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ドイツの空爆で実績を上げたカーチス・ルメイ少将を東京空襲の責任者に任命。
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鬼畜生ルメイ少佐
昭和39年の佐藤内閣は航空自衛隊の発展に貢献したと彼に勲章を与えています。勲章の授与を決定したのは池田内閣でした。同時期に真珠湾攻撃の参謀だった源田実が米国より叙勲され、両者の受勲は太平洋戦のわだかまりを絶つ国どうしの手打ちが行われたようなものであった。しかし空襲を経験した家族にとって苦痛な出来事であった。
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A
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家屋が木と紙でできていることに注目して、日本専用の焼夷弾を開発。そして砂漠に日本の家屋を建て焼夷弾の効果を確認する。
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B
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過去の大火が春先の強風が吹く時期に集中しているというデータに注目し、大空襲の決行日を陸軍記念日の3月10日にした。
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C
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そして300機以上のB29で地上を嘗め尽くすように焼夷弾を落とす。(1平方メートルあたり3発、総重量2000トン)
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E
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機銃など不要なものを取り外し乗員の数も減らし、B29に可能な限り焼夷弾を多く積み込む。焼夷弾の命中精度を上げるため低空飛行を行う。
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F
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軍事工場などのピンポイント空襲から一般人を含めた無差別空襲に変更。
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