『週刊ダイヤモンド』 2008年10月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 759
麻生太郎首相の所信表明演説をめぐって、メディアの、とりわけテレビメディアの評価が辛らつだ。本来、首相の所信を表明すべきものなのに、民主党に問いかけたのが不満らしい。
メディアは野党や無所属議員の、「こんな演説は異例だ」「品格のかけらもない」(田中眞紀子氏)などというコメントを報じていた。
だが、対立政党への問いかけがおかしいということ自体がおかしいのではないか。問いかけは麻生首相の決意を語っているのであり、それは混沌とした内外の政治や、経済状況に、自らはこのように立ち向かうが、民主党はどうなのかと問い、違いを際立たせたにすぎない。
じつは、私は、首相の所信表明の中継は見ていない。聴いていない。だが、全文は読んだ。そして驚いた。なんと力強く、潔い内容であることか。世に、漫画ばかり読んできたと流布され、自らもその点をひけらかしてきた人物からは想像しがたい、美しいリズムと響きを持つ文章でもある。
首相は、「この言葉よ、届けと念じます」として、「日本は強くあらねばなりません」「わたしは、悲観しません」と言い切っている。
過去の幾人かの首相の演説に比べて、はるかに力強く、訴えてくる。今、日本周辺を見渡せば、「平和的台頭」と唱えつつ、その力を東シナ海、南シナ海、西太平洋に広げつつある中国が存在する。着実なペースで宇宙へも進出し、やがて、宇宙開発において、米国が中国に依存せざるをえないような状況さえ生まれつつある。日本抜きの米中の提携が着実に進むかに見える今、どの国よりも心を強く持たなければならないのが日本なのである。大国の狭間に沈み込まないためには、まず、日本こそが強くあらねばならない。
経済においても、米国発の金融危機の前に、金融資本主義と実態経済を明確に区分けし、日本人の力強さ、優秀さを体現する実態経済に、もっと、自信を持ってよいのである。状況の打開が容易でないことを肝に銘じつつも、悲観する必要はないのである。自信を失わず、揺らがない強い心で、事態に処すればよいのだ。
首相はこうも語った。「日本は、明るくなければなりません」。
日本の歴史を知っている人物の、面目躍如たる指摘である。幕末から明治にかけて日本を訪れた欧米列強の使節団は、文明が未発達で貧しく野蛮な民族の住む国だと思って来てみると、日本が彼らの想像とはかけ離れた国であったことに、一様に驚嘆した。人びとは皆、その頬に幸福そうな微笑を浮かべており、物腰は柔らかくていねいで、すべてが清潔だったと驚いたのである。
当時、世界最強の英国は、植民地支配を通して、世界人口のじつに三分の二を支配し、世界の富を一手に集めていた。にもかかわらず、英国には絶望的な貧困に喘ぐ民衆が存在した。なのに、工業化も始まっておらず、物質的には英国の豊かさに遠く劣っていた日本には、絶望的な貧困に喘ぐ民衆はいなかったと、彼らは驚いたのだ。
そして、彼らが見た日本人は「実によく笑い、微笑む国民だった」(所信表明演説)と、感動のうちに記しているのである。
充足から生まれるこの朗らかさ。日本はかつて、国民の幸せを確実に実現していたのである。今、そのような国家の再現が重要なのだ。その方法として、首相は「日本の底力」を信ずることだと説く。
小沢一郎民主党代表の、「国民の生活が第一」「自民党総裁は政権を投げ出すことができても、国民は生活を投げ出すことができない」、これが「最後の一戦」という訴えももっともである。世論調査では、民主党に強い支持がある。
しかし、麻生氏の言葉には、小沢氏の訴えを超えて、なお力強く国民に語りかける力があると思うが、どうか。
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2008/10/11/%e3%80%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e5%ba%95%e5%8a%9b%e3%82%92%e5%bc%b7%e8%aa%bf%e3%81%99%e3%82%8b%e9%ba%bb%e7%94%9f%e5%a4%aa%e9%83%8e%e9%a6%96%e7%9b%b8%e3%80%81%e6%89%80%e4%bf%a1%e8%a1%a8%e6%98%8e/trackback/