東京・八王子市にある平凡なお寺ですが、朝日新聞の記事を読んで訪ねてみることにした。 |
このお堂は、八王子城が秀吉に攻められ落城した時の犠牲者でこのお寺縁りの戦没者を供養するために造られ、中には150体のお地蔵様が安置されています。 |
ランドセル地蔵太平洋戦争で米軍の空襲が激化してくると、市街地に住んでいる人たちは親戚のいなかや郊外に疎開するようになってきました。そして子供達も集団で郊外に疎開させられました。東京郊外の八王子市にも約1,200人の子供達が都区内から疎開してきました。その疎開児の一人、当時品川区立原国民学校の四年生だった神尾明治君は、兄や級友と一緒に八王子市の「隣保館」で疎開生活をしていましたが、昭和20年7月8日、米軍機P51の機銃掃射が幼い明治君を襲ったのです。そして明治君は「お兄ちゃん、痛いよー」と苦痛を訴える言葉を最後に短い人生を閉じました。その悲報を聞いて駆けつけたつけた母親が我が子の死を悲しみ、今や形見になってしまった明治君のランドセルを子供の面影に一番似た堂内の地蔵尊に背負わせたのです。これがランドセル地蔵の由縁です。次の写真は後に設けられたランドセル地蔵ですが、お堂の中には長い歳月で風化したランドセルを背負っているお地蔵様が今でも祭られています。 |
ランドセル地蔵の逸話は、人々の記憶から忘れ去られていましたが、童話作家古世古和子さんの取材活動により偶然に真相がはっきりした悲しい出来事です。私が当寺院を訪問するきっかけになった朝日新聞のローカル版「マイタウン多摩」に連載された記事を紹介します。
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第6部ふる里・八王子ランドセル地蔵(T)
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米軍機の機銃操作から逃げ惑う子供たちから操縦士の顔が見えたということは。米軍の兵士も子供達の逃げ惑う姿を確認できたと思います。何の罪もない子供達に情け無用に機銃を浴びせた米軍兵士達。虫けら扱いで日本の児童を殺し、飛び去っていった米軍兵士。その後、彼らは罪の意識もなく母国に帰って普通の生活に戻ったのでしょう。戦後日本の繁栄の陰にこのよな犠牲が沢山あったことを日本人として忘れてはいけません。
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