世界  
TOP > 世界
コスタリカ 人権 NA
コスタリカを知る55章にプラスα 「人工妊娠中絶」と「胎児の生存権」
2005/04/15

 2005年は、5年ごとの国連世界女性会議の年となっています。予想される様々な議論の中で、私が一番注目しているのは、2000年、クリントン元大統領夫人が普遍的人権対立と称した『胎児の生存権と女性の中絶権』の深刻な事態に、世界がどう平和的解決の道を見いだすかという課題です。

 本来なら、女性と胎児は、互いの存在を慈しみ合い、喜び合い、生かし合う関係にあるはずです。それが何故、胎児は疎まれ、忌避される存在にされてしまったのでしょう?母子関係に入り込んでいる亀裂の原因と問題の所在を、私達は真剣に受け止め、人類の未来である「胎児の境遇」と彼らを取り巻く人間関係と社会事情の改善に向けての一歩を進める必要があるのではないでしょうか?

 もっとも繊細な胎生期の平安は、一生涯を左右します。出生前心理学や胎生学は、人格と身体形成の重要な時期だと教えています。愛されて育った子は世界に愛を見つけ、そうでない劣悪な環境からは犯罪が広がります。生命軽視の風潮の源泉に目を向けるべきではないでしょうか?

 1995年に開かれた世界女性会議で、世界のトップクラスの女性達から「中絶を女性の権利として認めよ」との声が大きく主張され始めました。それに対して、異例の反対声明を出したのが、中南米の女性達です。中南米には、マリアニスモ(母性イデオロギー)が精神的に深く根付いていて、この年、この事態への懸念が表明されました。
 
 それらの動きを受けて、1999年、アルゼンチン、ニカラグアでは、3月25日を国としての『胎児の日』と宣言し、胎児の生存権と発達成長へ、慈しみと恵みのまなざしを注ぐよう、国民と国際社会への呼びかけが発せられました(多国籍キャンペーンはラテンアメリカに展開中で、これまでに、ドミニカ共和国、ペルー、及びコスタリカが「Unborn Chaild の Day」を宣言する国内法令を批准しました。『コスタリカは7月27日』)。

 コスタリカの実情を高知大学医学部留学生の八木チャベス幸子ノエミさんから直接お伺いしています。国教がカソリックであるこの国では、中絶は全面的に禁止されており、特に女性と子供に対しては、最大限の保護政策がとられているとのことです。

 興味深いことに、体外受精が2000年に、最高裁判所により憲法違反だと判断されたそうです。その理由を尋ねると、多胎児が発生し、必然的に減数手術が施されることを、中絶行為に相当すると受け止めているからだそうです(この生命の摂理に反する行為を、高知県では不妊治療として助成金を出し推奨しています)。

 この国の女性と子供を守る法律でもっとも特徴的なのが、「責任親権法」です。これは、胎児を取り巻く家族関係の回復を目的とし、女性が子供の父親に「認知と養育費を請求する権利」を保障します。女性から父親に指名された男性がそれを否定する場合、政府に申し立てを行わなければなりません。両者の話し合いで解決しなかった場合、決着は国費によるDNA鑑定に持ち込まれます。国家が父性の自覚を教育する仕組みになっているこの法律、日本にも必要だとはお思いになりませんか?

 2003年、現在、コスタリカの女性相が検討している法案では、主婦に生活費を十分に渡していないケースに対処する基金の設立などがあり、生活実態をふまえた、胎生期からの子供の育成環境への国家の思いやりが実現されていくことでしょう。
 
 これらの動きは、イギリス、オーストラリアでも、1999年以降活発になり、イギリスでは、「チャイルド・サポ−ト・エージェンシー」という政府の未成年者保護機関、つまり、児童福祉相談所のような所が担っています。離婚家庭などの女性団体によると、養育費の立て替え払いや、徴収代行を行ったいる国もあるそうです。

 翻って、日本では、NHKの報道によると妊婦の4人1人は中絶を選択しています。それなのに、真剣にこの問題解決への道が検討されているとは言い難い現状です。刑法にある「堕胎罪」は忘れ去られた法律となり、「売春禁止法」も空文化されていっています。日本国憲法の基本的人権では、「将来の国民をも人権擁護の対象」と述べ、胎児へのまなざしが感じられるにもかかわらず、胎児は、人間存在、社会の一員としては認知されてはいず忘れ去られています。

 児童福祉法の概念に胎児の地位が加えられる日はいつ訪れるのでしょう。人間生命の発達形成の歴史的経緯に対するこの矛盾に、日本社会はいつになったら気づくのでしょう。

 「人間の安全保障」という概念が、平和学の世界で提示されています。コスタリカ元大統領アリアス博士の解説によると、「我々は、領土、国家、主権の軍事的安全保障という考え方から、雇用、教育、医療、住宅、または環境の保障といった問題に注意を移そうとしているのです。アリアス基金では、これを『永続する安全保障』とも呼んでいます。飢え、貧困、不平等、文盲、病気、麻薬、テロなどの根絶こそが人間の安全を保障するものです」意義深い発想転換ですね。

 ところで、マザーテレサは来日の際、重要なメッセージを残されました。「平和は家庭から始まります。中絶は平和の最大の破壊者です。中絶を容認し、放置している社会は『命の尊厳』を失った状態になると思う」――彼女のこの言葉の奥義を探求して頂きたい。彼女の懸念が社会の隅々で進行しています。

 ですから、私は、人間の安全保障の究極の基盤である、国としての、自治体としての「胎児の日」の制定を呼びかけているのです。できれば、コスタリカの国連平和大学に「胎児の日」の精神を論文提出したいと考えています。

 私達は皆、かつては胎児でした。その時から今日まで、私達を生かして下さっているもの全てに目を開き、心を向けましょう。自然の偉大さと平和な社会のありがたさが心にしみてくるはずです。(イラクの環境に投下された劣化ウラン弾により、注視できない無惨な奇形児が多数誕生しています。胎生期の繊細さが身にしみます。インターネット上の写真をご覧下さい)

 あなたの心に、あなたの家庭で、街で、国で、胎生期からの人間の尊厳を守ろうと声を上げて下さい。生命の摂理に反する愚かな選択を辞め、生命の健康と福祉に貢献する愛と平和と正義を選び取って行こうと勧めて下さい。そのための、生命倫理、医学、社会学、人間関係学の学びを始めて下さい。きっと、大きな光と出会いがもたらされて行くことでしょう。

 最後に、混迷する社会に「生命の真理」が解き明かされ、「いのちのつながり」が回復し、互いに生かし合う関係性が築かれていけますように心から祈ります。

(山下由佳)

ご意見板

この記事についてのご意見をお送りください。
(書込みには会員IDとパスワードが必要です。)

[7442] 堕胎という生命の尊厳の守り方
名前:星一成
日時:2005/04/16 03:55
どうも男性陣からの批判に偏ってしまっているので、女性の意見もお聞きしたいところですが・・・・・・。

>愛されて育った子は世界に愛を見つけ、そうでない劣悪な環境からは犯罪が広がります。

これこそが、中絶肯定派の最大の論拠なのです。
「望まない妊娠」による出産で生まれた子供が、果たして「愛されて」育つことができるでしょうか。
「生まれてきた子供は、幸せに生きる権利がある」というのは、肯定派・批判派双方に共通する理念です。
違いは、「幸福に育てない子供は、生まれてくるべきではない」と考えるか、「どんな命でも、着床の段階で生命の権利を守られるべき」と考えるかです。
ともすれば中絶肯定派の意見は、「障害児の間引き」などというおぞましい思想につながりかねない、「生命の選別」そのものに他なりなくなります。
一方で反対派の意見は、「不幸な母子の量産」に繋がりかねません。
「どちらが正しいか」ではありません。「どちらに重きをおくか」です。だからこの問題は、宗教的な解決がなされる場合が多いのです。

「生命の尊厳」を重視しているのは、肯定派も否定派も同じです。どうも、山下記者は勘違いなさっておられるように感じます。

>この生命の摂理に反する行為を、高知県では不妊治療として助成金を出し推奨しています

特にここで感じました。
子供を欲しい人間は、子供を持てるべきなのではないですか?
「自分の子供が欲しい」という思いは、「生命の摂理」に反する思いなのでしょうか。
あきらめるしかないのでしょうか。

>この国の女性と子供を守る法律でもっとも特徴的なのが、「責任親権法」です。これは、胎児を取り巻く家族関係の回復を目的とし、女性が子供の父親に「認知と養育費を請求する権利」を保障します。女性から父親に指名された男性がそれを否定する場合、政府に申し立てを行わなければなりません。両者の話し合いで解決しなかった場合、決着は国費によるDNA鑑定に持ち込まれます。国家が父性の自覚を教育する仕組みになっているこの法律、日本にも必要だとはお思いになりませんか?

思いません。
DNAという究極の個人情報を強制的に取得して親子関係を検査する。
・・・・・・まるで性犯罪者のような扱いです。
そんなことで「父親の自覚」が芽生えるなんて、無茶いうなって感じです。
そんなことするなら、税金による補助で福祉を充実させた方が、絶対により良い「母子生活」が営めることでしょう。
そのことは、結局

>2003年、現在、コスタリカの女性相が検討している法案では、主婦に生活費を十分に渡していないケースに対処する基金の設立

が必要になったことからも明らかです。

>児童福祉法の概念に胎児の地位が加えられる日はいつ訪れるのでしょう。人間生命の発達形成の歴史的経緯に対するこの矛盾に、日本社会はいつになったら気づくのでしょう。

中絶反対って、別に新しい概念でも進歩でも、なんでもないと思うんですが。
どちらかといえばブッシュ大統領に代表されるように、「宗教的信念」から主張されるケースって一般的です。
立脚点が新しいと主張なさってるんだとすれば、「児童の福祉」「女性の権利保護」の立場から「中絶肯定」している連中もいることを、知っておいて下さい。

>「人間の安全保障」という概念が、平和学の世界で提示されています。コスタリカ元大統領アリアス博士の解説によると、「我々は、領土、国家、主権の軍事的安全保障という考え方から、雇用、教育、医療、住宅、または環境の保障といった問題に注意を移そうとしているのです。アリアス基金では、これを『永続する安全保障』とも呼んでいます。飢え、貧困、不平等、文盲、病気、麻薬、テロなどの根絶こそが人間の安全を保障するものです」意義深い発想転換ですね。

コスタリカという国は、日本にそっくりの国です。
「軍隊を持たないで、せめて来られたらどうするの?」
と問いかけられたある男性は、笑いながらこう答えたそうですよ。
「そのときは、周りの国が助けてくれるさ」
「人間の安全保障」って、そういう意味です。

>最後に、混迷する社会に「生命の真理」が解き明かされ、「いのちのつながり」が回復し、互いに生かし合う関係性が築かれていけますように心から祈ります。

僕もそれを願っています。
ですが、それと「中絶反対」が必然的に結びつかないことも、僕は理解しています。
[返信する]
[7438] いのちの現実と倫理と・・・
名前:秋吉俊邦
日時:2005/04/15 19:52
記事を読みながら、芥川龍之介の「河童」の、河童のお産のくだりを思い出しました。

人工妊娠中絶の是非をめぐる議論は、望まない妊娠をしてしまった女性や、望まれずにこの世に生まれた子どもという、問題の当事者が不在のまま議論が進んでいますね。

美しい言葉を並べて、「生命の尊厳」を訴えることは実に簡単ですが、困難な現実に直面している当事者の苦悩の解決には、何の役にも立たないように感じます。

母親であり女性である前に人間である母体の「人間の尊厳」と、「胎児の生存権」との衝突でもありますが、「軍隊のない国」として、究極ともいえる命を守る国ならばこその価値観かもしれませんね。
[返信する]
[7436] 妊娠中絶は必要悪です
名前:海形マサシ
日時:2005/04/15 17:56
私は男性ですが中絶擁護派です。様々な事情があり、子供を生み育てられない環境の人がいることをお忘れになっているのでは。

分かりやすい例が、強姦されて妊娠した場合です。子供には罪がないといえども、母親と子供のその後の人生にとてつもない負担をかけ続ける選択を強要するのはどうかと思います。

中絶を禁止することは、逆に闇で中絶をする女性を増やすことになります。かつての日本でもそれが横行しており、自分で堕胎したために母子共に死亡した例もあります。

中絶を認める不利益は、認めない不利益より少ないのが現実ではないでしょうか。
[返信する]