会報on-line 第35号
手記

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【手記】「お星さまのレール」と“お花ちゃん”         てじょん

 今日の映画「お星さまのレール」は、同名の手記に基づいている。    
 原作は、女優の小林千登勢が書いたものだ。アニメも良いが、原作の淡々としたうちに、筆者の心の優しさがうかがえる描写も大好きだ。    
 子ども用に易しく書かれたものなので、ぜひ読んでみていただきたい。
 主人公のチコちゃんこと千登勢さんは、植民地下の朝鮮に生まれ育って、いろいろな朝鮮の人たちと出会う。その中で私が最も心をひかれたのは、アニメでも中心のひとりとなっている、“お花ちゃん”と呼ばれるお手伝いさんの少女だ。   
 全部で23の小さな章からなるこのお話の、第2章がこの少女のエピソードにあてられている。長くなるが、その全文をここに引用してみよう。

●2 お花ちゃん

 お花ちゃんは、朝鮮人の娘さんでした。十四、五歳で、わたしの家に子守にやとわれていたのです。「お花ちゃん」というのは、わたしの母がつけた名前でした。
 お花ちゃんは、セーターにスカート姿で、服装もわたしたちと同じでした。髪の毛は、二本に長くあんで背中にたらしていました。
 母が妹の三千代にかかりっきりだったので、わたしは、朝から晩までお花ちゃんの世話になりました。夜も、いっしょにおふとんをならべて寝ました。   
 「こわいよ!」
 お花ちゃんは、とつぜん大きな声を出しました。     
 「どうしたの?」
 わたしはびっくりして、お花ちゃんの顔を見ました。  
 「チコちゃんの目、大きいから」
 お花ちゃんは本当にこわいといった感じで、わたしに背を向けてしまいました。
 「お花ちゃん、わたし目をつぶるから、こっち向いて」   
 お花ちゃんはおそるおそる、わたしの方へ顔を向けました。       
 わたしは、わたしの目が人よりも大きいなんて一度も思ったことがありません。つぎの朝、そーっと鏡で自分の目を見てみました。そしてお花ちゃんの顔をそーっと見ました。お花ちゃんは細い糸のような目でした。そういえば家で働いている朝鮮のおじさんたちも、みんな目が細いように思いました。わたしは、母に、
 「ねえ、お母さん、どうして朝鮮の人は目が細いの。なぜわたしの目が大きいの?」
と、たずねました。すると母は、
 「朝鮮の人はね、目の細い人が美人なのよ。」
と答えただけでした。
 わたしはそれからずーっと、お花ちゃんの前では目を糸のように細くしていたのを覚えています。お花ちゃんが大好きだったから、こわがらせたくなかったのです。

 幼稚園にあがるころでした。ふたりのあいだにたいへんなことが起こりました。
 「チコちゃん、公園に行きましょうね」
 お花ちゃんが、ズボンにまち針をさしてアイロンをかけてくれました。ところがどうしたことか、そのまち針をはずすのを忘れたまま、わたしにズボンをはかせたのです。
 「ねえ、早くいこうよ」
 わたしは、壁におしりを、どしんどしんとぶつけながら、お花ちゃんをせかしました。そのひょうしに、まち針がおしりにつきささりました。
 「いっ、いたあい」
 わたしは、火がついたように、泣き出しました。
 お花ちゃんは、おろおろしました。母も、あわててやってきました。まち針が途中でおれて、からだの中にはいってしまったことがわかりました。ふしぎなことに、そのあと、わたしは少しも痛くありませんでした。
 でも、たちまち大さわぎです。お花ちゃんが泣きながら、母におわびをいっていました。
 「すぐお医者さんにいかなければ……」
 母は三千代を、お花ちゃんにあずけて外にとんでいきました。
 「ヤンチョー……ヤンチョー」
 母は大声でさけびました。
 ヤンチョーとよぶ人力車はまもなくあらわれ、母にかかえられるようにわたしは乗りこみました。
 病院へいくと、おしりの骨に針がつきささっていることがわかりました。さっそく手術をすることになると、お医者さんがわたしを手術台の上にのせて麻酔をかけました。
 針がみょうなぐあいにささっていて、なかなかとれません。メスでもっと深く切りこむことにしました。でも、小さい子のためか、麻酔は前以上にかけませんでした。
 「おさえていていただけませんか。あばれると、いけませんから」
 お医者さんがいいました。
 二度めの手術がはじまると、わたしは痛がって泣きながら、力のかぎりあばれようとしました。母と、あとからかけつけてきた父とが、力いっぱいわたしをおさえつけていました。
 やがて手術が成功して、針がとれました。
 あと一時間もおくれれば、命があぶなかった大手術だったのです。その日からわたしのおしりのところには、カタカナの「ト」という字の大きなきずをつけられてしまいました。
 ニ、三日してお花ちゃんは、家から姿を消してしまいました。でもわたしは、お花ちゃんのことをだれにもたずねませんでした。お花ちゃんがなぜいなくなったのか、わたしには少しわかるような気がしたからです。
 わたしはさびしくて、ちくちくするおしりをおさえながら、門のところまで何度も出てみました。何日たっても、お花ちゃんはもどってきてくれませんでした。

 「お花ちゃん」と呼ばれていたというが、本名は別だったろう。      
 この朝鮮人のお手伝いさんに対する、筆者の気持ちがとてもいい。     
 子どものころ、朝から晩まで一緒に暮らして、一緒にお布団で寝た、ほんとうのおねえさんのように親しかったひと。目が細いねという言葉も、ほほえましい。
 だが、彼女は雇い主のお嬢さんに自分が怪我をさせたことが原因で去ってしまう。
 幼い筆者の心に、それはお尻に傷をつけられた恨みではなくて、反対に、自分のことが原因で、家から追い出されたように思われて、小さな良心が痛んだのだろう。
 ここに筆者の、あたたかい人柄が感じられて、じんとくるようなお話だ。
 アニメではラストにちょっと、彼女のことについて再びふれている場面があり、なかなかうまい仕上がりになっていたと思う。

 この作品には他に、作者一家ら日本人に同情的で助けてくれる朝鮮人が出てくる。
 そのうち、二人を紹介しておこう。まずひとりは「林さん」である。

 父はおじいちゃんが若いときからよくめんどうを見てあげた、林(リン)さんという朝鮮人を家によびました。
 「林さん、わたしたちもこの家を出ていくことにしました。それで、できましたら、いらなくなった家具や衣類を処分していただきたいのですが」      
 林さんは、悲しそうな顔でわたしたちを見ました。
 「わかりました。わたしは、おじいちゃんにはひとかたならぬ世話になりました。できるだけのことをして、そのご恩にむくいたいと思います。どうか、まかせてください」
 その目には、涙がにじんでいました。

    (中略)
 林さんが、ときどき、家具や衣類の売れた分だといって、お金を持ってきてくれました。それは、いつも、父や母が予想していたよりも多くありました。父は、林さんにお礼をあげようとしました。
 「いえ、とんでもない」     
 林さんはそういって、絶対にうけとりませんでした。おかげで、わたしの家は、それほどお金に困らないようでした。
    (中略)
 林さんが、また家具や衣類を売ったお金を持ってきてくれました。父が、林さんに、平壌から逃げ出すことを、そっと打ち明けました。           
 「そうですか。いよいよ帰ってしまうんですか。でも、その方がいいでしょう。さびしいけど、しかたありません」
 林さんは、とてもさびしそうな顔をしました。
 林さんは、ニ、三日後、手に袋をぶらさげてやってきました。もち米を一度むしてから、ほして粉にしたものがはいっていました。
 「おくさん、これは、水にとかせばすぐ飲めるようになっています。道中、ぼうやに、お乳がわりに飲ませてください」
 そういって、さし出しました。母は、目がしらを熱くしながら感謝しました。林さんは、なごりおしそうに帰っていきました。

 このように統治下とはいえ、日本人が世話をしていて、その恩義から親切にしてくれた朝鮮人もいたということは、何か救われるような思いがする。
 もちろん、日本人の植民地支配に恨みを持って、解放後、つらくあたる朝鮮人もいたのであり、そういう人々についても、この作品はふれているのだが。
 さて、もうひとりぜひ挙げておきたいのが、作者たち一行が平壌を脱走して必死の逃避行をしている時に、案内人を務めてくれる朝鮮人だ。

 翌朝、かなり大きな村の近くにきました。父たちがわたしたちを待たせると、三、四人で出かけていきました。なかなか、もどってきませんでした。残った人たちは、みょうな不安をいだき出しました。
 するとそこへ、ふたりだけがもどってきました。重そうな荷物をかかえていました。
 「おーい、おにぎりだぞ。おにぎりを持ってきたぞ!」
 大声で、そうさけんでいました。
 「えっ、おにぎり?」
 「まさか」
 はじめは、だれもが信じませんでした。でも、ほんとうであることがすぐわかりました。荷物をひらくと、アワごはんのおにぎりがはいっていました。それが、みんなに一つずつくばられました。みんなは、涙を流さんばかりにしてそれを食べました。
 しばらくして、父とほかの人ももどってきました。ひとりの朝鮮人がいっしょでした。やはりおにぎりを持っていました。新しいわらじもたくさんかかえています。
 みんなは、またおにぎりを食べながら、父の話をききました。
 おにぎりは、村の人たちにお金をはらってつくってもらったそうです。いっしょにきた朝鮮人が、それを村の人たちにたのんでくれました。
 その人は、ここがもう開城に近いことも教えてくれました。ただ、これから先は、ソ連兵の警戒が厳重です。このまま進めば、かならずつかまってしまうだろう、といいました。
 「でも、けわしい山をこえていくぬけ道があります。案内してもかまいません」
 みんなは、いっせいに、その人の顔に視線を向けました。その人は、顔におだやかな笑みをうかべました。
 けっきょく、案内をたのむことにしました。            
 「では、少し休んだら、すぐ出かけましょう」
   (中略)
 夕方、林につきました。       
 「きょうは、ここまでにしましょう」
 案内人がいいました。
 その先は、まだ二つ三つ、小さな村があるというのです。それをこえると、広い広いコーリャン(もろこし)畑と林があります。さらにそれをこえると、ただ草だけがはえた小高い丘がつづいているといいます。その丘が、北緯三十八度線の走っているところだそうです。
 「その丘さえこえてしまえば、もう安心です。つれもどされることはありません。今晩は、ここで休んで、あすの夜明けにこえてください。夕方は、見まわりがいますからね。その方が、安全です」
 お年よりや女の人のあいだから、しのびやかな、すすり泣きの声がもれてきました。
 案内人に向かって、父がいいました。
 「ありがとうございます。あなたがいなかったら、わたしたちは、ここまでこられなかったでしょう」
 すると、案内人もいいました。
 「喜んでもらえて、わたしもうれしいです。みなさんに、朝鮮の悪い思い出だけを持って日本へ帰られたのでは、残念ですからね」
 すすり泣きが、また一段と強くなりました。
   (中略)
 その日は、昭和二十一年の九月三日でした。平壌を出てから、すでに、十四日たっていました。
 案内人が、はうように草むらを伝っていきました。途中で立ちあがると、あたりを見まわしました。それから、両手をあげて、こちらにこいというしぐさをしました。
 父とほかの責任者たちが、はっていきました。そうして、同じように立ちあがると、あたりを見まわしてから、やってこいというしぐさをしました。
   (中略)
 案内人と父たちがしっかり握手をかわしていました。
 「それでは、さようなら」
 「さようなら、気をつけて」
 三十八度線に向かって、だれもかれもが走っていきました。

 アニメでも、最後に日本人たちを救ってくれる村人が登場していた。
 この場合も、実際にはこれ以前の部分で、山の中で強盗が出たり、案内をするとだまして金をまきあげる悪質な朝鮮人が登場する場面もあるのだ。
 子ども向きのアニメであり、長さにも制限があるということでカットされたのかもしれない。本当は、そうした人たちもいる、その中であえて日本人を助けてくれた人もいた、としたほうが感動的だったような気もする。
 だがとにかく困った時、隣人愛の精神で助けてくれた人がいる、という事実は動かせないし、それは救いでもある。実際、もしこの案内人がいなければ、筆者たちは目的地にたどりつけなかったろうし、その後どうなっていたかもわからない。
 私たち日本人は、植民地支配の歴史を決して忘れることなく、それを反省しなくてはならないことは言うまでもない。それと同時に、「恩を持って仇に報ゆる」がごときふるまいをしてくれた隣人がいることをも、記憶に留めておくべきだろう。
 そして、今度は私たちが、困った人たちに同じようにしてあげたいものだ。

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