アメリカはオバマさんの登場に沸いているが、日本はさっぱり躍動感がない、谷底をはっているような暗さがつきまとっている。
九十歳の中曽根康弘元首相が新年のテレビ番組で、
「一番大事なことは、内閣や政党の指導者たちが『この途を往く』という、これからの日本は困難をどういうふうに突破するのか、という自分の考え方を国民の前に明らかにする。そして国民の皆さんの協力を求める。あるいは反対が出てきたら反対を説得する。そういう苦労が見えないのが残念ですね」
と語っていた。確かに、この途を往く、がない。麻生太郎首相は中福祉・中負担などと同じフレーズを繰り返している。わかったようで、わからない。もっと、どしーんとくるものを示してくれないと。
昨年十月ごろ、『住宅新報』という週刊新聞のコラムで読んだことが印象に残っている。〈衣食住〉という言い方はもう古いのではないか、という話だ。
〈衣食住〉は生活を支えるもっとも基本的な要素を総体的に捉えた言葉だが、最近の医療・介護問題の深刻化、非正規雇用労働者の増大などを憂慮するならば、〈医職住〉というほうが現代にマッチしている気がする-という趣旨だった。なるほどなあ、と思った。
それからわずか四カ月ほどしかたっていないが、〈医〉と〈職〉の実態は一段と深刻の度を増しているようだ。両方を担当する 添要一厚生労働相は、まるで洪水のように次から次に押し寄せる難問を野党から追及されるたび、オウムのように、
「全力をあげて取り組んでまいります」
と答弁しているが、解決されないうちに忘れられてしまう。忘れても仕方ないほど、次々に新たな問題が発生するからでもある。
昨年春ごろは連日、後期高齢者医療制度をめぐる議論で塗りつぶされていた。私はあらゆる機会を使って〈七十五歳以上〉の後期老人を区別する制度に反対し、凍結論を唱えた。世論の多数派もそうだった。
添さんは麻生政権がスタートする直前、
「七十五歳の線引きは、やめる」
といったん約束したことがある。しかし、いつのまにかそんなことは忘れたかのように、次のテーマ、つまり世間から猛烈な非難を浴びた救急患者のたらい回し事件の続発と医師不足問題などに移っていった。
きっかけは昨秋起きた異常事態だった。脳出血を起こした妊婦が八つの病院から受け入れを断られ死亡したのである。医師がいてもいないに等しい。現代日本の信じがたい恐怖である。東京都の産科医療に関する協議会で、このたらい回し問題を論議した席上、岡井崇会長(昭和大教授)は、
「ベッドが満床でも、医師が手術中でも、絶対に患者を受ける。そういう病院を作らなければならない」
と述べたそうだ。しかし、決意だけでは何も解決しない。治療態勢が整っていないのに受け入れれば、必ず医療事故が起きる。
根っこにあるのは、医療費の抑制政策だ。抑制で診療態勢が十分でないために、医師はモラルが保てず、使命感は絶望感に取って代わっているという。国内総生産(GDP)に占める国民医療費の割合では、日本は八・二%、経済協力開発機構加盟の主要七カ国で最低だ。アメリカは約二倍の一五・三%である。
やらなければならないのは、割合単純なことなのだ。社会保障費を抑制するのでなく、大胆に増やせばいい。財源がないというなら、ぼう大なムダを片はしから削り落とせばいい。それをやらないで、定額給付金に二兆円、などと安直なバラマキをやるから、国民が怒るのは当たり前だ。
〈職〉については、この不景気だから、失業者が増えるのは仕方ないという見方があるが、そんな話ではない。雇用政策に労働者に対する愛情が欠けている。象徴が労働者派遣法の野放図な拡大・緩和だ。企業側の攻勢に押されて安易な道をとり、派遣が急増した。その結果が大量の派遣切りを生むことになった。
〈医〉と〈職〉のダブル不安は、政治家と官僚による失政が原因である。医師と企業のモラルも問われているが、失政がなければモラルの低下は防げただろう。もっともこわいのは、失政の自覚と反省がみられないことだ。だから、思いきった改善、改革が進まない。批判をかわすため、微調整でお茶を濁している。官僚政治の弊害は極まった、と声を大にして言いたい。
さて、〈衣食住〉に戻すと、マーケットでみればいずれも相当成熟した分野である。〈食〉には心配ごとが絶えないが、三つとも消費者側の満足度はかなりのレベルに達しているとみていい。ことに〈衣〉と〈食〉では、大量生産・大量消費が次第に嫌われ、少量多品種、手作りの世界が広がっているのは好ましい傾向だ。先のコラムの筆者は、
〈「衣・食・住」ではなく、「衣食住」という言葉から伝わってくるものは、生活全体、暮らしそのものを肌身で感じ、大切にしていこうという思いである〉
と書いている。三者バラバラではなく融合してこそ、という指摘は含蓄がある。どれひとつが欠けても、暮らしは崩壊する。
〈医職住〉の言い換えで、『住宅新報』としては当然〈住〉を残したいところだが、言い換えついでに、もうひとつの不安を加えて〈医職銃〉としたい。
銃社会の意味でもあるが、犯罪一般を指す。中央大教授の刺殺事件をはじめ、とにかくひどい。こんな社会になったのは、〈医職〉と同じく失政のせいだ。命を大事にする教育を急がなければならない。
中曽根さんがおっしゃるように、すべては〈この途を往く〉という太い道筋が見えないところからきている。衆院選の今年、政治リーダーたちは目先主義でなく、〈この途〉を勇気と創造力をもって示してもらいたいのだ。
<今週のひと言>
ミスター・オバマに乾杯!
(サンデー毎日 2009年2月8日号)
2009年1月28日
| 1月28日 | サンデー時評:「衣食住」が、いまや「医職銃」なのだ |
| 1月21日 | サンデー時評:麻生さんとブータン国王の「違い」 |
| 1月14日 | サンデー時評:現代の「暴れん坊将軍」出てほしい |
| 1月7日 | サンデー時評:今年は思いきりアホになるか |
| 12月24日 | サンデー時評:駕籠に〈乗る人〉をどう絞り込むか |
| 12月17日 | サンデー時評:再び、麻生さんの国語力について |
| 12月10日 | サンデー時評:江崎鼈甲店(長崎)、一世紀前の出来事 |
| 12月4日 | サンデー時評:マンガ好きと漢字アレルギー |