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2006/8/26カウンター設置




チッソ

ご存知、日本の四大公害病の一つである水俣病を引き起こした企業。水俣病発生の後始末雇われ社長となった江頭豊が雅子夫人の母:小和田優美子の実父であり、雅子の母方祖父にあたる。優美子の父がチッソ社長の江頭豊<社長在任期間:昭和39年(1964年)12月〜昭和46年(1971年)7月>で、水俣病被害者に対応しなければならないはずが、水銀汚染排水対策や被害者への補償費用をケチり、結局被害拡大というお粗末ぶりにつながっている。小和田雅子の祖父がチッソ社長であったことが、昭和末に雅子がお妃候補から外された遠因ともなった。

昭和天皇 昭和45年(1970年)9月のお言葉
国民の中には、公害のために重い病気になっているものもあることを聞いており、心を痛めている。経済の発展も大事だか、万国博のテーマであった『進歩と調和』の言葉通り、日本から公害を追放してほしい」『アサヒグラフ』1998年1月25日号
――江頭豊のチッソ社長在任期間は上掲の通り、昭和39年(1964年)12月〜昭和46年(1971年)7月である。

関連:噂の真相 1993年4月号「皇太子妃・雅子を生んだ小和田家の犯罪」記事

映画『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』予告編

冒頭、1970年11月28日チッソ株式総会(於:厚生年金会館中ホール)にて江頭豊が、両の手に位牌を掴んだ被害者家族女性に詰め寄られる場面あり:
「わかりますか、私の心がわかるか、何言うたかおれたちが何て言うたかが、(聞き取れず)頭の下げ方忘れたんか、(聞き取れず)忘れてしまったではすまさん、笑うか、おら笑うことなんか言うとらんぞ」



以下、テンプレより

●●水俣病−小和田雅子祖父、チッソ江頭豊のしたこと●●
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4444/surf18.ht...
1.水俣病の原因が工場にあると知りつつ稼働続行。2.患者・家族に謝罪したが補償に応じず。
3.謝罪後も悪質なデマを流し患者や家族を冒涜。 4.患者や報道カメラマンを暴力集団雇って襲撃(チッソ会長時代)。

関連項目:【苦海浄土

他にも、水俣病被害者に対し「死んだ魚を食べる乞食がカネせびりに来たな」「腐った魚を食べるから汚い病気にかかる。伝染るから近づくな」(株主総会で一株株主の患者達に)「庶民が何を言うか!」「黙れ貧乏人が!」と恫喝するなど、とても健全・清廉とは言い難い。

本来ならば、祖先の罪を子孫がかぶりつづける必要は無いが、"皇太子妃"という影響力のある立場にある以上配慮して当然である。しかし雅子夫人・皇太子・小和田家にその姿勢が見られないことが問題視されている。

特に雅子夫人には、結婚以前に水俣病問題に対し「おじいちゃんが悪く言われた」程度の認識しかなかったことが判明している。

また、江頭豊の妻寿々子は、雅子が皇太子妃となること(と自転車に当選したこと)について、「運が良い子」と語っており、皇室への敬慕の気持ちが全く感じられない。

小和田雅子と江頭夫妻との関わり

結婚以前

1965年 小和田親子と江頭・小和田両家の祖父母。後列が江頭夫妻
1986年11月 江頭夫妻の金婚式を祝う食事会。夫妻と小和田一家
1991年1月 江頭豊個展開催。孫娘・小和田雅子と
ここまでは、祖父と孫であるから不自然ではない。
問題は、皇太子妃となり公人となった後の関わり方である。

1993年1月19日 婚約内定記者会見
皇室会議終了後(皇太子妃内定)、午後2時45分東宮仮御所にて「会見全録」より:
【記者質問】雅子さんがお妃候補と騒がれた後、ご交際が中断し、宮内庁は一度雅子さんを断念したと聞いているが、その時の皇太子さまのお気持ちは。
【皇太子】 あの、この件に関しましては、チッソの問題もあって、宮内庁のほうでも慎重論が出ておりまして、一時は中断することもやむを得ない、やむを得ざる状況になってしまいました。またその間、雅子さんも外交官として研修中でもあり、外交官としての仕事を続けたいという意向もありましたし、また、いろいろマスコミの取材攻勢などもありまして、なかなかお互いに静かな環境でのもとでもってゆっくり話し合うという機会がとれなかったように思います。私としては、その間、常に雅子さんのことが念頭にありまして、本当にあの「雅子さんでは…」ということを何回となく、宮内庁のほうに申し入れをいたしました。ただ、そうはいっても、私としても、私自身の気持ちというものも大切にしたいと思いますけれども、周囲の意見も、これもまた、周囲の考えも大切にしたいと思っておりましたので、昨年、周囲の意見が「雅子さんでいい」というように固まった時には、たいへんうれしいものがございました。
被害者らに対する何の配慮も感じられない発言である。
1993年6月9日 成婚の朝、雅子を見送る小和田一家と江頭夫妻


結婚後

1994年11月、オマーン国王のアラブ種名馬賞賛おねだり事件→「豊歓」と名付ける【アハージージュ
2000年7月25日、雅子、香淳皇后の斂葬の儀(葬儀)を夏バテのようなもので欠席
2004年11月20日、江頭寿々子死去→皇太子・愛子ちゃん同伴で弔問
2006年9月24日、江頭豊死去(享年98)→皇太子・愛子ちゃん同伴で弔問
2006年9月29日、江頭豊葬儀に皇太子を同伴



皇后陛下(美智子さま)の場合

1988年5月29日 実母・正田富美子さん死去→浩宮・礼宮・紀宮同伴で弔問 
1999年6月18日 実父・正田英三郎氏死去→天皇陛下同伴で弔問
1999年6月20日 天皇陛下、通夜に先立って拝礼。皇后陛下は通夜に出席。
1999年6月21日 皇后陛下、葬儀に出席 *天皇陛下は同伴していない

正田英三郎氏(日清製粉社長→会長)は実業家としてクリーンな人物として知られ、正田夫妻も美智子様と節度ある関係を保っていらした。しかし、それでもなお、企業の重役であったため、天皇陛下は通夜には先立って拝礼・葬儀には出席しないという配慮をなされた。

関連項目【VIEWSヴューズ
2008年12月05日(金) 07:29:09 Modified by imo33