2008/7/28
「続・神の存在証明と不存在証明」
『ナグ・ハマディ写本』に収載されている文書の大部分はグノーシス文書である。
神と悪魔の存在の論理的矛盾は,論理的には解消することは出来ないが,詩人と預言者の象徴において直感的に超越することができる。神が二つの決定的な制限をこうむっていることを当然と考える。第一の制限は,神は自分のすでに創造したものが完全であるがゆえに,もはやそれ以上創作活動を行う機会を見出すことができないという点である。もし神が超越的なものと考えられているとするならば,神の創作活動によって造られた作品は,今も昔も少しも変わらず栄光に輝くものであって,「栄光から栄光へと<主と同じ姿に>変えられて行く(コリント後書3・18)ということはありえない。
ラリベラの祈る修道士。エチオピアは世界の最貧国であるが心は豊かだ。家庭にはマタイ伝が必ず置いてあるという。(写真はnokonokoさんのHPより)
神の力に加えられている第二の制限は,外部から神に新たな創造の機会が提供されたときには,神はその機会をうけいれないわけにはゆかないという点である。悪魔が神に挑戦するとき,神はその挑戦に応じることをこばむわけにはゆかない。神はこの事態を受け入れねばならない。もし拒絶すれば,神はみずからの本質を否定し,神たることをやめることになるからである。このように神は論理的には全能ではないにしても,なお神話的には敗れることを知らぬものであろうか。神は悪魔の挑戦に応じなければならないとしても,その後に続く戦いにおいて勝利をおさめるに決まっているのだろうか。
エウリピデスの「ヒッポリュトス」では,神の役割を演ずるのはアルテミスであり,悪魔の役割を演ずるのはアフロディテであるが,アルテミスは単に戦いを断ることができないのみか,はじめから敗北するように運命づけられている。オリュンポスの神々の間の関係は無政府主義的であり,アルテミスはこの劇のエピローグにおいて,いつかは自分が悪魔の役割を演じてアフロディテに復讐してやろうと決意することによって,やっとみずからを慰めるのである。結果は創造ではなく破壊である。
スカンジナビアの神話でもやはり同じように,破壊がRagnarok,すなわち,「神々と悪魔たちが互いに殺したり殺されたりする」神々のたそがれにおける結末である。賭けのモチーフが構想されている古典的な作品は,ヨブ記とゲーテの「ファウスト」である。それは悪魔が最初の一弾を放ち,必ず相手を殺す打ち合いの形をとらずに,悪魔が明らかに負ける賭けの形をとっている。
問題の点がもっとも明瞭に述べられているのは,ゲーテの戯曲の中においてであるが,天上で主がメフィストフェレスとの賭けを承認したのちに,今度は地上で,メフィストフェレスとファウストとの間で,次のような取り決めが行われる.....
ファウスト
このおれがのんきに寝椅子に寝そべるようなことがあれば
その時すぐにおれはおしまいになるがよい!
お前がおれを甘言でだまし,おれをうぬぼれにおとしいれることができたら,
お前がおれを快楽でたぶらかすことができたら〜
その日こそおれの最後の日となれ!
さあ賭けをしよう!
メフィストフェレス
よろしい!
ファウスト
このとおり約束したぞ!
おれが瞬間に向かってこういうことがあれば〜
まあお待ち!君は実に美しい!と,
そのときお前はおれをふん縛ってもかまわない。
そのときおれは喜んでほろびよう!
そのとき葬いの鐘が鳴るとよい。
そのときお前は奉公から開放される。
時計は止まり,針は落ちるがよい。
その時こそおれのおさらばする時になれ!
ゲーテ「ファウスト」第一部
この神話的契約が,われわれの問題にしている文明の発生と一体どういう関連をもつのかという点は,賭けをするその瞬間におけるファウストを,それまで身動きせずに横たわっていた岩棚から立ち上がり,断崖の面をよじ登りはじめた”目覚めた睡眠者”の一人に見立てればはっきりとする。ゲーテによって語られている物語の中では,つぎつぎに生命にかかわる危険と絶望的な悲運に会って苦しんだ末に,結局見事に断崖をよじ登ることに成功する。新約聖書でも,創世記の中で述べられているもとの形では,どちらかといえば「ヒッポリュトス」の中のアルテミスとアフロディテの戦いと同様の結末になっているヤーウエと蛇との戦いに,同じ二人の敵対者の二度目の啓示によって「ファウスト」と同じ結末が与えられている。
ヨブ記でも「ファウスト」でも,新約聖書でも,賭けは悪魔の勝利に終わるはずがないこと(管理人注:ニュートン文書(プリンキピアで科学史上の聖書と言われる)からも伺い知ることは可能だがAnti-Christの企みは失敗に終わるはずだ),悪魔は神の事業に干渉するが神の目的を妨害することができず,かえってそれに奉仕するだけであること,神は常にたくみに難局を切り抜け,悪魔に悪魔がみずから首をくくる縄を与えることが暗示されているか,あるいははっきり言明されている。それでは悪魔はペテンにかかったのか。神は,決して自分がまけるはずがないとわかっている賭けを受諾したのか。そういってしまうのは言いすぎであろう。もしそのとおりだとすれば,この契約全体がまやかしになってしまう。実は遭遇でもなんでもない遭遇は,遭遇の必然的結果〜陰から陽への転換という広大な宇宙的結果を生じるはずがない。悪魔が言い出して神が受諾する賭けは,神の創造の一部分におよび,したがって本当にそれを危殆におちいらせるが,しかし全体にはおよばないと考えるのが,おそらく正しい解釈であろう。(Study of Historyサマヴェル版より要約)
聖書学 (せいしょがく、Bible study) は、聖書を対象に、文献学的方法、また人文科学的な(言語学、考古学、地理学等)諸方法を用いて本文批評をし、キリスト教の立場からすると、原初期の聖書とキリスト教を明らかにしようとする学である。
新約聖書の例で言えば(↓はWikiより)、
伝承の流れ(階層構造)からは、
ナザレ村で生まれたイエス自身の教えの段階(イエスの神理解・信仰内容)
それを口承で伝えた各社会層レベルでの信仰の段階
その伝承を素材として各自の信仰を表現した福音書記者の段階
多くのキリスト教文書の中から新約の正典として抜き出した初期カトリックの段階
時代的にも、地理的にも、置かれている環境・宗教的状況も、異なっており、
西暦50年代のパウロの手紙
西暦70年代の最初に福音書というジャンルを創造したマルコによる福音書
西暦80年代のマタイによる福音書、ルカによる福音書
西暦100年前後以降のヨハネによる福音書、ヨハネの黙示録、パウロに仮託された手紙など
この各々の段階の信仰内容はどうであったのかを分析・研究し、明確にする。 この様に、新約聖書が示す信仰は多種多様であり、中には矛盾する内容を含んでおり、このため「新約聖書はこう言っている」という形での総括はできず、乱暴な話であり、「マルコの信仰ではこのように言っている。しかし別の信仰では…」というような議論が必要になる。
参考:グノーシス主義概説↓
世に一般に、「グノーシス主義」と呼ばれている思想・哲学または信仰のシステムは、基本的には、つまり、第一義的な用法では、紀元一世紀より、三世紀乃至四世紀頃まで、ローマ帝国支配下のヘレニク世界・地中海世界において流布した、独特の世界観と神観・人間観を持つ「教え」です。わたしは、これを「ヘレニク・グノーシス主義 (Hellenistic Gnosticism )」と呼びます。
そう呼ぶ理由は、ヘレニク世界=ローマ帝国地中海世界に流布した此のグノーシス主義以外にも、「思想の類型」または「理念・世界把握」として、ほぼ同型と考えられる種々の思想・宇宙観があり、これらも、広義のグノーシス主義であると考えられるからです。このように広義にグノーシス主義を捉えた方が、思想・宇宙観・人生観、或いは「信仰的教え」としてのグノーシス主義を理解するのに好都合であるからです。このような広義な意味でのグノーシス主義を、ここでは「普遍グノーシス主義 (Universal gnosticism(s) )」とも呼びます。
ヘレニク・グノーシス主義は、次のような要素で原理的に定義されるでしょう :
I) (キリスト教的)・反宇宙的二元論
II) 人間存在の三元構造 (肉体 sarks・心魂 psyche・霊 pneuma)
III) 人間の裡なる救済の可能性=至高霊の光の断片の分与
IV) 真実の忘却と、「真実開示者=救済者」による認識の回復=叡智
これらの「四つの要素」について説明が必要です。より詳細な議論については、本サイトの『神秘主義とグノーシス主義 II』のページに収載した、『反宇宙的二元論とヤルダバオト』等に述べています。ヘレニク・グノーシス主義を特徴付けるこれら四つの要素原理は、簡略に説明すると、以下のようになります。
I) 地中海領域の世界宗教であったキリスト教の神ヤハウェは、「善の神」であった。少なくとも原始キリスト教の教義においてそうであり、後世のキリスト教の教義においてもそうです。しかし、「此の世=コスモス (宇宙 Kosmos, Κοσμος )」には、なにゆえか、「悪」が充満していると云う現象的事実が存在します。例えば、人は何故死ななければならないのか、何故、人生の苦悩や困難や、貧困や残虐や差別や悲惨が、此の世=コスモスには、不条理にも夥しく存在するのか?
これらの問いに対し、グノーシス主義ならぬキリスト教は、人祖アダムとヘーヴァが犯した「原罪」が、此の世の《悪の起源》であると主張します。また、キリスト教以外の古代の哲学的世界観や諸宗教も、世界を創造した者=神は、本来、善なる者で、世界=宇宙=コスモスも、本来「善」であると主張します。しかし、実存を生きる個人一人一人にとっては、宇宙が「善の宇宙」であり、創造者=神が「善の神」であると云われても、実感としての世界=コスモスは、実際、悲惨と苦悩と矛盾に満ち充ちた、暗黒の「悪の世界」に見えるのです。
(いや、世界は「良き世界」であり、「善なる世界」であると云う方も当然おられるでしょうし、相対的な善と悪が混合されて存在・現象している、「中庸の世界」乃至「色空の世界」だと云う方もおられるでしょうが、〈グノーシス主義的な魂 Gnostische Seele〉は、世界の悲惨と悪、就中、自己の『宇宙的孤児性』 Kosmische Waisenheit(本サイト『神秘主義とグノーシス主義 IV』ページ所収の『宇宙の孤児たる我らの存在』を参照)を強く感じるのであり、グノーシス主義の思想とは、そのような魂が把握する世界観・人間観であるのです)。
ヘレニク・グノーシス主義(なかでも、キリスト教的グノーシス主義)は、主に原始キリスト教の資料・神話枠を援用して、善なる神が創造したはずの、この「善なる世界」に「悪」が充満しているのは、《創造者ヤハウェ=YHWH》が、実は、「偽の神=悪の造物主」であり、従って、この宇宙=コスモスが、「悪の宇宙」となっているのは、そこからして当然であり、人間の此の世における運命が、悲惨で救いがないように思えるのは、偽の神=ヤハウェを「本来的人間の創造者」と考えている限りは、当然な結果であると答えます。
世界の創造者ヤハウェが、偽の神であるなら、また此の世が偽の神の創造になるものであるなら、当然、偽の神とは別の「真の神=真の人間の創造者」がおり、また「真の宇宙・人間の魂が本来的に帰属する真の故郷」があるはずであると云う思想となります。創造者ヤハウェを「偽の神」と断じ、「真の神=真の救済者=真の世界創造者」をヤハウェとは別に要請し措定するのが、ヘレニク・グノーシス主義の大多数の教えであり、また、このように、「偽の神 versus 真の神」、「暗黒の現世=偽の悪の此の世 versus 真の救済の世界=光の永遠界」の二元論は、「此の世=宇宙=コスモス」を否定する形の二元論であるので、これをグノーシス主義の「反宇宙的二元論 (anti-cosmic dualism )」と称します。(第一要素)以上一部転載。
C・G・ユングは、この世界における〈悪〉の問題を取り上げて、〈悪〉とは聖トマス・アクィナスの正統神学に言うところの〈善の欠如〉ではなく、〈実在〉としての積極的・活動的な存在であると主張している。ユングの言う〈悪〉とは、グノーシス主義における、世界創造者〈デーミウルゴス〉の存在と作用を指しているものと考えて間違いないであろう。この世には何故、不公平や不正や悪や悲惨な事々があまたあるのであろうか。それに対する哲学的解答としては、唯物論や仏教思想の主張を考慮外におけば、聖トマスの教義か、またはそれとほぼ同質のライプニッツの考えか、あるいは、ゾロアスター教やマニ教、そしてグノーシス主義の主張する善・悪の二元論しか答えがないのである(上第二章より転載)
トマス福音書と 正統派教会との関係
トマスの名を冠した福音書は、これまで原始キリスト教の教父たちの証言により、その存在は知られていたが、正統派教会により退けられたたため、今世紀の写本発見までは、その内容はほとんど不明であった。
教父たちの証言
まず、ローマのヒッポリュトス(Ἱππόλυτος, Hippolytus)が230年前後、『全異端反駁』(Refutatiō Omnium Haeresium)の中で、グノーシス教団の一派・ナハシュ派(オフィス派)に関する報告とともに「トマス福音書」を引用している。つづいて、オリゲネス(Ὠριγένης)が230年、『ルカ福音書講解説教』(Homiliae in Lucam)の中で、異端的な福音書の一つとして挙げている。また、カイサリアのエウセビオス(Εὐσέβιος)が324年、『教会史』(Ἐκκλησιαστικὴ Ἱστορία)の中で、偽作された外典として言及している。シデのピリッポス(フィリポ、Φίλιππος)が430年頃、『教会史』(Χριστιανικὴ Ἱστορία)の中で偽福音書と位置づけている。
正典と外典・正統と異端
以上のように、3世紀初頭から、トマス福音書は、教父たちにより異端、ないし外典として退けられるようになった。やがて、エルサレムのキュリロス(Κύριλλος)らギリシア教父は、トマス福音書はマニ教徒によって採用された、または偽作された福音書であると述べるに至り、8世紀の第2ニカイア公会議においては、「マニ教徒による偽作である」と決定された[8]。よって、正統派教会の立場からは、聖文書・正典ではない外典ということになり、現行の「新約聖書」には収録されていない。
正統派教会とは、4世紀の第1ニカイア公会議や第1コンスタンティノポリス公会議、特に5世紀のカルケドン公会議など、キリスト教会の宗教的会議(公会議)を通して確立された教義を信奉する教会を指し、一方、各公会議で退けられた教義、教団は異端として排斥された。
しかし、このように、自らの立場を「正統派」と位置づけ、他派・他宗教(異教)の教義・教典を一方的に「異端」であると裁断する態度は、今日、学問的には承認されない。
キリスト教グノーシス派の位置づけ
本福音書がマニ教徒による偽作と判断されたように、伝統的に、正統派教会は、「キリスト教グノーシス派は、オリエントやギリシアの思想・宗教などの「異教」の影響を受けた混交宗教であり、そこからキリスト教的要素を取り除けば、もはや独自の宗教として成立しない」と見なしてきた。現在でもこのような見解を採る学者がある。
管理人注:グレゴリオ聖歌のうちデュリュフレによるレクイエム(鎮魂歌・葬送曲)はイラン(ペルシャ)起源の二元論宗教(マニ教)に基づく。
ミトラ教聖地跡はバチカンとなっているが聖職者たちの最も触れて欲しくないところでもある。ゾロアスターはミトラの一部と考えられる。
上のHPより。中央に「天の雄牛」を屠るミトラが、周囲に黄道12宮の表象が描かれ、ミトラが宇宙の支配者であることを示している。ミトラ教はキリスト教が普及するまでローマ帝国内で広く流行した。(上の写真はシドン出土、4世紀頃の大理石のレリーフ)この時代でもすでに黄道12宮という春分点歳差(Vernal Equinox Precession)という天文学は発達していた。春分点歳差に関しては拙稿の記事を参照。
ミトラとマニ
キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝(下記絵参照)は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる〜〜〜もっとも,この大母神の究極の起源を探ってゆくと,アナトリアのペシヌス(ガラテア地方の都市)でキュペレとなり,ヒエラポリス(シリアの北部の町)でシリア女神De Dea Syraとなり,あるいはまた,遠く離れた北海やバルト海の聖なる島の森の中で,ゲルマン語を話す人々に崇拝される地母神となる以前に,元来シュメール世界においてイシュタルの名で知られていた女神であることが判明する。(アーノルド・トインビーA Study of Historyサマヴェル縮小版より)
左がイシスとその子ホロス(父はオシリス),右はマリアとイエス(父はヨセフ)
エジプトのマリアであるがいたるところでマリア争奪戦が繰り広げられたのはイエスという架空のホロスを創作するためでもあった。
ブラック・マドンナ。ミトコンドリア・イブによれば人類発祥の地はエチオピアであるからこれには嘘はない。
聖処女マリアの生まれたAbbey Church of St.ANNA。Stephen's Gate(Gate of lady Mary) 近くエルサレムの北東の一角にある。聖母マリアとは乙女座の乙女=Virginのことでラテン語では乙女はVirgin(聖母)=VIRGO THE VIRGINという。古代エジプト文字では乙女座はMと記される。だからマリアを含むその他の聖母マイラ(MYRRA)=アドナスの母やマヤ(仏陀の母)MOSES,MANOU,MINOS,MISESなどがいる。そういえばミトラもMだ。また乙女座とは”パンの家”を意味しまたベツレヘムとは”パンの家”という意味である。それは天空の乙女座の場所をさしており地球上の場所ではない。イシスとホロスもシュメール神話からくるおとぎ話だ。
今年1月訪れたオレゴン州シェリダンにあるカトリック修道院中庭にあるイシス像。カトリック教会では男女の性器をシンボル化したヘラシー思想があり実際その彫刻があった。
しかし、ナグ・ハマディ写本群には、非キリスト教のグノーシス文書が多数含まれ、内容を精査すると、グノーシス派は、キリスト教とは別個のものとして成立していることが分かる。よって、キリスト教グノーシス派は、グノーシス主義、ないしグノーシス主義的傾向の思想を信奉する者が、その独自の立場から、旧約聖書、及びイエスに関わる文献を採用し、解釈し、成立した教団であると言える。トマス福音書に関して言えば、オクシュリュンコス・パピルス(3世紀)より、コプト語版(4世紀後半)の方が、グノーシス化の傾向が強い。
さらには、ナグ・ハマディ写本の研究により、キリスト教グノーシス主義は、原始キリスト教の正統派の思想の形成に大きく影響したということが分かってきた。
なぜ排斥されたのか?
その前に一つ....イエスが十字架にかけられてから,わずか数ヶ月後には,早くもサンへドリンの中心人物ガマリエル(使徒行伝5:33以下参照・国民に尊敬されていた律法学者)が,処刑された指導者の,奇跡的に立ち直った弟子たちについて,この人たちはあるいは神を味方にもっている人々であるかも知れない,と言って注目しているのである。さらにそれから数年後には,ガマリエル自身の弟子のパウロが,十字架につけられたキリストを宣べ伝えるようになった。(管理人注:それこそ分断(分離)して(キリスト教による唯一絶対の神ヤハウエによって世界を)統治せよ,となったと思われる。)
テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも「知識」と呼ばれている反対論とを避けなさい。(反対論=グノーシス主義のこと)
第1テモテ 6章20節 )
正統派教会側の歴史的・教義的立場から論ずると、「全能の父なる神の独り子・イエス・キリストが、(人々の罪を購って)死に、復活し、天に昇り、やがて再臨する」とされ、この父なる神とイエス・キリストに対する「信仰」、及び倫理的「行為」(律法)によって、また救済機関としての「教会」を通じて、人は救われるという救済観を持っている[9]。
これに対し、トマス福音書を含むグノーシス派は、正統派教会の教義に対して、以下の見解を持つ:
旧約聖書で天地を創造した造物主を至高者の下に置き、またイエスについても、その肉による復活を認めない。
至高者に由来する本来的自己についての「認識」(グノーシス)による救済を最重要視し、グノーシスを通じて、造物主への信仰や、律法など倫理的行為、および教会の権威から解放されなければならないと説く。
グノーシス各派により程度の差はあれ、「信仰」、「行為」、「教会」(および教会を担う聖職者)に絶対的な権威を認めない。
また、グノーシス派の中には、自らを「真のキリスト者」と任じ、正統派教会を批判しながらも、「信仰すら持たない者に比べれば、少なくとも正統派教会は信仰を持っており、グノーシスの奥義に導くことができれば救済へ至る可能性が高い」と考え、これに布教の手を伸ばす教団もあった。これらが、正統派教会にとって大変な脅威となったと推測できる。
加えて、グノーシス派は、使徒や、使徒伝承に基づく教会の権威によらずとも、各人の自己「認識」(グノーシス)により救済されると主張し、誰もが啓示に与ることができると説くので、各人の解釈に基づき、無限に聖文書を生み出すことができた(正統派教会によって外典に入れられたキリスト教グノーシス文書は40を超える)。この点も、教会の権威により正典を制定していく過程にあった正統派教会にとっては大きな問題となったであろう。
なお、グノーシス派が倫理的行為を軽視する点から、「グノーシス派は律法を否定する放逸主義であり、肉欲的である」と、しばしば正統派教会は非難してきた。だが、この批判は、一部のグノーシス派を除き、グノーシス主義全般に当てはまるものではない。少なくとも、トマス福音書の思想は禁欲的である。
グノーシス主義から見れば、本福音書は偽作でも外典でもなく、グノーシス主義に則って、イエスの言葉を解釈して成立した正規のグノーシス文書である。また、正統派教会が本福音書をマニ教による偽作であるとした根拠として、事実、本福音書は、マニ教徒により広く受容されていたが、グノーシス主義の一派でもあるマニ教が、その解釈原理から本福音書を採択していたのは、至極当然なことである。
衆人に訴える論証
参考:ゲシュタルト心理学
クルト・レビンの位相(トポリジー)心理学はタビストックの根幹でもある。
拙稿:プロパガンダ七つの情報操作参照ください。
衆人に訴える論証(羅:Argumentum ad populum)とは、論理学における誤謬の一種であり、多くの人々が信じているという理由で、ある命題を真であると論証結論付けること。多数論証とも。
他にも様々な呼び方があり、英語では appeal to the masses、appeal to belief、appeal to the majority、appeal to the people、argument by consensus、bandwagon fallac、ラテン語では argumentum ad numerum(数に訴える論証)、consensus gentium(党派/一族の合意)などとも呼ばれる[1]。また、様々な社会現象の元にもなっており、組織的強化、バンドワゴン効果、中国の故事「三人市虎を成す」などがある。
例
この誤謬は、広く受け入れられている理論が真であることを人に納得させようとするときに利用される。
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
市民が税を払うことは市民の代表である議員が議会で決めた義務なのだから、国家は公平で公正な機関に違いない。
世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。
また、広く受け入れられてはいない理論が偽であることを人に納得させようとするときにも利用されることがある。
第二次世界大戦が起きなければ、アドルフ・ヒトラーがアメリカと戦うことは無かったなどという主張は馬鹿げている。ヒトラーが世界征服を計画していたことは誰でも知っている。
倫理的な主張にも、この誤謬がよく見受けられる。
多くのアメリカ人はベトナム戦争が倫理的に間違いだったと考えている。だから、ベトナム戦争は倫理的に間違っていた。
世界のほとんどの人々が肉を食べているのだから、肉食に関する倫理的問題など存在しない。
マーケティングでもよく見受けられる。
Brand X 掃除機はアメリカで最も売れています。あなたも Brand X 掃除機を買いましょう。
視聴率ナンバーワン番組、Show X を見よう。
その他の例:
キリスト教信者は世界で最も多いのだから、その教義は真実に違いない。
「我々の社会を除く他の社会では魔法が信じられている。魔法を信じてはいけないことは無いではないか」「我々の社会を除く他の社会では、地球の周りを太陽が回っていると信じている。そんなことを多数決で決めようというのか?」 - アイザック・アシモフ
法廷では陪審員の多数決で判決が決定される。だから、彼らは常に正しい決定を下すだろう。
多くの評論家がエンロンは素晴らしい経営をされた優良企業だとしている。だから、その普通株は有望な投資対象である。
[編集] 解説
衆人に訴える論証は、燻製ニシンの虚偽や発生論の誤謬の一種である。統計的な用語を使って主張するもので、答えが不明な質問に 75% の人が A と答えたとするとき、衆人に訴える論証では A と答えるのが妥当だと主張する。答えを得ることができるが質問者にはその答えが不明である場合、衆人に訴える論証では正解である確率が比較的高い答えを提供する。
広く信じられていることが必ずしも正しいことを保証するものではないため、このような主張は論理的には誤謬である。個人の信念が間違っている可能性があるなら、多数の人間の信念も間違っている可能性がある。例えば、75% の人が A と答えたとしても、25% の確率で A でない可能性もある。この確率がどうであっても、多数が正しいということは論理的には言えない。たとえ満場一致の結果だとしても、標本数が不十分かもしれないし、あるいはそれらの人々が知らない事実が存在していて、その事実を知ったら結果が変わるかもしれない。
衆人に訴える論証を使った主張で、専門家集団の信念を根拠とする場合を権威に訴える論証と呼ぶ。また、年齢の高い集団や、あるコミュニティに長年参加している人々の考えを根拠とする場合を伝統に訴える論証と呼ぶ。
この誤謬について、各人が常に研鑽を怠らず、信念と振る舞いを更新しているのが前提であるとする場合もあるが、通常そのような例は少ない。
衆人に訴える論証は帰納においては妥当な論証である。例えば、十分多数な人々に質問して、90% の人があるブランドの製品を他の競合製品より好むという結果が得られたとする。それを根拠として、次に質問する人も同じブランドの製品を好むだろうと予測することは妥当である。しかし、演繹においてはこれは適切ではなく、そのような集計結果によってそのブランドの製品が他の製品より優れているとか、誰でもそのブランドの製品を好むといった証明をすることはできない。
多くの人々が喫煙していることを根拠として、喫煙は健康的だと主張することがかつてあった。しかし、喫煙の危険性を知った現在では、多くの人々が喫煙しているにも関わらず、喫煙は健康的とは言えない。
様々な投票でそのような結果が出ていることから、ブラッド・ピットが世界で最もイケメンであると主張する者もいる。しかし、投票は有名人についてのみ行われており、標本数が十分ではない。
[編集] 例外
この記事や節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。Wikipedia:独自研究は載せないを確認の上、情報、解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください(テンプレート)。
信念に関する論証は、その質問が特定の信念の存在についてのものである場合のみ妥当である。従って、衆人に訴える論証は、ある信念がどれだけ広く受け入れられているかという質問に関するものである場合のみ妥当である。すなわち、衆人に訴えるということは、その信念が一般的かどうかを証明するのであって、真実かどうかは証明しない。
[編集] 民主主義
民主主義において選挙の「正しさ」は、選挙結果がどうであってもそれを受け入れるという事前の合意に基づいている。
「国際ロータリーの前回会合での投票で、10月に資金集めパーティを開催するべきとされた。従って、10月に資金集めパーティを開催すべきだ」
複投票制(1人が複数票を投じることができる選挙制度)による民主主義は、衆人に訴える論証に基づいている。信念の真偽を決定する手段としては間違っている。民主主義ではこれを排除せず、法律を目的ではなく主体と定義することで、単に誤謬を回避する。それにも関わらず、政策の受容と候補者への投票数はそれらの有効性によく相関していることが明らかとなっている(Approval voting 参照)。政治的意思決定のシステムとして、選挙制度は封建制や一党制などの似非民主主義に比較すれば好ましい[要出典]。
衆人に訴える論証は、民主主義がどのようにしてその原則の犠牲となるかを説明する(プロパガンダ、ナチス・ドイツ参照)。
[編集] 社会慣習
マナーや礼儀といった社会慣習は、その慣習が広く受け入れられていることに依存している。従って、マナーや礼儀に関しては「衆人に訴える論証」は誤謬ではない。
「ロシアでは、多くの人が挨拶として互いにキスをするのが礼儀正しいと考えている。従って、ロシアでは挨拶としてキスをするのが礼儀である」
しかし、社会慣習は時には急激に変化する。従って、ある年にロシアの人々がキスを礼儀と考えていたとしても、それが永遠にそうであるとは限らない。
[編集] 安全性
論理ではなく流行や人気に従って何かを選択することは、安全性や利便性の問題とも考えられる。
「ほとんどのアメリカ人は、自動車は道路の右側を走行すべきと考えている。従ってアメリカ合衆国では道路の右側を走行すべきだ」
この場合、どちら側を走行するかの選択は基本的に任意である。しかし、正面衝突を避けるには、道路上の誰もが合意しなければならない。多くの場合、何が安全かということは、他者が何を安全と考えているかに依存し、結果として「人気」が選択理由となる。例えば、エスカレーターで急いでいない人が左右どちらかに寄って立っているのも、同じような理由で説明できる。エスカレーター上を歩いて昇降することは安全とは言えないが、現に歩く人がいるため、衝突を避ける必要性から多数が左右どちらかに寄っていれば、それに従うという状況が発生している。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%A8%B4%E3%81%88%E3%82%8B%E8%AB%96%E8%A8%BC" より作成
グノーシス文書
グノーシス文書(‐ぶんしょう、英語:Gnostic Scriptures)とはグノーシス主義における教典であり、またグノーシスの神話・文学作品等を記した文書である。『ナグ・ハマディ写本』に収載されている文書の大部分はグノーシス文書である。
西方グノーシス主義の教典文書等は、初期キリスト教によって異端文書とされ、外典ともされ、意図的な破壊・湮滅が図られたため、20世紀なかばの『ナグ・ハマディ写本』発見に至るまで、古代の原典文書は、僅かな例外が伝存したのみであった。このため、グノーシス主義とはどのような宗教・思想・世界観であったのか不明となっていた。
目次 [非表示]
1 概説
2 西方グノーシス主義
2.1 トマス福音書
3 東方グノーシス主義
3.1 マニ教教典
3.2 マンダ教教典
4 ヘルメス思想
5 写本
6 関連項目
7 参考書籍
[編集] 概説
西方グノーシス主義に属する文書と東方グノーシス主義に属する文書に大きく二分される。また、古代より『真珠のうた』、『ポイマンドレース』など、少数のグノーシス文書が例外的に伝存していた。
[編集] 西方グノーシス主義
西方グノーシス主義の文書は、その代表的なものが多く新約聖書外典に分類されている。本来、グノーシス主義という異なる宗教の教典であるものが、キリスト教の「異端的文書」として把握されて来た。
これは、グノーシス主義の本質として、既存の秩序世界観(コスモス)を反転させ、否定神学において創作神話を造るためにこのような誤解あるいは誤謬が生じたものである。グノーシス主義は、既存の宗教・哲学・思想・文学の人物や逸話を借用して、しかし内容的にはグノーシス思想を開示する神話を構成する。
このため、キリスト教的グノーシス主義においては、キリスト教が主題とした人物や逸話を借用し、例えば、イエズス・クリストスの名において、またはマグダラのマリアの名において、更に、イエズスの弟子に当たる使徒たちの名において、福音書や神話書、あるいは黙示書や書翰文学を作成した。それ故、初期キリスト教の教父や代表的な指導者たちは、グノーシス文書を、キリスト教の異端文書であるとし、また地中海世界におけるグノーシス主義の擡頭があまりにも急激かつ華々しかった為、これを「最大の異端」として敵視した。
西方グノーシス主義におけるグノーシス文書は、ウァレンティノスの思想を文書化したものや、その系列にあるプトレマイオスやマルコスの主張が文書化されたものが代表的である。例えば、『ナグ・ハマディ写本』中に見出された『真理の福音』は、ウァレンティノスの説教を記録し、文書としたものと考えられている。
[編集] トマス福音書
また、初期キリスト教時代より「第五の福音書」として知られ、使徒トマスの名が冠せられた福音書が存在し、外典として名が伝わっていた。キリスト教側の異端絶滅運動が熾烈を極め、そのため多数の外典及びグノーシス文書が意図的に破壊・湮滅されたことも手伝って、この文書『トマス福音書』は伝存していなかった。しかし、20世紀半ばにおける『ナグ・ハマディ写本』の発見において、写本群中に含まれる一つの文書が、内容からみて、伝承の『トマス福音書』であると比定された。
『トマス福音書』は1500年近くにわたって実体が不明なままに、キリスト教の外典として記録に残って来た。しかし、『ナグ・ハマディ写本』中より発見された比定原典より、これが物語や奇蹟譚を伴わない純粋な「イエズス語録集」であることが分かり、また、その内容の研究より明らかにグノーシス主義文書であることが判明した。この文書は、共観福音書中のイエズスの言葉と比較することが可能であり、キリスト教新約聖書学にとっても重要な資料である。更に、『トマス福音書』が「語録集」であったことより、19世紀より新約聖書学で想定されていた「イエズス語録」の原資料『Q福音書』が存在した可能性が高くなった。
[編集] 東方グノーシス主義
[編集] マニ教教典
他方、東方グノーシス主義においては、紀元3世紀初頭にサーサーン朝ペルシアの擡頭と軌を一にして勃興したマニ教が多数の教典を備えていた。教祖マニ自身が自筆で多数の教典を執筆し、また弟子たちを指導して、これらの教典を東西ユーラシアの諸言語に翻訳させた。
マニの殉教の後も、マニ教は東西ユーラシアに展開し続け、様々な言語によって多様なマニ教教典が執筆され作成された。これらが、東方グノーシス主義における代表的なグノーシス文書である。
マニが執筆した教典にあっては、ユダヤ教、キリスト教、そしてゾロアスター教の神話や登場人物などが題材として取り上げられ、マニ教は公的にも、アブラハムを先行する預言者として認め、また西方の啓示者としてイエスを、東方の啓示者として仏陀を、中央世界(ペルシア)の啓示者としてザラスシュトラを認め、マニ自身は中央世界に啓示を示す、最終の預言者(預言者の封緘)たることを自認した。
しかし、ウァレンティノスやその他の西方グノーシス主義の教師たちとは異なり、マニ教の教師たちの語る教えは、キリスト教やユダヤ教の神話を適用しているとしても、明らかに異教である。またマニ教が地中海世界に展開した時代には、キリスト教は教義的にすでに強固な基盤を築いていたため、異端反駁論者リヨンのエイレナオスやローマのヒッポリュトスが危惧したような、「異端敵対勢力」とは見えなかった。
マニ教教典は、異教文書として受け止められ、キリスト教側はヒッポのアウグスティヌスを代表として反駁は行ったが、マニ教文書を「新約聖書外典」に入れることは基本的になかった。マニ教グノーシス文書は、東西ユーラシアの様々な言語で記され、ギリシア語、ラテン語、ヘブライ語、アラム語、シリア語、ペルシア語、そして中央アジアや西域の言語でも記され、更に中国語でも記された。
[編集] マンダ教教典
紀元の初期はおそらくパレスティナに所在したと想定されているマンダ教の信徒コミュニティは、2000年の経過のあいだに、ティグリス・ユーフラテス川を南下して、現在のイランとイラクの国境近辺に存続した。彼らが備える教典は、ギンザーについて語り、これは考古学的発見とは別に、現在まで伝存したグノーシス文書である。
[編集] ヘルメス思想
ヘルメス思想は、おそらくエジプトを起源とするシンクレティズム思想で、後の錬金術などの基盤となった古代の秘教的思想である。『ヘルメス文書』はヘルメス思想の教典書で、トートと医神アスクレピアースの対話形式を持つ。それぞれ独立した文書の集成で、グノーシス主義の影響が明らかに認められる。
この文書集のなかに収められている『ポイマンドレース』は、西方グノーシス主義のアイオーンの神話に類似したヴィジョンを記述している。古代より伝わるグノーシス文書である。
[編集] 写本
『ベルリン写本』
『マリア福音書』
『ヨハネのアポクリュフォン』
『イエスの智慧』
『ペトロ行伝』』
『アスキュー写本』 別名 『ピスティス・ソピアー』
『ピスティス・ソフィアー』
『ブルース写本』
『ナグ・ハマディ写本』(以下は、岩波書店『ナグ・ハマディ文書』所収の文書)
『ヨハネのアポクリュフォン』
『アルコーンの本質』
『この世の起源について』
『トマスによる福音書』
『フィリポによる福音書』
『マリア福音書』
『エジプト人の福音書』
『真理の福音』
『三部の教え』
『魂の解明』
『闘技者トマスの書』
『イエスの知恵』
『雷・全きヌース』
『真正な教え』
『真理の証言』
『三体のプローテンノイア』
『救い主の対話』
『ヤコブのアポクリュフォン』
『復活に関する教え』
『聖なるエウグノストス』
『ピリポに送ったペトロの手紙』
『パウロの黙示録』
『ヤコブの黙示録1』
『ヤコブの黙示録2』
『アダムの黙示録』
『シェームの釈義』
『大いなるセツの第二の教え』
『ペトロの黙示録』
『セツの三つの柱』
『ノーレアの思想』
『アロゲネース(異邦人)』
『ヘルメス文書』 (本来、ヘルメス思想の文書集)
『ポイマンドレース』
『真珠のうた』
『ケルンのマニ教写本』
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E6%96%87%E6%9B%B8" より作成
ミトラ教の密儀は、洞窟や地下で行なわれた。原始キリスト教徒は、みな地下の共同墓地カタコンベで儀礼を行なった。
ラリベラの岩窟教会群
(エチオピア)
ベテ・ギョルギス
(英名) Rock-Hewn Churches, Lalibela
(仏名) Églises creusées dans le roc de Lalibela
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(1), (2), (3)
登録年 1978年
拡張年
備考
公式サイト ユネスコ本部(英語)
地図
世界遺産テンプレートを使用しています
ラリベラの岩窟教会群は、エチオピアの世界遺産の一つ。その名の通り、石を刳り貫いて作り上げたエチオピア正教会の教会堂群で、世界の石造建築史から見ても非常に重要な建造物である。
正確な建造年代は不明だが、ザグウェ朝のラリベラ王が君臨していた12世紀から13世紀にかけての時期に建造されたと推測されている。
目次 [非表示]
1 グループ
1.1 北部
1.2 西部
1.3 東部
1.4 その他
2 建造年代
3 登録基準
4 注
5 参考文献
[編集] グループ
11の聖堂と関連する礼拝堂などの建造物群からなり、以下の4つのグループに分けられる。
[編集] 北部
ベテ・マドハネ・アレム(マドハネ・アレム聖堂。「マドハネ・アレム」は「救世主」の意)は、アクスムにあるシオンの聖マリア教会を模したと考えられている世界最大級の岩窟聖堂である。この聖堂が、一連の岩窟聖堂中最古と考えられるベテ・マリアム(マリア聖堂)や、ラリベラ王の墓所を含むと言われるベテ・ゴルゴタ(ゴルゴタ聖堂)、セラシエ礼拝堂、アダムの墓などと繋がっている。
[編集] 西部
最も秀逸とされ、保存状態も良好なベテ・ギョルギア(聖ゲオルギウス聖堂)が孤立している。伝説では、他の10の聖堂が彫り上げられた後、ラリベラ王の夢枕に聖ゲオルギウスが立ち、作るように命じたという。
[編集] 東部
かつて王家の礼拝堂だったと推測されているベテ・アマヌエ(エマヌエル聖堂)、かつて監獄だったらしいベテ・マルコリオス(メルクリオス聖堂)、かつての王宮とされるベテ・ガブリエル=ルファエル(ガブリエル=ラファエル聖堂)や、ベテ・アッバ・リバノス、「ベト・レヘム」(ベツレヘム)がある。
[編集] その他
アシェタン・マリアムの修道院、11世紀頃に洞窟の中に建造されたアスクム様式のイムレハネ・クリストス教会などがある。
[編集] 建造年代
ラリベラの、エチオピア正教会の司祭岩窟聖堂群には、建造時期を巡って論争になっているものもある。ケンブリッジ大学教授のアフリカ考古学者デヴィット・フィリップソンは、メルクリオス聖堂、ガブリエル=ラファエル聖堂、ダナゲル聖堂は、標準的な建造年代より500年ほど遡るアクスム王国の衰退期に、要塞や宮殿として切り出されたのが最初であり、ラリベラの名はラリベラ王の死後に結びつけられたにすぎないと提唱している[1]。また、地方史家ゲタチェウ・メコネンの説では、アッバ・リバノスは、ラリベラ王妃マスカル・キブラが夫ラリベラの死後、彼を記念するものとして建造されたものであるという[2]。
なお、作家グラハム・ハンコックらは聖堂騎士団の助けで建造されたと主張するが、豊富な史資料は、岩窟聖堂群が中世エチオピア文明のみに拠っていることを明らかにしている。
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
注^ "Medieval Houses of God, or Ancient Fortresses?" Archaeology (November/December, 2004), p. 10.
^ Getachew Mekonnen Hasen, Wollo, Yager Dibab (Addis Ababa: Nigd Matemiya Bet, 1992), p. 24
参考文献
ユネスコ世界遺産センター(監修)『ユネスコ世界遺産 (11) 北・西アフリカ』講談社、1998年
中川武 三宅理一 山田幸正(監修)『世界遺産を旅する・第12巻(エジプト・アフリカ)』近畿日本ツーリスト、1999年
エチオピアの世界遺産
World Heritage Sites in Ethiopia
文化遺産
ラリベラの岩窟教会群 | ファジル・ゲビ | アワッシュ川下流域 | ティヤ | アクスム | オモ川下流域 | 歴史的城塞都市ハラール・ジュゴル
自然遺産
シミエン国立公園
世界遺産 | アフリカの世界遺産 | エチオピアの世界遺産 | 五十音順 | [編集]
ウィキメディア・コモンズに、エチオピアの世界遺産に関連するマルチメディアがあります。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%B2%A9%E7%AA%9F%E6%95%99%E4%BC%9A%E7%BE%A4" より作成
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