国立病院改革の端緒か−麻酔科医が連携し、がんセンター手術部門を再建(下)
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国立がんセンター中央病院の組織整備が進む一方、同院には手術部門の体制整備だけにとどまらない、複雑な問題が残っていた。土屋院長は「病院の中には以前から人間関係などさまざまな問題があって、宮下医師にはつらい思いをさせてしまっている。彼自身、強い精神力の持ち主だから頑張ってくれているが、大変な思いをしていると思う」と、表情を曇らせる。
■問題放置、事なかれ主義のがんセンター
国立がんセンターなど国立病院については、厚生労働省から2年交代で派遣されてくる運営側の職員と、実際に病院で臨床に携わる現場職員の乖離(かいり)が以前から指摘されていた。病院の運営が現場に即しておらず、組織に一体感がないことは、現場職員の意識にも影響している。国立病院の職員は基本的に“首”になることはなく、一度肩書のある職に就くなど既得権益を獲得すると、立場を脅やかされないようにするため、組織内で起こった問題に積極的に関与したり、他部門の問題に首を突っ込んだりしなくなるという。
がんセンター中央病院で勤務した経験のあるJR東京総合病院血液・リウマチ科の小林一彦主任医長は、「失うものが増えるほど、ますます守りに入るので、ほかのスタッフとのコミュニケーションを取らなくなる。このため、院内は殺伐としていて、何か問題が起こっても皆他人顔。誰かを悪者にして自分は知らないふりをしたがるという独特の雰囲気があった。お互いの足を引っ張ったり、問題を放置したりするなど、事なかれ主義の体制が染み付いている」と、組織の一体感のなさがさまざまな問題を引き起こしていたことを指摘する。
宮下氏の就任当初も、さまざまな問題が起こった。麻酔部門を改善するために就任した宮下氏について、「侵略者」と呼んで悪者扱いするうわさ話が流れたり、業務用のメーリングリストで院長をバッシングする内容のメールが流れたりした。このほか、職員の集団サボタージュも計画されていたという。こうした状況下で、宮下氏が業務を改善しようにも看護部との調整がうまくいかず、なかなか協力体制が築けなかった。宮下氏は、看護師長の下に中堅の看護師を置くことで、麻酔部門の仕事の流れを調整しようと提案した。しかし、「11月中ごろに看護部長にお願いしてOKをもらっていたが、11月末に看護部長から『そんな話はない』と言われた。裏切られたと思い、こういう状況が続くならもう辞めたいと思った」と、苦々しげに振り返る。
さらに、宮下氏が組織改善のために動くうちに、職員と業者間の癒着の疑いまで浮かび上がるなど、これまで水面下で潜んでいたさまざまな問題が一気に見え始めた。こうして、短期間のうちに同院では何度も激変が起こり、それまで沈黙を保っていた職員にまで波紋を広げた。ますますさまざまなうわさが飛び交うようになり、宮下氏が組織を良くしようと動けば動くほど、見えないところで足を引っ張られたり、妨害を受けたりするようになった。
■前代未聞、麻酔科医の連携で“手術部再建計画”
こうした状況が続き、宮下氏は、昨年12月に入ってから体調不良を理由に仕事を休むようになった。異変を察知したのが、宮下氏の恩師である山田芳嗣教授と横浜市立大附属病院麻酔科の後藤隆久教授だった。
「お二人がこの状況を察して、サポートしてくださった」(宮下氏)。両教授は、窮地に陥った宮下氏やがんセンターを助けようと、横浜市立大や東大から応援の非常勤麻酔科医を次々に派遣。後藤教授はサポートの陣頭指揮を執り、自らも休日を使ってがんセンターに駆け付け、レジデントの指導を引き受け、手術麻酔も行った。さらに、この窮状を聞き付けた両教授の恩師に当たる森田茂穂帝京大麻酔科教授も支援に加わり、帝京大や聖マリアンナ医科大からも非常勤麻酔科医が派遣され、約15人の麻酔科医ががんセンターの支援にかかわるという、前代未聞の事態となった。手術件数も、宮下氏が休職中も常に8列以上の手術体制が確保されていたため、順調に増加していた。
関東の麻酔科医の連係プレーで宮下氏を助け、がんセンターの窮地を救うという今回の動きについて、日本麻酔科学会の古家仁常務理事は、「大学の枠を超えて一つの病院を協力して助けるという、今までなかったこと」と指摘。「これが一つの契機になり、さまざまな大学で一つの病院を助けていくという体制につながってほしい」と期待感を示す。さらに、「宮下医師は人を引き付ける魅力があり、彼が話すことは理解できる。だから皆サポートしたのであって、彼でなければこうはならなかったと思う」とも語る。
■国立病院は「現場知らない人間が考えたシステム」
帝京大からの応援部隊として加わった大嶽浩司医師(帝京大医療情報システム研究センター客員准教授)は、「多くの麻酔科医が、違う大学から一つの病院に来て麻酔を掛けているという状態は、期せずして“他流試合”になったようなもので、ある種の楽しさもあった。宮下部長の勤務状況は、彼自身の体にも、医療安全についても問題が起こりかねないほどの超過勤務で、よくあれだけのことができたと思う」と語る。また、がんセンターの問題点も次のように指摘する。「麻酔科として重要な器具のメンテナンス費用も出ず、現場に立ったことがない人間が考えたシステム。厚労省側の医系技官も今回の問題について、まるで他人事の様子でおかしいと思う。医師免許を持った医系技官なのだから、麻酔科医が足りないなら現場で麻酔を掛ける手伝いをしてもいいと思う。そもそも、国立病院に来る医師は給料が安いということは最初から分かっているのだから、お金で動く人間ではない。5人いた麻酔科医が一度に大量退職するということは、何か別の大きな問題があったはずで、そのあたりを考える洞察力がないのではないか」。
■がんセンターのコミュニケーションを復活させる
今年1月の第2週、宮下氏は職場に復帰した。しかし、「この病院は何も変わっていなかった。誰もわびることもしないし、まるで何もなかったかのように振る舞っていて、何かがおかしいと思った。このままの病院で常勤医に来てもらおうとは、とても思えない。国のためにはなるかもしれないが、その人自身のためにならない」と、苦々しげにこの時の胸の内を語る。
こうした苦しい状況から抜け出せない宮下氏の背中を押したのは、山田、後藤両教授だった。特に後藤教授は同院の現場で応援として働きながら、同院の空気は宮下氏を拒んでいるのではなく、応援しようとする流れもあると感じたという。
ある夜、後藤氏は宮下氏に向き合い、声を掛けた。
「世論は宮下についていってくれる。だから、行け」
宮下氏の中で何かが吹っ切れた。
「自分にはポジションの後釜を狙っている人がいるわけでもない。これまで麻酔科医として十分なキャリアも積んだ。ここで思い切りやって駄目になったとしても、失うものは何もない」。宮下氏は、「中央突破」を決めたと決意を語る。
これまで、院内の多くの部門の責任者が宮下氏に対し、「何をどうしてほしいのか」と、答えだけを求めてきた。「それまで、問いに対して答えてはきたが、そのコミュニケーションには心が入ってなかった」(宮下氏)。
1月のある日、再び宮下氏にこう尋ねてきた責任者の一人に宮下氏はこう答えた。「あなたが考えてほしい。この病院の中でどういう麻酔部門になってほしいのか。皆で考えて、それを僕に教えてほしい。そうしたら、僕らはその通りにする」。
宮下氏は、今後の麻酔部門のあり方について考える会合を開くため、身近にいる職員に声を掛け始めた。皆で真剣に麻酔部門という自分とは違う分野について真剣に考えることで、本来のコミュニケーションを取り戻そうという試みだ。「成功するかどうかは分からない。でも、この病院内の現場で働いている、既得権を持たない若手の世論を形成していかなければ、人は動かない。自分のことじゃなく、相手のことを考えようとして、相手に対する興味を持つことが、コミュニケーションの始まり。そうすれば、変われると思う。そこで出た結論については、自分が責任を持つ」。
■手術部再建WGが発足
こうして迎えた1月19日、「手術部再建ワーキンググループ」の会合が院内で開かれた。宮下氏や土屋院長は冒頭のみ出席し、後は有志で参加した職員らのディスカッションに任せた。「病院のリーダーシップが欠如していて、目指すビジョンが見えない」「教育の質が低い」「スタッフの一体感がない」「改善・効率化しにくい組織文化がある」など、率直な意見が次々に出された。
会合に参加した大嶽氏は、「非常に活発な意見交換で、皆が自分の意見を熱く語っていた。今は手術室についての会議だが、病院全体のあるべき姿を語っていけるようにしたい。今はまだ他大学から応援の医師が来ている状態だが、本来は国立病院が自立して運営できないといけないはずだ」と感想を語る。
会合の報告を聞いた宮下氏は、「皆一生懸命に病院のことを考えているのに、意見を披露する場がなかった。それがこうやって話せたのはよかったと思う。こうした現場の草の根の意見を何らかの形でトップに伝え、成果を上げていきたい」と話す。
今後、会合はオープン参加にして月1回のペースで開催する予定。次回までの課題は「5-10年後の病院の姿を考えてくること」。
宮下氏は、「この病院には、上級職の求心力はあったかもしれないが、職員同士の横のつながりが切れていて、コミュニケーションがなかった。サイレントマジョリティーが本当にサイレントで声を上げない。職員皆が病院の今後を考えて発言し、一緒に“みこし”を担いで、同じ方向に進んで行くようになっていけばいいと思う」と語る。
土屋院長は、「現場の人が発信できる体制でないといけない。現場から国立がんセンターを改善していくため、どんどん意見を出して突き上げていってもらいたい。若い人たちのアイデアに期待している」と話している。
少しずつではあるが、がんセンター中央病院の中に温かい血が巡り始めた。麻酔科医不足によって患者が手術を受けられなくなるという絶体絶命のピンチを、学会や大学が連携して救った。その底流にあったのは、「宮下医師を応援したい」という数多くの麻酔科医たちの思いだった。この思いを、コミュニケーション不全を起こしていた病院組織全体の改善につなげることができるだろうか―。国立がんセンター中央病院の“改革”は、緒に就いたばかりだ。
【今回の特集 国立病院改革の端緒か(上)】
https://www.cabrain.net/news/article/newsId/20313.html
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