「100年に1度の危機」をチャンスに変えるシナリオ
危機の本質は投機行動の破綻と捉えると、日本へ有利に世界が展開する
外的ショックには日本経済はこれまで一貫してかなり強かったのである。
東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科教授 伊丹敬之=文
過去、日本経済は経済危機のたびに大きな痛手を受けつつも、ゆるやかな成長を続けてきた。この歴史的傾向から、筆者は日本のチャンスを説く――。
■日本の経済危機は過去50年間に7回
2008年は波乱の年であった。金融危機に明け暮れた年であった。私も、金融危機やアメリカ経済の危機絡みの原稿ばかり書いていたような気がする。まず1月に「証券化は現場のリスク感覚を甘くする」と書き、2月には「サブプライム問題を発端に、世界的に巨大な信用収縮が起きる危険あり」と書いた。7月にはGMの倒産の危機を書いた。事態はその通りになり、3月にはベアスターンズ、4月にはアメリカの大手銀行と次々と危機が露呈し、とうとう9月にはリーマンが倒産し、GMが公的資金による救済を願い出た。
これだけ世界同時に景気が悪くなると、誰が言い出したのか知らないが「100年に一度の金融危機、経済危機」という言葉がニュースに躍るようになった。しかし、本当にそうだろうか。この経済危機は、たしかに大変な状況であることには間違いないが、100年に1度というほどの大きなものだろうか。
100年とは言わず、過去50年間に日本を襲った主な経済危機をあげれば、次の表のようになるだろう。危機は7回もあったのである。そして、そのたびに日本経済はかなりの痛手を被っている。
オイルショックは、原油価格がショック前の3倍から4倍に短期間に跳ね上がるという資源価格ショックであった。とくに第一次オイルショックの際にはアラブ諸国を中心とする石油輸出の大幅カットも同時にあったので、原油を輸入に頼る日本経済は大混乱した。日本沈没と騒がれたときである。
円高ショックは、円が1985年9月から半年の間に40%以上も切り上がる異常な事態となった。それはじつは円高ではなく、ドル安だった。ドルは世界の通貨に対して大幅独歩安になったのである。輸出で伸びてきた日本の産業にとって輸出の大幅減少が恐れられたのである。
91年のバブル崩壊以降は、読者の多くにももう馴染みがあるだろう。株価は90年年頭から暴落を始め、地価も91年には下がり始める。日本の経常収支が80年代初めから大幅黒字となり、過剰な流動性が日本を襲ったのである。それがカネを暴力装置のようにしていって、日本全体がいわば投機ムードに浮かれたのである。
バブル崩壊の91年はまた、ソ連邦の崩壊の年でもあった。戦後の冷戦構造が崩れ、アメリカの資本主義が勝利したという潮流になっていった。それは日本の安全保障の不安定さをも浮き彫りにし、日本自身が起こしたバブルの崩壊と重なり、日本経済の元気は一気になくなっていった。そこに、97年のアジア通貨危機が起きて、日本の金融システムの不安定性が一気に露呈した。日本長期信用銀行など、名だたる金融機関が次々と消滅していった。まさに、大きな金融危機だった。
伊丹 敬之
東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科教授
いたみ・ひろゆき●1945年、愛知県生まれ。一橋大学商学部卒業、カーネギーメロン大学経営大学院Ph.D。一橋大学大学院商学研究科教授を経て、2008年4月より、東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科教授。著書に『経営を見る眼』『経営戦略の論理』『日本型コーポレートガバナンス』などがある。
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