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原爆ウランを運んだ巡洋艦

2007/07/01 10:05

 


1945年7月16日、米国ニューメキシコ州アラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で初の原爆実験が行われた。その同じ日にサンフランシスコを1隻の重巡洋艦が出港した。

ウランと技術者をテニアン島に輸送する任務を遂行するために。

そして、そのウランは8月6日広島に投下された「リトルボーイ(ウラン型原子爆弾)」に搭載された。



【重巡洋艦インディアナポリス】

輸送任務を終えた巡洋艦インディアナポリスはレイテに向かった。

その先には、レイテ周辺海域を警戒していた日本海軍の伊58潜(伊号乙型第58潜水艦)が待ち受けたいた。
7月29日午後11時35分、月に照らされたインディアナポリスを発見し6発の魚雷を発射、うち3本を命中させインディアナポリスを撃沈した。


【伊号第58潜水艦】

乗組員1196名中、生存救出されたのは316名。
それも沈没から5日後の救出であった。

艦長マクベイ大佐は生還したが、航行中のジグザグ運動(潜水艦攻撃を避けるための航法)を怠り、乗員の人名を軽視したとして軍法会議にかけられた。

伊58潜艦長だった橋本以行少佐は昭和20年12月9日サンフランシスコへ向かった。
マクベイ大佐の裁判に証人出廷するために。
潜水艦攻撃を回避するためのジグザグ運動が有効であったかが争点となった。
橋本少佐は「多少のジグザグ運動は有効とはいえない」と証言し、マクベイ大佐に罪は少ないという立場をとった。
果たして判決は、有罪であった。
マクベイ元大佐は失意のうちに1968年、自殺する。

しかし、終戦50年後にマクベイ元大佐の名誉回復の機会が偶然に訪れた。
フロリダ州に住む11歳の少年ハンター・スコットは戦時中の巡洋艦インディアナポリスの悲劇を知った。
そして、マクベイ元大佐の非業の死と有罪判決の不当さを痛み、名誉回復を叫んだ。
その熱意は遂に米国議会を動かした。
1999年に上院軍事委員会の公聴会が開かれ、翌2000年には米国議会において「彼はインディアナポリスの損失に対し無罪である」ことを反映すべきという決議を可決した。クリントン大統領もこの決議にサインした。

広島に投下された原爆。
それのウラン輸送に携わったインディアナポリス。

そのいずれもが悲劇である。

カテゴリ: コラむ    フォルダ: 大東亜戦争

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