2009年1月28日(水) 東奥日報 天地人



 お駒風、谷風、薩摩風、津軽風、アメリカ風…。これらは皆、インフルエンザの異称である。江戸時代の人々は、そう呼んだ。一七○○年代後半から幕末に至るころだが、当時も随分はやったことを伝えている(酒井シヅ「病が語る日本史」講談社学術文庫)。

 お駒は浄瑠璃の主人公、谷風は相撲の強者で、はやりの世相から名付けた。薩摩とアメリカは流行の始まりを指す。後者はペリー再来航の時だった。では津軽は何から来たか。大礼の際に津軽侯が家格に合わぬ輿(こし)に乗り、幕府から叱責(しっせき)された。庶民の間では当時、死者を乗せるのも輿と言っていた。それで、し損じることを病に倒れることに掛けたとか。文政のころだ。

 江戸の人々が恐れ、語り伝えたインフルエンザは、今も侮れぬ。先ごろ、東京は町田の医療施設で百人以上が感染し、三人が亡くなった。これほどの大規模な感染が一つの施設であったのは、近ごろ珍しいことだ。少しの油断でも大事につながることを、あらためて知る。高齢者が集まるところなどは、とりわけそうか。

 県内でも先週、初めて注意報が出た。上十三や五所川原方面だ。流行が早く始まった全国の傾向に比べ、例年並みの動きという。暦は大寒を過ぎて立春に向かうが、まだまだ厳寒期は続く。となればピークは、これからやもしれぬ。

 予防にはワクチン接種や体力の保持が肝心だ。今冬は寒暖の変化が激しい。まずはこまめな自己管理か。昔の「風病(ふびょう)」は変身しつつ、なお消えぬ厄介な相手だ。


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