小林千登勢さんによる「平和の礎」の朗読と海南児童合唱団による童謡「里の秋」、「ふるさと」の合唱をもって講演会を終了しました。