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ガザの子供、心に深い傷 次世代へ「暴力の連鎖」懸念も

2009年1月25日16時0分

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写真小学校が再開し、笑顔を見せる子供たち。教室が避難所になり、校庭で授業をする学級もあった=パレスチナ自治区ガザ北部ジャバリヤ、井上写す

 イスラエル軍による攻撃を受けたパレスチナ自治区ガザで24日、国連運営の学校(221校)が再開した。停戦から25日で1週間となるが、自宅が破壊され、家族を失うなど、子供たちが受けた心の傷は深い。

 ガザ北部のジャバリヤ。ガザ攻撃が始まった翌日の先月28日から休校になっていた国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)運営の小学校(児童数約千人)に24日午前7時過ぎ、子供たちが登校した。担任の先生が無事を確認し、子供たちを抱擁する場面もあった。一部の教室はまだ避難所になっており、校庭にも机といすが用意された。

 ガザ市に隣接するジャバリヤもイスラエル軍の激しい攻撃にさらされ、同校でも少なくとも4人の児童が犠牲になった。家族や親族が目の前で殺された子供も多く、マドゥフーン校長は「心のケアが最重要の課題」と話す。

 激しい攻撃を受け、子供たちに暴力を容認する傾向が見え始めたとの指摘もある。

 ガザ北部の地中海に面した通称「ビーチキャンプ」。停戦後も、イスラエルの軍艦が沖合から漁船に向かって発砲する音が響く。近くの雑貨店に子供たちが集まっていた。

 「爆音がすると、おしっこがしたくなる。トイレに行ってばかりさ」。ムハンマド・メクダド君(15)が恥ずかしそうに打ち明けた。

 パレスチナ自治政府の治安要員だった父(44)は、6年前からイスラエルの刑務所に入ったままだ。満期まであと15年。母(41)からは「お父さんは英雄よ」と聞かされ、早く釈放されるよう祈っている。将来の夢は医者になることだったが、攻撃後、考えが変わったという。「戦闘員になりたい。占領者(イスラエル)と戦うんだ」

 大学生アハマド・アハマドさん(20)も「非人道的な白リン弾を使ってガザの子供たちを殺しているイスラエルに対して何のおとがめもないこの不公正な世界で、どんな希望を見いだせるというのか」と憤る。「占領者との対話は不可能だ。力で対抗するしかない」

 世界保健機関(WHO)ガザ支部のマフムード・ダヘルさんは「家族のつながりがたたれ、圧倒的な軍事力による破壊を目の当たりにした多感な子供たちは、暴力の衝動にかられやすい」と指摘する。

 子供たちの心のケアにあたるNGOのラウヤ・ハマムさんも「理不尽な封鎖や暴力を受けて『だれも守ってくれない』との絶望感が子供たちに広がっている。10年後のガザには(イスラム過激派)ハマスの戦闘員がますます増えていることでしょう」と話す。(ガザ市〈パレスチナ自治区〉=田井中雅人、ジャバリヤ〈同〉=井上道夫)

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